Masterpieces
Born In The USA / Bruce Springsteen

世間で名高い「名盤」を改めて聴いてみようというこのコーナー、今回は「80年代投票」にあわせて80年代の名盤を取り上げます。(注・本稿はミニコミ版「meantime」第10号に掲載された文章をそのまま掲載しています。以下同様に解釈して下さい)
これぞ80年代という超王道アルバムとは何でしょう。チャートや売り上げから判断すれば文句なしにマイケル・ジャクソンの「Thriller」になるわけで、これは80年代を代表する「事件」であったMTVの普及ともリンクしてることだし、いい題材だと思いました。似たような理由でプリンスの「Purple Rain」もいいかな、と。しかし(アメリカだけで考えた場合)80年代とはどんな時代だったかと考えると、やっぱりレーガンの時代だったんじゃないかな、と。軍拡と、愛国心と、強いアメリカ。田舎者のアメリカ。そういう時代の空気を反映したアルバム(でかつ大ヒットし、世間でも名作として認められているもの)となると、もうこれしかないんですよね。
ブルース・スプリングスティーンの「Born In The USA」。

この作品について書く前に、まずはここに到るまでのスプリングスティーンの軌跡をざっとおさらいしておきましょう。

1949年、ニュージャージー生まれ。父親は工場勤め、刑務所の看守、運転手と、ブルーカラーの仕事を一通り何でも経験した。決して裕福な家庭ではなかったが、とくに貧しいわけでもない、典型的な労働者階級の家庭だった (*1)。少年時代にテレビの「エド・サリヴァン・ショー」に出演したエルヴィス・プレスリーを見て、初めてロックンロールに触れ、夢中になる。母親は彼にギターを買い与えたが、正式なレッスンまでおまけについてきたため、レッスンの退屈さに耐えかねた彼はすぐに挫折。


約5年後、今度は自分で中古のギターを買う。チャック・ベリー、ビートルズ、ストーンズ、アニマルズ、バーズ。そしてロイ・オービソン、フィル・スペクター。彼の音楽性に多大な影響を与えたアーティストたちをお手本に、いくつかローカル・バンドを経験する。そして1972年、大手のCBSとの契約を手にし、翌73年に「Greetings From Asbury Park, New Jersey / アズベリー・パークからの挨拶」でデビューした。しかし作っている最中から本人がその出来に不満をもつような作品で、当時はまったく売れなかった。CBSはスプリングスティーンを「第二のボブ・ディラン」に仕立てるべく大々的に宣伝したが、「ロックンロールをやりたがっている奴にフォークをやらせる」という中途半端なアプローチがまずかった。
セカンドアルバムはその反省を活かして軌道修正がなされたが、ファーストアルバムの宣伝に金をかけた割にはさっぱり売れなかったので、今回の宣伝は最小限に抑えられた。当然これでは、相変わらず無名アーティストのままだった。


この間、彼は猛烈にツアーを続けた。73年1月から74年12月まで丸2年間、ずっと月に10〜15回のステージをこなし、全米をくまなく回った。そのステージは評判を呼び、音楽評論家のジョン・ランドウが有名な文章を残した。
「僕は自分の今までのロックンロールが一瞬のうちに目の前を通り過ぎて行くのを見た。そして、たいへんなものを見たのだ。僕は、ロックンロールの未来を見た。その名は、ブルース・スプリングスティーン」
ランドウは、3作目のアルバムのプロデューサーとして迎えられる。
世間でスプリングスティーンの評判が高まる中、3作目にはじっくりと時間がかけられた。スプリングスティーンは発売予定日が迫っているとレコード会社の人間からせっつかれると、こう応えた。「ちょっと待てよ。発売日は1日だけだ。レコードの中身は永遠に残る」


