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Bad Boy For Life - P.Diddy, Black Rob & Mark Curry |
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こ
の度パフ・ダディからPディディに改名したショーン・コムズ。
彼が一生を捧げると誓う「バッド・ボーイ」とは一体何なのか。
ビギーが逝き、メイスは信仰を深めるために 音楽の道から脱線した。ロックスはレーベルと馬が合わなかったのかスウィズ・ビーツを 追いかけてラフ・ライダース入り、最後の頼みの綱だった期待の新星シャインも 例のディスコ発砲事件で第1級暴行罪でなんと懲役10年の判決を受けることに なってしまった。(2011年3月釈放予定) それでも彼は残る112、フェイス・エヴァンス、トータルら昔からレーベルに 在籍しているアーティストのプロモーションに力を入れるのに加え、新人発掘も 怠たらない。アギレラ、ブリトニーなどアイドルが全盛期になるやいなや オーディションで集めたドリームをデビューさせ、それまでのバッド・ボーイに とって未知の世界だったアイドル・ポップをさらっとやってみせる。 また以前からバッド・ボーイ作品に顔を出していた本格派ボーカリスト カール・トーマスのデビュー時には、ゲストほとんどなしというバッド・ボーイ 前代未聞なデビューアルバムの構成で我々を驚かせた。 しかしそこには出せば絶対売れていたあの時代のバッド・ボーイの面影はない。 だが神話は崩れても、この男はそう簡単には消えていかない。なぜなら 彼にはメアリー・J・ブライジをヒップ・ホップ・クイーンに仕立てた自負があり、 ミッシー・エリオットの才能を誰でもない自分が発掘したという自信があり、 90年代を代表するエンターテイナーであったという誇りがあるからだ。 元々はただのレーベル所属アーティストによるコンピレーション・アルバムに なる予定だった『The Saga Continues』。仕上がってみれば「ディディとその仲間たち」 な雰囲気に仕上がっているのもやはり彼の性格の表れと見るべきだろう。 シングルカットされたこの曲はグイグイ鳴るエレキのリフをバックに、 ディディとその手下が「何を言われようが俺らはバッド・ボーイなんだ」と 宣言するという攻撃的なもの。
確かにこの人のやり方に、生き方に反感をおぼえる人は
星の数ほどいるだろう。しかし、ブツクサ言って何もしない連中、周りに叩かれたから
と言ってすぐへこむ奴、媚びることしか知らないバカ共に比べたら、
私は断然かっこいいと思う。 |
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Only Time - Enya |
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2000
年11月21日、エンヤ4年ぶりのアルバム『A Day Without Rain』はアメリカでひっそりと発売された。リード・トラックはイギリスでのファースト・シングル「Only Time」に決定し、プロモ盤が配布され、アダルトコンテンポラリー・チャートにランクインした。アルバムもいったんチャートの17位まで上昇したが、前作『The Memory Of Trees』のようなトップ10ヒットとはならなかった。ある程度のセールスをあげたとはいえ、トップ40ヒットになった「Orinoco Flow」(89年24位)の頃と比べて、明らかに、エンヤはニューエイジ向けのアーティストとして、マーケットを限定されつつあった。
ところが、年が明けてから、この曲にタイアップが付いた。ここから、この曲の数奇な運命が動き始める。 2001年2月、「Only Time」は、キアヌ・リーブス主演のラブロマンス映画「スゥイート・ノベンバー」のキー・チューンに採用され、この曲収録のサントラがリリースされる。この映画は、1968年に公開されたきり埋もれていた同名映画のリメイクだったが、秀作「キャル」(もとダイアー・ストレイツのマーク・ノップラーがサントラを担当)でデビューしたパット・オコナー監督にしては凡庸、と酷評されたこともあって、残念ながら、映画はたいした話題にはならなかった。 しかし、楽曲そのもののアピールには、ある程度の効果はあったようで、それを証明するように、夏になってからTOP40ステーションのいくつかが、リストに「Only Time」を加え始めた。注目したいのは、7月14日付のHOT100チャートにこの曲が76位に初登場したときのレーベル表記が、「スゥイート・ノベンバー」のサントラの発売元である、ワーナー・サンセット(エンヤのアルバムはリプリーズからの発売)であり、この時点での楽曲の支持層は映画の観客と重複していた、という事実を物語っている。 これだけでも、すでにじゅうぶん変則的なヒットの形態になっていると言えるが、さらに事態は急転する。
9月11日、アメリカン航空機4機が同時にハイジャックされ、2機がニューヨークの世界貿易センタービルに激突、ビルは倒壊した。1機はワシントン国防総省ビルに激突しビルは大破。残る1機はペンシルバニア郊外にて墜落、炎上した。死者及び行方不明者は約5000人といわれる。
