PART 7
WU-TANG CLAN (Hideyuki "Knob" Nobusawa)
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●Wu-Tang Clan結成まで
●Wu-TangとKung Fu映画
●Wu-Tang Clan登場時のシーン
●1stアルバムの発売
●ソロ活動
●The RZAとWu-Tang Clan
●2ndの発売と今後
●Wu-Tang Clan結成まで
絶えず大所帯でメディアに取り上げられるWu-Tang Clanのメンバーの範囲をどこまでとするかは諸説入り乱れるが、ここでは、 2ndのWu-Tang Foreverでジャケットに写真入りでクレジットされている9人(The RZA/Prince Rakeem、Genius/GZA、Ol' Dirty Bastard(この3人は従兄弟)、Chef Raekwon、Ghostface Killah(Raekwonの弟)、Method Man、U-God、Masta Killah、Inspectah Deck)をWu-Tang Clan本隊のメンバーとしておく。彼等の結束力は有名で、ファミリーという概念をこれほど感じさせるグループも他にない。Wu-Tang ClanのメンバーはOl' Dirty Batardがブルックリン出身といった例外を除き殆どがNYのスタッテン島出身。その多くが小さい頃からの顔馴染みであり、プロジェクトでの悲惨な生活という共通の体験が根底にある。何もないスタッテン島で悪事以外やることのない彼等がいつしか週末に誰かの家に集まって音楽を聴き、ラップの腕を競いあうようになるのは極めて自然の成り行きだったようだ。そして、The RZAとGZAが91年にそれぞれソロとしていち早くレコードデビューを果たす。まず、GZAがCold Chillin'からThe Genius名義でEasy Mo BeeのプロデュースによりWords From Geniusというアルバムを発売する。GZAはストリート色の濃いHip Hopをやりたかったようだが、レーベル側のヒット重視路線と衝突、結果的にセールスも芳しくなくクビとなった。The RZAはTommy BoyからPrince Rakeem名義でOoh,I Love You Rakeemという12"シングルをリリース、これも自身の意見が反映されなかったもので、すぐにレーベルを追われる結果に。ちなみに、このシングルは現在貴重盤で入手の術はないが、インターネット上のあるホームページでジャケット写真が公開されている。これを見る限りではThe RZA一生の汚点といった内容が推察出来るが、果たして実際の音はどんな具合なのだろうか(情報求む:knob@meantime-jp.com)。契約を失ってスタッテン島に戻った二人の周りに再び仲間が集まると、カンフー映画に見られる精神性をヒントに、大人数のMCの集団という今までにないコンセプトのグループとして音楽活動が本格化する。これがWu-Tang Clanの始まりである。
●Wu-TangとKung Fu映画
ところで、Wu-Tang Clanという奇妙な名前や1stで顕著なカンフー映画趣味は彼等が子供の頃に見ていたカンフー映画に由来する。Wu-Tangは「少林寺式者坊」というカンフー映画に登場する一派「武闘派」のこと(実はWu-TangはMethod Manのステージネームであり、グループ結成時にMethod ManがThe RZAに譲った経緯がある)。最初は彼等もただ格好がいいとからという理由でカンフー映画を好きになったようだが、次第に映画の中の規律、誇り、尊敬、兄弟といった言葉が重要な要素として彼等の心を捉えていったようだ。強い絆で結ばれたファミリー、兄弟のために死ぬ、子供の食事のために人を殺す、映画の中で登場するこういった精神性はプロジェクト(低所得者向け集合住宅)で生活する彼等にとっても極めて大事にされることなのである。自分達のスタッテン島での生活を映画の中の武道家の修業に見立てるWu-Tang Clanのカンフー趣味は販売上の戦略だけではなく彼等なりの必然性があるのである。
●Wu-Tang Clan登場時のシーン