75年8月に発売された「Born To Run / 明日なき暴走」で、スプリングスティーンは初めてヒットチャートに姿を見せた。84位初登場だった。これまでの2作品が200位にも入らなかったことを思えば、上々の出だしだった。しかし、彼の人気はこんなものではなかった。翌週には一気に8位までジャンプアップし、最終的には3位まで上昇した。
アルバム自体の出来も素晴らしかった(ついでにジャケもかっこいい)。スプリングスティーンって奴は何か凄いらしいぞ、という評判が高まったところで、本当に凄いアルバムをリリースするという最高のシナリオで、彼は一躍スターになった。しかしデビュー当初からのマネージャー(兼プロデューサー)、マイク・アペルとのいざこざは裁判に発展し、その後の創作活動は中断された。ツアーはずっと続けられたが、4作目のアルバムが出るまでにはほとんど丸3年もかかってしまった(年に1枚以上のアルバムを出すのが当然だった当時としてはたいへんなブランクだ)。
78年6月に出た「Darkness On The Edge Of Town / 闇に吠える街」も素晴らしいアルバムで、大ヒットした。 ここで、これまでの彼の作品から、何曲かタイトルをピックアップしてみよう。

「Backstreets / 裏通り」「Spirit In The Night / 夜の精」「Born To Run / 明日なき暴走」「Racing In The Street」「Prove It All Night / 暗闇へ突走れ」「Darkness On The Edge Of Town / 闇に吠える街」「Night / 夜に叫ぶ」「Something In The Night」「Thunder Road / 涙のサンダー・ロード」

「夜」と「ストリート」というキーワードが明確に浮かび上がる。更に、
「It's Hard To Be A Saint In The City / 都会で聖者になるのはたいへんだ」「New York City Serenade」「Tenth Avenue Freeze-Out / 凍えてついた十番街」「Does This Bus Stop At 82nd Street ? / 82番通りにこのバスは停るかい?」「Incident On 57th Street / 57番通りの出来事」

で明らかになるのが、彼が都会に暮らしているということ。それは決して華やかで都会的な生活ではなく、あくまでも「夜」と「ストリート」が描かれるのだが。


都会のストリートで生き抜いていく孤独な男の姿はかっこいいものだが、ともすればそれは一般人には縁のない「詩人」の世界になってしまう。3作目までの彼は「詩人」に近かった。歌詞も散文的だったり抽象的だったりすることが多く、この頃の彼は「都会の裏通りに生きる若き詩人」だったのだという気がする。ニューヨーク・パンクの女王であるパティ・スミスが彼の作品を取り上げたのも(78年の「Because The Night」)彼の視点や物の考え方に共感できたからだろう。
4作目で変化が起き始める。いろんな経験を重ねて精神的に成長した彼は、自分の生活、人生、周囲に生きる人々、それぞれの人生、そんなものが実感として分かってきたんだと思う。作品から気取りがなくなり、暖かさが感じられるようになった。この変化は、次作「The River」で決定的になり、後のスプリングスティーンのイメージそのものとなる。誠実で、優しく、強い男。


ひたすらツアーし続けてきた彼のバンドは、今や月に20回のステージをこなす日々が続いていた。それが、78年12月に終わり、以後、80年10月にツアーを再開するまで、初めての長期の充電期間に入った。
2枚組となった「The River」(80年10月)は、そんな状況で作られたのが納得できる、リラックスして、充実して、ポジティヴな明るい雰囲気に満ちたアルバムだ。ここにはまだ「ストリート」のイメージはあるが、「夜」のイメージは薄れつつある。これは彼にとって初のNo.1アルバムとなり、明るくポップな「Hungry Heart」は初めての大ヒットシングルとなった。スプリングスティーンは「国民的大スター」への道に、一歩踏み出した。