9月10日に発売された9月15日付ビルボードHOT100では、「Only Time」はかろうじてTOP40内の30位に上がってはいたが、すでに赤丸は消え、伸びが頭打ちになっていた。ところが、この事件直後、テレビ曲の選曲担当者は、TOP40ヒットとしては異色なこの曲に、新たな役割を与える。多くのテレビ番組で、崩れ落ちるビルを始めとする事件の映像にこの曲が当てはめられ、たちまちのうちに、殆どのアメリカ人にこの曲が刷り込まれることとなった。 ラジオでも、精神的に打ちのめされた聴取者層に対して、チャートの大多数を占めていた刺激的な曲は流せない、と判断したプログラムディレクターは、事件を伝える臨時ニュースの合間や通常プログラムに戻る際の露払いの1曲として、この曲をブリッジ的に流したという。その結果、事件直前の集計データを基にした9月22日付HOT100で27位だった「Only Time」は、翌週9月29日付では赤丸付き18位に急上昇し、エアプレイでの“Greatest Gainer”のタイトルを得ている。 興味深いのは、その翌週の10月6日付ではエアプレイが落ち、HOT100では赤丸が消えて18位に留まっていることである。非常時のため週によって母集団の規模が異なっていることもあるが、いかにこの曲が、短期的に雪崩を打って流され続けた結果、聞く側が飽和状態になったり、事件を連想させトラウマになってしまったかが、はるか遠くの地にいる我々にもよくわかる。 ところが、この曲は消費されなかった。早々にビル崩壊の映像が規制されたこともあり、エンヤは傷ついた(主に白人エスタブリッシュメントの)アメリカ人の心を癒す役割を引き続き担わされる。同じ10月6日付のアルバムチャートでは、『A Day Without Rain』が19位から7位に急上昇。「Only Time」のシングル発売がないため、人々がアルバムを求めた結果だ。ついでに「スゥイート・ノベンバー」のサントラも再びチャートイン。さらに翌週10月13日付アルバムチャートでは4位、「Only Time」もHOT100赤丸付き16位に再上昇する。アルバムからいくつかのトラックがエアプレイされ始め、ビルボード誌はエンヤの曲を“emotional rescue”と形容する。紆余曲折を経て、ついに日米はエンヤを同じ認識で受け入れた、と言えるだろう。
あらためて、エンヤの経歴をさらっておく。 1962年アイルランド生まれ。1979年に、姉マイーレのいるアイルランドのモダン・トラッド・フォークのバンド、クラナドに参加。82年にクラナドを脱退後、プロデューサーのニッキー・ライアンと作詞家のローマ・ライアン夫妻と出会い、87年にBBCテレビのドキュメント「The Celts」の音楽を手がけ、イギリスで名を上げる。88年、ほとんどのパートを自らの多重録音で作り上げたアルバム『Watermark』を発表、シングル「Orinoco Flow」ともども世界中で大ヒットを記録する。以後、91年に『Shepherd Moons』、95年に『The Memory Of Trees』をリリース、現在に至る。 いまでこそ、エンヤの音楽は“ニューエイジ”だの“癒し系”だのと言われるが、「Orinoco Flow」の頃は、元クラナドということで、“ワールド・ミュージック”の中の“ケルト音楽”というジャンルで扱われていたような印象がある。個人的にはプログレや宗教音楽の影響も少し感じるのだが、彼女の音楽そのものから受ける印象は、今も昔も“幽玄”という言葉で表現されるものだ。それを“癒し系”という機能主義的な語句で限定するのも、いかがなものだろうか、という気もする。そもそも、事件が起きる前、すなわち、この曲がアメリカで小ヒットしていた当初は、楽曲自体が好感を持たれていたに過ぎなかったはずである。 バブルがはじけ、凶悪犯罪と震災とオウム騒動に揺さぶられた90年代の日本で、エンヤは“癒し”のツールとして重宝された。ITバブルがはじけ、テロに揺さぶられる2001年のアメリカもまた、エンヤに“癒し”を求める。それはよしとする。問題は、エンヤの音楽にその効能のみを求め、曲の背景を探ろうとしない傾向である。これは実は、エンヤのみならず、ニューエイジと呼ばれるジャンル全体にとっても、音楽を消耗品扱いされるという、自らの死活問題となる可能性がある。この時代のうねりの中で、果たしてエンヤは変わらぬ姿勢を貫き通せるだろうか。
この曲の流転は、まだ終わらない。(Yaz) |
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You Rock My World - Michael Jackson |
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「ア
ウッ!ヒャウ!ホーッ!」うーむ。今年のマイケルは気合が入っている。ジャク
ソンズ再結成の話が持ち上がったと思うと、すぐさまニューソロアルバム
「INVINCIBLE」が完成とのニュース。にわかに彼の周辺がまた騒がしくなってきた。
