PART3
ICE CUBE (K.Shinkai)

この手のラッパーとしては珍しく、Ice Cubeの私生活に関する情報はあまり入ってこない。未だにサウス・セントラルの治安の悪い街に住んでいるらしいが逮捕されたとかいう話も聞かないし、日常生活ではおとなしくしているのかもしれない。69年サウスセントラルにO'Shea Jacksonとして生まれる。14歳頃からラップの詞を書き始め、Ice-Tのコンサートを観てプロになることを決意。87年にEazy-Eと共にN.W.A.を結成し、この2人がグループの看板となるが、マネージャーとの金銭トラブルからN.W.A.を脱退。

ソロになったCubeは東海岸のPublic Enemyに接近し、PEの「Burn Hollywood Burn」にゲスト参加したのがソロとしての初仕事。その後PEのプロデュース・チームであるBomb Squadを制作に迎え、1stアルバム「Amerikkka's Most Wanted」を完成させる。タイトルは指名手配中の犯罪者捜索を仰ぐテレビ番組「America's Most Wanted」に人種差別団体KKKの名前を掛けたもので、邦題「白いアメリカが最も望むもの」というのはなかなかうまい(説明的すぎるけど)。ミニアルバム「Kill At Will」の発表を経て女性ラッパーYo-Yoをプロデュースし、ヒットさせている。

そして映画「Boyz N The Hood」に初出演。これが興行的にも大成功、世間の評価も上々ということでCubeは一気に株を上げた。91年3月には長男誕生。キャングスタ・ラッパーに共通して見られる変化として、子供が生まれるとマトモなことを言い始め、おとなしくなる傾向がある。Cubeも次作「Death Certificate」で変化を見せた。前半はこれまで通りの路線の怒り爆発型だが、後半で「黒人達のこれから」に言及している。殺し合いなんて当たり前の世界だからだろうか、彼らは「将来」なんて滅多に話さない。彼らにとってのすべては「今」だ。よく「江戸っ子は宵越しの銭は持たない」なんて言われる。これはたしかに彼らの気質でもあるが、江戸という町は異常に火事が多く、数年に一度は街がほとんど全焼してしまったから、財産なんか持ってでもしょうがなかったという実利的な理由もある。それと同じことではないだろうか。いっ死んでしまうか分からないのだから、「将来」を考えたり「夢」なんか持っててもしょうがない。「今」好きなことをやっておく。これが黒人社会がハマってしまっている悪循環である。それが、自分の子供が生まれることで初めて「将来」を見つめるようになる。

続くアルバム「The Predator」でついにアルバムチャートのトップを制し、シングルヒットも生まれた。これまでの作品よりぐっと腰を据えた作りで、前作での「変化」がさらに進んでいることが窺える。92年から93年にかけて、LA暴動の直後ということでタイトルが変更になり、公開も遅れた映画「Trespass」にIce-Tと共に出演。さらに「Defence」というあまりヒットしてない映画にも出演。

この頃アメリカの極右団体American FrontがIce Cube、Ice-Tの暗殺を計画していたことがFBIの調査で発覚した。これがCubeにとって唯一「命を狙われた」類のニュースで、しかもこれは狙ったのが白人だから、黒人社会内部ではCubeは意外と敵が少なかったように思える。憧れのGeorge Clinton翁の新作への参加を経て、そのClintonもゲストに迎えた「Lethal Injection」を93年末に発表。これがオリジナル・ソロアルバムとしては最後の作品。

その後「Boot1egs&B-Sides」というB面集、各サントラヘの参加、自ら脚本・監督・主演を手掛けた映画「Friday」の制作、Scarface、WCなどのラッパーの作品へのゲスト参加と、それなりに精力的に活動してはいたが、本業の方からはすっかり遠ざかっていた。それが96年に突然Westside Connectionというグループの一員としてシーンに返り咲いた。流石に時代には乗り切れていないが、従来からのファンにはしっかり支持されたようで、無事にシングル・アルバムともにヒットした。

copyright(c) by meantime 1996,1997,1998 all rights reserved.