グループ結成後、Wu-Tang ClanはHip Hopシーンで一気に話題に上がり始める。93年の夏頃に彼等が低予算をかけて自分達でプレスを行い、ビデオまでも制作した(現存するとすれば貴重)という自主制作の12インチシングルProtect Ya Neck/After The LaughterがNew Yorkでローカルヒットを記録したのが彼等のターニングポイントだった。当時は西海岸のレーベルDeath Rowに所属していた元N.W.A.のDr.Dreを中心としたG-Funk勢が飛ぶ鳥を落とす勢いだった頃である。西海岸勢に押され、表面的には沈滞気味だった東海岸のHip Hopシーンだったが、東こそがHip Hopの本場と信じ込んでいた人々にとって東海岸からの起死回生の一発となる新人の登場は誰もが望んでいたところだった。Wu-Tang Clanがシーンから熱烈に歓迎された背景には、彼等自身の音が単に優れていただけでなく、東の復権という重要なテーマを担うに十分な素材が待望されていたことが挙げられる。 世間の注目が東に集まろうとしていた中でのデビューは絶妙のタイミングだったのである。
●1stアルバムの発売
先の自主制作シングルの評判を後ろ楯にLOUD Recordsと契約を果たした彼等は、Protect Ya Neckを改めてリリースすることになる。今度はこの12インチシングルのB面に収録したMethod Manが評判を呼び、全米でヒットを記録。彼等の名前が全国的規模で知れ渡ったところでついにWu-Tang Clanとしての1stアルバムEnter The Wu-Tang (36 Chambers)(邦題:燃えよウータン)が発売される。ちなみにこのアルバム、日本でのリリースは大幅に遅れたが、このアルバムの凄さはWu-Tang Clanに関して下地のない日本の各界の人々にもアメリカでのリリース後ほどなくして輸入盤で評判を呼んでいたようで、Hip Hop非専門誌であるミュージックマガジンの93年度ジャンル別BEST10ラップ部門で8位に選出されているほどだ。
このアルバムの衝撃度はメガトン級である。今まで体験したことのないThe RZAの荒々しくもチープでゴツゴツとした音造りは、誰もが初めて聴いたときに頭も体もどう反応してよいか戸惑う。カンフー映画からのSE、燃えよドラコンと少林寺三十六房に由来するアルバムタイトル、Shaolin Sword(少林剣)とWu-TangSword(武闘剣)と名付けたAB両サイドなど随所に見られるカンフー映画趣味。
Wu-Tang Clanファミリーと呼ばれる、どこまでがその範囲なのかわからないくらい大きく、自己増殖を続ける大所帯。さまざまなタイプのMCが入り乱れてたたみかけるマイクリレーによる混沌。これだけ革新性のある要素がいっぺんにブチ込まれているのだから、受け止める側に衝撃を受けるなというのが無理な話である。彼等はその多方面にわたる革新性をもってシーンに大いなる刺激をもたらした訳で、当時から現在に至るまでのシーンの隆盛も彼等によるところが大きいのである。
●ソロ活動
Enter The Wu-Tangの発売の衝撃も冷めやまないうち、今度はソロアルバムの怒涛のリリースラッシュが始まる。94年夏にまずはThe RZAとDe La Soulのプロデューサーとして有名なPrince PaulらTommy Boyに恨みを持つ4人がGravediggazというグループを結成、3 Feet Highならぬアルバム6 Feet Deepを発表、Wu-Tang ClanとPrince Paulのミックスとして大きな話題をまく。そして、The RZAのプロデュースという公式に則ったメンバーのソロアルバムの発売ラッシュが続く。まずは同年暮のMethod ManのTicalがDef Jamから登場、続いて95年に入るとODBのReturn to The 36 Chambers:The Dirty VersionがElektraから、RaekwonのOnly Built 4 Cuban LinxがLoudから、さらにGeffenからGZAのLiquidSwordがドロップされるという怒涛のリリース攻勢。この流れは96年にThe RZA自身のレーベルRazor Sharpから発売されたGhostface KillahのIronmanでとりあえず一段落する。