アルバム発売を10月末に控え、第一弾シングル「おまえは俺の世界を揺すぶってく
れるぜ」を9月10日にもオンエア解禁、、、、が、そこはIT時代、8月中旬頃には
既に新曲がネットで飛び交っていた。そんな訳で急遽前倒し8月24日には放送解禁
との運びになったのである。
そこで今曲、「You Rock My World」であるが、正直第一弾シングルとしてはとり たてて華やかさを感じるものではない。いいかえれば自身が音楽シーンを引っ張って 行くというかつての自負のようなものは今曲には感じられないのだ。が、そうした状 況とはうらはらに彼の周囲は彼を嵐の中心へと引き込もうとしているように見うけら れる。 8月29日に43歳の誕生日を迎え、よく30日にはNY・タイムズスクエアのナス ダック市場の開始のベルを鳴らしに登場し、40代ながらもシャイな瞳を輝かせてい た。9月にはMTVのVMA授賞式で、'NSYNCと共にステージに登場、彼らの曲「Pop」で は自身こそが”キング・オブ・ポップ”であることを聴衆に知らしめんとした。また ソロ・デビュー30周年記念コンサート「Michael Jackson: 30th Anniversary Celebration, The Solo Years」を2夜に渡って開催し、過去の輝かしい栄光を見せ つけると同時に今もなお現役であることを熱烈にアピールしたのである。 全ては整った、、、。まさに巨大な公共事業がまたスタートしたかのようである。 彼は止めることができない。何故ならレコード業界、エンターテイメント業界、様々 な関係者の利益、思惑をすべて内包しつつ彼はひとり道化を演じなければならないの だ。かつての栄光の時代のようにまた私達を”揺さぶる”ことができるのか。巨大な マイケル公共事業はまた始動をはじめた。(田鍋) |
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Can't Deny It - Fabolous feat. Nate Dogg |
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Comment Coming Soon ! | ||||||||||||||||||||
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Angry All The Time - Tim McGraw |
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新
作「Set This Circus Down」もまずまず好調ということで、カントリー界のみ
ならずアメリカのレコード産業を支える柱の一つとしてその地位が確立されてき
た感のあるティムマク。もういい加減語られすぎて嫌になってきたところもある
が、フェイス・ヒルとのおしどり夫婦ツアーも米芸能界の名物として定着してき
たみたいだし、「アメリカ1幸福な夫婦」というイメージも然り。
ただ、そのイメージが逆に足枷になる恐れもある訳で。あまりにも完璧な夫婦像 を聴衆に求められると、演技をしてでもそのとおり振舞わなければならないと か、世の中には本当に幸福な夫婦などそうはいない(?)から、逆に反感をかっ てバッシングを受けたりとか。 そんな点を考慮して、という訳ではないのだろうが、彼が今回シングルカットし た曲の題材は崩壊した家庭、しかも主人公は女性の方というちょっと意外なも の。4人も子供をもうけながら、その子供達を愛していながら、それでも家庭を 捨て独りになることを決意した自分。疎外感に苛まされ、いつも不機嫌だった (“不機嫌”には当然暴力も含まれるのだろう)夫との別離という結論は、それ から20年経った今でも間違いではなかった、と確信する自分。“アメリカ1幸福 な夫”は「そういう人生もあるさ」と彼女の選択を肯定し、一人で生き続けてい く彼女に、ポジティブなメッセージを送ろうとする。考え方によっては“あざと い”ととれなくもないが、カントリーチャートは彼のメッセージを好感、この曲 をナンバー1に押し上げている。(八亀) |
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Turn Off The Light - Nelly Furtado |
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彼女のデビューシングル「I'm Like A Bird」を聴いて、多少なりともそこにエキセ
ントリックな個性を感じ取った方は多かろう。この第二弾シングルも、そんな我々の
期待に全く反することのない出来栄えだ。音楽を生業とする両親の元で育ったことも
あり、ヒップホップをはじめ様々な音楽の素養を持つ彼女。この曲が収録されたデ
ビューアルバム「Whoa, Nelly!」はブラックミュージックや民族音楽のテイストがあ
ちこちにちりばめられているが、それらをポップな衣で包み上げ、誰にでも聴きやす
い作りに仕上げているのが特徴。アルバムの中心に位置するこの曲も例外ではない。
早口でまくし立てるサビ部分に最初は戸惑いかねないが、流れがしっかりしているの