しかし82年9月、自宅で、たった2日間で、アコースティック・ギターとハーモニカだけで録音されたアルバム「Nebraska」が唐突にリリースされた。超大物バンドが音楽業界を牛耳り、音楽産業がどんどん肥大化していく情勢に、大いに波紋を投げかけた。いちばんレコードを売ることができるはずの男が、最も売れそうにない作品を作ってしまった。シングルもリリースされず、アルバムにあわせたツアーもなかった。81年秋に終わった「The River」のツアー後はライヴも散発的にしか行われず、彼は沈黙したかに見えた。しかし84年6月にリリースされた「Born In The USA」で、再び彼の人気は爆発する。

「Born In The USA」。これまで彼が描く世界は、何丁目の交差点だとか、何番通りだとかいう地名が出てくる非常に狭い世界だった。逆にそのリアルな感覚が、リスナーの共感を呼んできた。ここにきて彼は、「アメリカ」という漠然とした、巨大なテーマを持ち出した。
当時、このジャケは「星条旗に小便をひっかけている」のだと噂されたりした。しかし学校で毎朝起立して、教室の黒板の上にある星条旗に向かって誓いを述べさせるアメリカでは、星条旗は、我々には想像もつかないぐらい大きな存在である。日の丸の掲揚を「自粛」してしまうような日本の学校で育った我々は、国旗に何の愛着も感じないし、オリンピックやワールドカップの応援グッズ以上の価値を、そこに見いだせない。
つい最近、公の場で国旗が掲揚されたら起立するかと日米の高校生に問うたアンケートがあったが、起立すると答えたのは日本人では20%にも満たなかったのに対し、アメリカ人は95%を越えていた。彼等にとって星条旗は特別な存在(だと植え付けられたもの)であり、それに「小便をひっかける」のは、日本で例えるなら右翼の見ている前で天皇の写真に小便をひっかけるような、「とんでもない行為」なのだ。

だがそれも何の根拠もない単なる妄言というわけでもない。アルバム冒頭に収められたタイトル曲は、いきなりこんな風に始まる。

死んだような生気のない街に生まれ
歩き始めるとすぐに蹴っ飛ばされた
最後には叩きのめされた犬のようになり
人生の半分は人目を忍んで生きるようになる

アメリカで生まれた
俺はアメリカで生まれた
俺はアメリカで生まれた
アメリカで生まれた

俺はこの町でちょっとした騒ぎを起こしたから
奴らは俺の手にライフルを握らせて
海の向こうに送り込んだ
黄色い連中を殺すために

アメリカで生まれた
俺はアメリカで生まれた
俺はアメリカで生まれた
アメリカで生まれた

故郷に戻って、精油所に行った
雇用係は言った、「私の一存ではどうにも」
退役軍人管理局へ行った
男は言った、「まだ分からんのかね」

俺の兄貴はケ・サンでヴェトコンと闘った
奴らはまだいるみたいだが、兄貴は死んだ
兄貴の好きな女がサイゴンにいた
彼女に抱かれた兄貴の写真を、今も持っている

刑務所の建物の影で
精油所の燃え盛るガスの火の近くで
俺は10年間、煮えくり返る思いで生きてきた
どんづまりだ、もうどこにも行くところはない

アメリカで生まれた
俺はアメリカで生まれた
アメリカで生まれた
俺はアメリカの敗北者だ
アメリカで生まれた
アメリカで生まれた

拳を振り上げてサビを歌う姿を見た、当時中学生だった私は、これはアメリカ賛歌に違いないと思った。「Born in the USA」と歌うことで、彼はアメリカ人であることを誇りにしているのだと思って見ていた。それだけに、歌詞を読んだときのショックは大きかった。こんな曲が大ヒットし、アルバムが爆発的に売れるって、どういうことなんだろう(*2)
しかもこの曲調は、どうにも今までのスプリングスティーンの作風とは違う。彼の書く曲、メロディは、全体がひとつの物語であるかのような流れを持っていた。しかしこの歯切れの悪い曲構成は何だろう。このスプリングスティーンの作品には場違いな、変に華やかなキーボードは、曲の流れを断ち切るような変に力強いドラムスは何だろう。そして、この歌い方。自分の感じたこと、思ったことを聴き手に語りかけるその口調は、ときに感情が盛り上がって叫んだり吠えたりするようになることはあった。しかしこの怒鳴るような、吐き捨てるような歌い方。
すべてが、今までのスプリングスティーンとは違う。