ここで注目すべきは各ソロ作がそれぞれ別のレーベルから発売されているところである。これはグループとしてのLOUDとの契約にメンバーはグループと離れて自由なソロ活動が出来るという条項が含まれていたから可能になったことで、The RZAの用意周到さがうかがえる。ところでこの間、The RZAは93年のWu-Tang Clanの1stから96年のGhostface Kilalhまでの3年で7枚を制作しており、その創作ペースは想像を絶している。およそペースにして半年に一枚以上というThe RZAの多作ぶり、しかもそのどれもが内容を伴っているのだから恐れ入る。メンバーのソロアルバムが順次発売されるにつれて、各自ソロでのファミリー以外との共演活動も盛んに行われるようになり(「オリジナルアルバム未収録曲ほか」を参照)、95年頃からメディアへのWu-Tang Clanファミリーの露出度が極端に高くなっていく。Mary J.BligeやRedmanと組んだシングルがポップチャートでも大ヒットを記録したMethod Man、Mariah Carey/Fansasyの"12インチシングルで一聴してわかる個性豊かなラップを披露したOl' Dirty Bastardはその最たるところで、コアなHip Hopヘッズ以外のポップスファンにもWu-Tang Clanの知名度が高まっていく。
●The RZAとWu-Tang Clan
メンバーのソロ作を含めたWu-Tang Clanの関係作品のプロダクションを一手に引き受けているThe RZAだが、他のメンバーからの信頼感は抜群だ。メンバーのインタヴューでThe RZAに関する発言を拾うと「The RZAが音楽に関しては全てを仕切ってる、俺は自分のパートをやるだけ」とか「俺は単なるチェスの駒だ」「彼はHip Hop界のモーツァルト」「彼以外にビートを頼む気にならない」といったものになる。実際、1stではトラックはおろかリリックまでも100%手がけた(Raekwon談)そうで、一人であれだけの仕事をこなしてしまえば自己主張の塊のようなメンバー達から信頼されるのも道理だろう。The RZAの創造性は全てに作用しているのである。
●2ndの発売と今後
Wu-Tang Clanの各メンバーがソロでもやっていける技量の持ち主だということがわかってくると、解散説、メンバー脱退説が取り沙汰されるようになったが、そんなを噂を一応払拭したのが97年6月にドロップされたWu-Tang Foreverである。この2ndアルバムはHip Hopとしては2Pacなどに続くCD二枚組、LPとなると四枚組という大作である。Enhanced CDということで、パソコン用のちょっとしたお遊びソフト(New JerseyにWu Masionなるスタジオ兼集合住居があり、ソフトに登場するWu Mansionはこれを模している)が仕込まれていることでも話題になったが、最も注目を集めたのは前作とスタンスを変えたThe RZAのトラックメーキングである。1stで見られたユラユラとつんのめりそうなイビツなトラックは影をひそめ、BPMを落とした重いビートで貫かれた曲が多くなり、整然とした印象を感じさせるようになった。サンプリングの素材の種類は増えたものの、キャッチーな組み立ては行われておらず、俗世間を離れているというか宗教的な香りが漂っている。また、ここではWu-Tang Clanのメンバーでソロ作を発表していない者やこれからThe RZAが売り出そうという新顔が色々とフィーチャーされていることも注目点だろう。これまではファミリーが何人いるかわからない、とされている割にはWu-Tang Clan本隊のメンバー以外は目立った活動がなかったのだが、ここにきて拡張路線へ方針転換したことが明確になった。果たしてこれだけのキャラクターをThe RZAがどう裁いていくのか非常に興味深い。
そもそも、ファミリー以外の外部のアーティストについては既存曲のリミックスこそあれ、プロデュースを行うという他流試合は稀だったことを考えると、そちらのほうも聴いてみたいものである。現在は本隊2ndの発売から少々時が経過して2nd発売当初の興奮もやや沈静化といった状況だが、97年夏のRage Against The Machineとのツアーが中途半端に終わり、今後は再びメンバーのソロアルバムのリリースラッシュが予定されている。現在わかっているだけでも、9月中にGravediggazの2nd、97年中にはMethod Man、Ol'Dirty Bastardの2ndソロがそれぞれ発売されるとのことである。また、新展開として各人自身がアーティストをプロデュースするという話もメンバーの言葉から確認されている。一方、ビジネス面でも、現在はグループでWu-Wearという衣料品ショップを持ち、Wu-Tang Managementというマネージメント会社を持っており、本業以外でもWu-Tang Clanは拡大の一途を辿っている。
Hip Hopシーンのみならずポピュラー音楽界全体の台風の目として彼等の動向は今後も引き続き目が離せない。
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