で、結局何の違和感もなく聴き通すことが出来る。いつ聴いても彼女と分かるそのス
ウィートな声も健在で、特徴的な曲展開に十分すぎるほどの味付け作用を果たしてい
る。更には沼地で泥だらけになりながら無邪気に飛び跳ねるビデオクリップも刺激
たっぷりで、お腹一杯。難しいことは考えずに、ただ音楽を楽しもう、ということか
ね。
近頃はミッシーの「Get Ur Freak On」のリミックスへの参加や例のチャリティーソ ング「What's Going On」でも存在感を十二分に発揮しており、このくらいの曲では もはや驚かなくなってしまったというのが正直なところか。今最もアツく、目が離せ ない一人だ。(小川ボ) |
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Living It Up - Ja Rule feat. Case |
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こ
の夏、思わぬ大ヒットになった映画「ワイルド・スピード」。LA在住の高野Aさんによれば「映画のマネして事故って死んだ奴も出た」ほどの影響力だとか。この映画にチョイ役で出演していたのがジャ・ルール。「負けてもアタシとヤラせてあげる。でも勝ったらこの娘ともヤラせてあげる」という彼女の誘いを真に受けて96年式インテグラ(しかも4ドア)で主人公のエクリプスに勝負を挑むも、あっけなくぶち抜かれたあげく「負け犬のニガーとなんか誰もヤんないわよ」と言われて逃げられてしまう間抜けな役柄ながら、独特のルックスと声で強烈な存在感を観客に見せつけた。
もちろん本業の音楽でも大活躍のジャ。"DMXのパチモンじゃないか"という世間の評価も何のその、去年発売された2ndアルバム『Rule 3:36』からは3rdシングル「I Cry」をヒットさせ、ほぼ同時期にはジェニファー・ロペスのシングル「I'm Real」に客演し、見事No.1ヒットに押し上げた。この露出の多さからして、もしかして一般的人気は元ネタのDMXを超えたんじゃないか?と一瞬不安になったが、先ごろ発売された3rdアルバム『Pain Is Love』の第1週売り上げ枚数は30万台にとどまり、"しょせんはパチモン"と安心した人もいるとかいないとか。 とはいえ何をやってもセルアウトと呼ばれない独特のキャラクターは今回も健在。サントラではデペッシュ・モード「Strangelove」をサンプリングして笑わせて、いや驚かせてくれたが、今回のアルバムはオープニングからスティクス「Castle Wall」のフレーズが響きわたる。というよりよくこんな曲知ってたな。そして続く2曲目、アルバムからの先行シングルとなったこの曲「Livin' It Up」もネタはスティーヴィー・ワンダー「Do I Do」。サビを歌うのは同じDef Jam一門のケイス。と、いうことでプチ・DMXというよりプチ・ウィル・スミス化してきたジャ、次の一手はどう来るか?(松本) |
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Rock The Boat - Aaliyah |
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絶
好調だった。94年にわずか15歳でデビューし、最初の3年間で発表した2枚のアルバ
ムはいずれも高い評価を受けた。その後はサントラへの楽曲提供、映画「ロミオ・マ
スト・ダイ」での初主演、そしてその主題歌「Try Again」で初の全米No.1を記録。
更には映画「マトリックス」の続編への出演も決まり、今年7月に出した5年ぶりの最
新作「Aaliyah」はこれまでの2枚を凌ぐ傑作と絶賛された。そんな中での、悲劇。
2001年8月25日、遠くバハマの地にて、飛行機事故によりアリーヤ・ダナ・ホーント
ンは帰らぬ人となった。
同世代のモニカやアリシア・キーズらに比べると、彼女は歌唱力の点では劣っている ところは否めない。しかしそのクールな歌声を曲に乗せ、独特の世界を作り出す能力 は誰にも負けないし、我々もそれを存分に楽しんできた。その持ち味はこの曲でも多 いに発揮されている。同じフレーズが何度も執拗に繰り返される部分も、冗長で間延 びしてしまいがちなものだが、彼女が歌い上げれば途端にそれは麻薬的な世界に様変 わりし、聴く者を中に引き込む力を帯びてくる。アウトロ部分で延々とタイトルが繰 り返し囁かれ、「この曲はいつ終わるのだろう」と錯乱状態に陥りかけた人は少なく ないはずだ。これぞアリーヤ・ワールドの真骨頂。 僅かな期間ながら素晴らしい光を放ち続けたアリーヤは、その輝きを失うことなく、 美しい姿そのままに永遠の人となった。彼女の残した世界も、このままその魅力を損 なうことなく、伝え親しまれていくことだろう。(小川ボ) |
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Everywhere - Michelle Branch |
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ア
