PART1
Dr.Dre (K.Shinkai)

Death RowとはDr.Dreであり、G-Funkであった。しかしそれもも今は昔。設立者の一人であり、音楽的な原動力であったDr.Dreがその権利をすべて共同経営者であったSuge Knightに委譲し、自らは離脱してAftermathというレーベルを旗揚げした(しかしどうも実際はDreが追い出された、という方が現実に近そうだ)。代わってDeath Rowの稼ぎ頭となったのは2Pac。しかしご存じの通りの不幸で、Death Rowは僅か数カ月のうちに2本の大黒柱を一挙に失ってしまった。嫌が応にも、Death Rowは新しい展開を求められた。ところがどっこいここで残された看板スター・Snoopは独立の動きを見せ、親分のSuge Knightは自ら収監されてしまった。今年は2Pac出演作「Gridlock'd」のサントラをお約東通りチャートの1位に送り込んでおり、表面的にはまだまだDeath Rowも元気がありそうに見えるが、その実体たるや北海道拓殖銀並の危うさと言って良かろう。

Dr.DreことAndre Youngはロサンゼルス郊外のComptonに生まれた。NBAの大スターDr.JことJulius Ervingに憧れ、Dr.Dreと名乗るようになる。子供の頃のニックネームを大人になってもずっと使い続けるのは彼らの面白い特徴だ。高校生の頃からDJに興味を持ち始め、17歳にしてWorld Class Wreckin' Cruの一員となる。後にDre婦人となるMichel'leとはこのグルーブにいる時からの付き合い。このグルーブはファンク/ヒップホップグループとでもいった感じだが、Dreもこの頃はメイクなんかしちゃって半はアイドル気取りだった。想像つかないよなあ。しかし創作意欲の強いDreにとって、自分の作品をなかなか取り上げてもらえないこのグループは不満だった。

84年にグルーブを脱退、Ice Cube、Eazy-Eとの交流を経てN.W.A.結成となる。この順応性がDreの凄いところで、同じComptonの街に住んでいるとは言え、方やメイクをしたアイドル、方やチンピラ・酔っぱらい・売人の集団。たぶん音楽的にホレたから突き進んじゃったんだろうけど、最初はイジメられたんじゃないかなあ。N.W.A.はNigger With Attitudeの略。中心となるのはラッパーのEazy-E、Ice Cube,MC Ren、DJ担当のYella、そしてその両方を手がけるDr.Dre。ごく初期にはArabian Princeなどのメンバーもいたが、まあ基本的こはこの5人。グループ時代はEazy-Eが中心にフィーチャーされ、Dreは裏方的な非常に地味な存在から、作品を重ねる毎に重要な存在になっていく。
Ice Cubeはセカンドアルバムを最後に脱退。その余りのやりたい放題ぶりがFBIを怒らせてしまったり、何かと槍玉に挙げられやすいグルーブだった。Eazy-EとDreの仲違いにより92年頃には解散状態となった。

N.W.A.時代は裏方というイメージが強かったDreは、ソロになってからもラッパーとしてよりはサウンドクリエイター/プロデューサーとして才能を発揮する。92年には経営・Suge Knight、音楽指揮・Dreという分業のもとInterscope傘下にDeath Rowレーベルを旗揚げし、自らのソロデビュー作「The Chronic」を大ヒットさせ、「G-Funk」という言葉(ジャンル)を生み出した。G−FunkのGはGangstaのGだともGhettoのGだとも言われる。WarrenGに言わせれば自分の名前のGなんだろうけど(Dreと腹違いの兄弟であるWarrenGは自分がG-Funkのオリジネイダーであると主張している)。続いてSnoopを爆発的にヒットさせ、完全にG-Funkの時代を築いた。

ラップ史上、何百万枚ものレコードを売った例は案外少ない。ひとつはMC HammerやVanilla Iceなどのフェイク物。ひとつはRun−DMCやBeastie Boysなどロックファンにアピールしたもの。どちらも純粋なヒップホップではなかった。しかしここへ来てDreが見事に極めて純度の高いファンク/ヒップホップでそれをやってのけた。「ラップ発祥の地」の自負があるニューヨークのラッパーたちは、露骨にこれに不満を表した。後発・西海岸の物まね野郎が儲けやがって、と。ラップの東西対立感情に拍車をかけてしまったのは事実のようだ。しかしDreは慕進し続けた。

「Above The Rim」サントラを当てると今度はSnoopの曲にイシスバイアされたという映画「Murder Was The Case」ではDre自らメガホンまで取った一と書っても10数分のミニ映画だけど。この辺までは無敵だった。これ以降もTha Dogg PoundをNo.1に送り込み、Dre自らもシングルヒットを出したりしているが、一時の勢いは明らかに失っている。96年には遂にDeath Rowレーベルを離れると発表。自分が設立し、自分のお陰で巨大な存在に育ったレーベルを捨てるのは並大抵のことではあるまい。特に、自ら発掘してきてレコードデビューさせた若い連中一SnoopやLady Of Rageといった連中と一一緒に仕事ができなくなるのが辛いと語っていた。新たにAftermathレーベルを旗揚げし、とりあえずは顔見せのコンビレーションが発売されたが、まあ正直言って現時点ではまだ未知数(不安含み)といったところか。

(ホームページ掲載時の補足)
その後Death Rowは、配給元だったInterscopeから配給契約を切られてしまい、とうとう純然たるインディレーベルにまで落ちてしまった。しかし拓銀を引き合いに出した私の例えは正しすぎてシャレになってないなあ(この記事の執筆は97年3月)。

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