ラニスやミシェル・ンデゲオチェロ、デフトーンズなど独自の個性が際立つアーティストを多く輩出してきたマドンナ主催のレーベル、マヴェリック。今回このレーベルから登場するのが1983年7月2日生まれ、弱冠18歳にして自分で曲を書き、程よいキャンディ・ヴォイスで等身大のロックナンバーを歌う期待の新人ミシェル・ブランチ。幼少の頃から歌うことが好きでミュージカルやビートルズの曲などを歌っていたミシェルは、8歳からヴォーカル・レッスンを開始。14歳になるとギターを独学で弾きはじめ、高校に入り現在も親友で曲作りのパートナーでもあるジェニファー・ハギオ(日系人だそう)と知り合ってからは2人で一緒に歌詞を書き、地元アリゾナで演奏するようになる。音楽の道を志すミシェルは16歳で高校をドロップアウト、その頃には既に地元で行われるコンサート会場に自主制作のアルバムを置いていた。そしてアリゾナでの音楽イベントに現在のマネージャーが訪れた際に渡したデモ・テープが認められてメジャーデビューが決定。マドンナからは「曲がリリースされたらあなたの世界が大きく変わるわよ」とのコメントをもらったとか。
ハンソンの前座などを経て完成したアルバム「The Spirit Room」はシェリル・クロウやスティーヴィー・ニックスを手掛けたジョン・シャンクスがプロデュース。第一弾シングルとなる「Everywhere」も彼とミシェルの共同作業から生まれたもので、ミシェル曰く「人を好きになるとどこを見てもその人がいるような感じがしていつでもその人のことを思い浮かべてしまう、というハッピーなラヴ・ソング」とのこと。アコースティック・ギターで作られたシンプルでフックの効いたこのナンバーはラジオでの反応も頗る好調で、ここ日本でもよく聴かれている。ミシェル自身はティーンエイジャーながら今後予定されているギグは18歳以上を対象としたバーでの演奏がメインとなるようで、幅広い層にアピールしていくことになりそう。(中村) |
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Be Like That - 3 Doors Down |
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地
味だ地味だと言われながら(言ってるのはボクだけ?)長い期間をかけて
「Kryptonite」を大ヒットにし、一躍ブレイクしたミシシッピ州出身(あ!アフロマ
ンと一緒だ(笑))の4人組、3ドアーズ・ダウン。
ブレイク・アルバム『The Better Life』からの3曲目のシングルは、同時期公開の青春コメディ映画『American Pie 2』 にも使われ、思わぬところでメディアに露出したこともあってか、2曲目のトップ40 ヒットに。前の2曲に比べると、ややルースなグルーヴを持ったギター・ロック然と した何と言うこともない曲ですが、結構これまたエアプレイの支持を受けてじりじり と上昇、この原稿執筆時点(11月)で24位まで上昇してきています。これは自分だけ なのかもしれないですが、何となく曲の感じというか、ヒットのし方というか、どう も80年代中盤の頃のロック系のヒット曲を思い出させるようなB級なところを感じる んですが皆さんはどうでしょうか。いずれにしても地道なライヴ活動をベースに人気 を確立してきたが、音楽性や曲作りにさほどの派手さを感じないバンドだけに、いか にこの後をフォローするかが結構難しいんじゃないかなあ、と思ってしまいます。え? 大きなお世話?だって最近この手のバンドやたら多すぎるんだもん。やっぱり何か個 性を出してくれなきゃねえ。結構嫌いじゃないから余計そう思っちゃうんですがね。 (阿多) |
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Ugly - Bubba Sparxxx |
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ウ
ォーレン・アンダーソン・マティス、24歳、アトランタ郊外生まれ。身長6フィート、体重220ポンド。白人。高校時代はフットボール選手でラインバック。「音楽なんて興味がなかった。ケーブルテレビなんて入ってなかったし、隣の家は1kmも離れたところにあるド田舎さ。」しかし、その"隣の家"に住んでいたのがラップ好きの黒人だった。時を同じくして、ニューヨークに住む彼のいとこが色々なミックステープを送ってくると、彼のラップへの関心は急速に高まってくる。その中でも西海岸のN.W.A.やTOO $HORTが彼のお気に入りだったが、同郷アトランタのアウトキャストが登場すると、ラップは彼にとって単なる関心ではなく、具体的な将来像となる。そして高校卒業後、ウォーレンはジャーメイン・デュプリのSo So Defと契約、リル・デヴィルの名前でワン・カード・チンのメンバーとしてデビューする。
・・・が、全く売れず。 彼はレーベルを離れ、イメージ一新のために、名前をババ・スパークスに変更。「ババってのは昔からの相性なんだ。スパークス(Sparxxx)ってのはキャッチーだろ。特にトリプルXってのが。」立ち直りが早いのは何にでもプラスに作用するもので、すかさず彼は自主制作盤『Dark Days, Bright Nights』をリリースする。これがとある大物A&Rの興味を引く。彼の名は、全米チャートファンなら知らぬものはない、ジェラルド・メイヤ。 ・・・え、知らない? 91年に「Rico Suave」他2曲のヒットを放ち、無意味な肉体美を披露して"ラテン男はカラダが命"という誤った偏見を世間に与えて消えていったエクアドルのあのジェラルドですよ!!どこに消えたかと思ったら、何とインタースコープのスカウト責任者にまで出世していたとは。 ここまで来れば、ブレイクまでもう一歩。インタースコープ社長のジミー・アイオヴァインはババ・スパークスをティンバランドに紹介した。白人ながら確かなスキルを持つババに、新たなサウンドを展開しようとしていたティンバはもちろんすぐに反応、彼のプロデュースの元、『Dark Days, Bright Nights』を再録することとなった。シングルはまずは挨拶代わりの「Bubba Talk」、そして次に選ばれたのは本命の「Ugly」。ティンバらしい複雑ながらシャープなサウンドが高速ビートに乗って飛び回る斬新なプロダクション、一方でブタ小屋の中でブタと戯れるというビデオクリップとのギャップも話題になった。ちなみに公式サイトには"ブタ追いゲーム"も用意されている。それはともかくこの一曲で世間のババへの期待は急激に高まり、アルバムは初登場3位を記録した。 なお、ティンバ・ファミリーの証として、この曲の最後にはミッシー・エリオットの「Get Ur Freak On」のフレーズが登場するという余興もある。(松本) |
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God Bless The USA - Lee Greenwood |
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彼
は1942年生まれのカントリー・シンガーで、一言で表せば
「声量のあるケニー・ロジャース」。70年代半ばまで不遇の時代を送るが
78年、意を決してナッシュヴィルへ移った結果として、当時のMCA出版社の
社長でもあったプロデューサー、Jerry Crutchfield の目に止まり80年、MCAレーベルとの契約が成立。
81年、初ヒット・シングル“It Turns Me Inside Out”は最高位こそ17位だったが
そのかすれ気味の、ヴィブラートを効かせた声で歌われるバラードはたちまち当時
人気絶頂のケニー・ロジャースと比較され、注目を浴びた。そして次のシングル(もちろんバラード)
“Ring On Her Fingers,Time On Her Hands”から18曲連続トップ10ヒット
(デュエット除く)を記録、92年までに7曲のNo.1を含む計33曲をヒットさせる等、
チャートの常連だった。
84年に発表されたサード・アルバム“You've Got A Good Love Comin'”からの 第1弾シングル“God Bless The USA”はリーの人生を一変させる曲となった。元々は 83年9月1日のソ連による大韓航空機撃墜事件を契機に自作した曲で、カントリーで 7位を記録。その歌詞の愛国的内容からやがて彼の代表曲と見なされ、コンサートでは 必ずラスト・ナンバーとして歌われるようになる。 しかし、この曲をカントリー・ファンのみならず全国民に知らしめるきっかけと なったのが、91年の湾岸戦争。当時この曲はカントリーはもちろんポップのラジオ局でも さかんにオンエアされ、兵士・その家族、そして国中であらゆる局面で口ずさまれ、 遂には「第2のアメリカ国歌」と呼ばれるに至ったのである。
さて当時のチャートで疑問に残る点がいくつかある。 またこの曲は91年当時エアプレイ・チャートにはランクされた実績が残っていないが、 実はエアプレイ・リカレント・チャート(既にチャートから落ちた曲が載る)にはランク されていたのだ。これも考えてみればおかしな話で、Hot 100はもちろんエアプレイ・ チャートにもランクされたことのない曲が何でいきなりリカレントに入って来るのか。 まあいずれにせよ当時のHot 100集計方法ではこの曲はランクされる余地はなかった。 ところでカントリーではどうか。84年にヒットした時、この曲は計17週ランクされた。 そして91年、この曲は長期間カントリー・リカレント・チャート(現在は雑誌には掲載 されない)の1位を独走した。だがちょっと待て。カントリー・チャートのルールでは 「20週以上ランクされ、トップ20から落ちた曲はリカレントに移る」とある。これは 現在も変わらないが、ならば91年当時少なくとも3週、この曲はカントリー・チャートに ランクされねばならなかったはず。その時はランクしなかったくせに、なぜ今回は カントリー16位に再登場させたのか。まさか「今回はレコード会社が最新ヒット扱いで プッシュしたから」などという訳の分からない理屈をこねるつもりか、ビルボード。 しかも weeks on chart がまだ15週目ってのはどういう訳?
(本人追記)
このルールに則り、“God Bless The USA”はカントリー16位に再登場し、ホイッ
トニーの“The Star Spangled Banner”はHot100の50位に再登場したという訳だ。しかし91
年に何故“God Bless The USA”を再登場させなかったかについては一切触れていない。なお
weeks on chart については単純ミスだったようで、翌週には「19週目」に訂正されていた。
と、苦し紛れの言い訳(?)をした上で、この週からこの曲には3つのレーベル名並びにカーブ
でのシングル番号を列記[MCA Nashville/Capitol(Nashville)/Curb 73128]、さらにプロ
デューサーにもグリーンウッドの名前を加え(再録ヴァージョンは彼自身のプロデュース)、も
ちろんHot100での集計にもセールス・ポイントを加えるという暴挙(?)に出た。
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AM To PM - Christina Milian |
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テ
レビを見ては「スターになりたい」と夢見ていたクリスティーナ・ミリアン、しかしそれは夢ではなく、やがて現実になることだとは、4歳の女の子にはちょっと想像がつかなかったか。キューバ人の両親を持ち、ニュージャージーで生まれたクリスティーナは、その後ミュージカルやテレビ番組に続々と出演し、若手女優としての地位を確立していった。
そんな彼女が音楽界に進出するきっかけは、もちろんジャ・ルールの「Between Me And You」に客演したことがきっかけ。「ジャ・ルールは私のこと知らなかったみたい。でも気に入ってもらえたわ。」コアなラッパーと人気女優の組み合わせの妙が受けて、この曲は見事クロスオーバー・ヒットとなり、その後のジャが歌もの路線へ大きくシフトするきっかけとなった。さらに歌だけではなく、コンポーザーとしての実力を披露したのがJ.Loの「Play」。J.Lo自身もアルバムの中で最もお気に入りというこの曲に、クリスティーナの名前がクレジットされている。そしてここにジャ・ルールとJ.Loとの接点ができ、「I'm Real」のNo.1ヒットにと繋がっていくわけ。 もちろん、これだけ他人に力を貸したら自分でデビューしたくなるのが当然。単なるアイドルではもちろんなく、かといってR&BやHIP-HOPといった枠をも超えたデビュー・アルバムには、アーヴ・ゴッティからアートフル・ドジャーまで多彩な製作陣が顔を揃えた。そこからの最初のシングルがブラッドシャイがプロデュースした「AM To PM」。一聴すると強いビートが単調さを感じさせるが、その裏にはチープなシンセのシーケンスが流れるという二重構造を持ち、Bメロではシンセの方が前面に出る。さらにブリッジではそのシンセが勝手に暴走するような意表をついた展開となる。ちょっと凝りすぎててラジオ受けは難しいかと思われる曲調だが、シングル盤のセールスの伸びに助けられて、無事にTOP40ヒットとなった。(松本) |
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Only In America - Brooks & Dunn |
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こ
の曲のタイトルは「Only In America」。 アルバム『Steers & Stripes』の冒頭を 飾るエレキバリバリのロケンローなナンバーです。アルバムには舵取りを表す牛(彼らのロゴでもある) とあの「赤いストライプ」が描かれています。よくわかんないよと言う人は ここ をクリックするとジャケが見れます。歌詞には曲調どおりほのぼのした雰囲気が漂っています。 1番では、NYのスクールバスの運転手がバックミラーに写った子供たちの顔をジッと見て、彼らの人生を想像するという内容。 ある子供は富や名声を夢見ているかもしれない、だけど結局監獄行きだけの人生に終わるものもいるのかも。 しかしその中には大統領になる奴もいたりして、なんてな具合。 2番では風景変わって、LAの高速を田舎へと下っていくリムジンの後部座席で会話をしている 新婚夫婦の様子が描かれる。新郎はバンドのシンガーだった、新婦は女優になるために上京してきた。 だけど二人は溶接工の息子と、銀行員の娘。今は将来自分たちがなるはずだったスター像を 語り合いながら、オクラホマへ帰るところ、とちょっと皮肉っぽく、しかしいかにも アメリカ的と言える風景がユーモラスに描かれている。
そしてサビでは 追記:この曲がリリースされたのは例の事件の起こる前でした。ごく普通に向こうの日常を描いている 歌詞が、屈折して捉えられるのは嫌なので、なるべくそういう表現を持ち込むのはやめました。 (はまべ) |
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Smooth Criminal - Alien Ant Farm |
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「人
類が実は知的な宇宙人によって繁殖させられていたんだとしたら、凄くないか
?」
ギタリスト、テリー・コーソのこんな矢追純一的発想によってバンド名”宇宙人 ありんこ農場”は決定したのだった、、、。メンバーはドライデン・ミッチェル (ヴォーカル)、テリー・コーソ(ギター)、タイ・ザモーラ(ベース)、マイク・ コスグローヴ(ドラム)の4人で皆カリフォルニア州リヴァーサイド出身。で、肝心 の音だけど彼らの放出するいわゆるへヴィーなサウンドは最近ではニューメタルとも 呼ばれ、ちょっともてはやされているみたい。でも私の印象でいえばカジュアル・メ タルといったところかな。バンド名も軽いノリで決まったみたいだし、メンバーのカ リフォルニア的気質がそうさせているのかもしれないが、へヴィな音の向こうにお気 楽なノリがちらほら伺える。今年(2001年)、スピルバーグとデビット・ゲフィ ンの主催する話題のレーベル"DreamWorks" からパパ・ローチやオージー、スリップ ノットやコール・チェンバーなどを手がけたジェイ・バウムガードナーのプロデュー スでメジャーデビューと相成った次第、、、 うーんすごいんでないの?でもそんな至 れり尽せりのまわりの期待とは別次元に当の本人達の気負いといったものはあまり感 じられない。今曲マイケルジャクソンのカバー「スムース・クリミナル」をカットす るように仕向けたのはプロデューサー側かバンド側かは分からないけど、いわゆる 「パン。茶。宿直」的空耳効果が日本人の私には特に響くためか、やっぱりどこかお 気楽さが漂って聞こえる。以前グランジ全盛シーンでは斜に構えたニヒルな感じがい わゆるメタル界にも幾分か漂っていたが、やっぱりアメリカ人はあまり深刻ぶるのは 耐えられない気質なのかな。 「ファンの前でプレイするとみんな元気になるんだか ら、まるで魔法みたいだよ。自分達のやっている音楽に対しては凄く真剣に考えてい るけれど、その一方で俺達は凄くふざけたところもあるバンドだからね。楽しい部分 はちゃんと保ち続けていきたいのさ。俺達がやっていることは半分冗談か、おふざけ みたいなものだよ。わかるのは俺達だけ、ってこともあるけど」とはフロントマンの ドライデン・ミッチェルの言葉。こんなノリ好きだなあ。(笑)(田鍋) |
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Where I Come From - Alan Jackson |
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ア ルバム"Where Somebody Loves You”からのカット。ミディア ムテンポのいわゆる王道カントリーサウンド。カントリー界ではス ト様(ジョージ・ストレイトのこと)と並び称されるベテランシン ガーという印象があるが、あらためて生年月日を調べてみると1958 年10月17日となっているので意外と若い(?)。(ちなみにスト様は 1952年5月18日生まれ)カントリーシンガーというとテンガロン ハットをかぶった写真がやたらと多い。それゆえよく「疑惑のテン ガロンハット」などといわれるが、彼の場合もアルバムジャケット などではいつも深々とテンガロンハットをかぶっている。私が見た 別の曲のビデオでも野球帽などの多少のアレンジはあっても常にい わゆる「かぶりもの姿」で登場する。いよいよもって疑惑の目が向 けられる彼ではあるが、当meantime会員で昨年アメリカで彼のス テージをみた人の目撃情報によるとステージに登場した彼はオー ディエンスに向かって帽子を取って挨拶をしたとのことでその姿に 特に変わったところはなかったそうです。ファンの方、どうぞご安 心を。(篠崎) | ||||||||||||||||||||
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