この歌詞を見ていると、ある映画を思い出す。ヴェトナム戦争絡みの映画はたくさんあるが、その中でもとくに「The First Blood / ランボー」の印象と重なる。そういえば、「ランボー」も、シルヴェスター・スタローン主演の他の作品とはまったく違う独特の空気を持っている。マシンガンをばりばりぶっ放すヴァイオレンス・アクションという作りではあるが、どこにも行き場のないヴェトナム退役軍人を演じたスタローンは、他の作品では決して見せることのない重みを感じさせた。

華やかな音色で飾られた「Born In The USA」と、暴力アクションエンターテイメントとして作られた「ランボー」。どちらも「売れ線」ではあるが、その底には非常に重いテーマが流れているという点でも共通している。ああ、そういえばこの頃のスプリングスティーンは妙に腕が太くて筋肉隆々というイメージがあったなあ。そんなとこまで似てたりする。
「ランボー」の続編となる「ランボー/怒りの脱出」は、ちょうどこのアルバムが大ヒット中の85年に公開された。これはもう単なるアクション・エンターテイメントでしかないが、捕虜として敵軍に捕らえられたままの戦友を助けるために、単身敵陣に乗り込むという内容で、時のレーガン大統領が「男らしさ」の象徴として、その演説の中で引用したことがある。
アメリカ社会の暗部を暴き、告発する作品であった「ランボー」の続編が、大統領によって「我々の理想だ」と賞賛され、利用されてしまう。政治家は、自分にとって都合のいい部分だけを拡大解釈し、戦略的に利用し、その作品が本来もっていたパワーを乗っ取ってしまう。
例えば、メキシコでは永年続いた政治家の腐敗に辟易した民衆の中から、エミリアーノ・サパタという指導者が生まれ、彼は自分の民兵を率いてメキシコ正規軍を次々に破りながら、首都を制圧した。しかし彼は民衆の圧倒的な支持を受けていながらも、自分は政治家タイプではない、と、新しい大統領に相応しい人間が現れたら彼に政権を譲るとして、田舎に引っ込んでしまった。サパタは結局政府側の人間にだまし討ちを食らって暗殺されるが、以降のメキシコの政治家は、こぞってサパタの偉功を利用した。「自分こそがサパタの後継者である」。「サパタの意志を受け継ぐのは自分だ」。サパタのイメージの都合のいい部分だけを取りあげ、本来サパタの革命が残したはずの意義を歪めてしまう。そして、サパタの人気だけは利用しようという魂胆だ。
「ランボー」も、スプリングスティーンも、ジョン・クーガー・メレンキャンプも、レーガンによって同じように利用された。本来はアメリカを告発したはずの彼らは、いつのまにか「アメリカのヒーロー」になっていた。そんな彼らと仲良しのレーガンは、彼らの人気を自らの票に取り込んだ(*3)

このアルバムからは7曲ものシングルがカットされ、そのすべてがトップ10ヒットになるという凄まじい記録を作ったわけだが、ファンの間では「つまらない曲から順にカットしていった」などと陰口を叩かれた。とくに最初の3枚、「Dancing In The Dark」「Cover Me」「Born In The USA」は彼らしくない作風だし、アルバム中で最も人気が高く、後のステージでもハイライトとなる「Never Surrender」や「Bobby Jean」などがついにカットされなかったのも不満だった。

今、改めて振り返ってみても、シングルになった曲よりもそれ以外の曲のほうに彼らしい佳曲が多いというのは事実のようだ。アルバム2曲めの「Cover Me」は今までのスプリングスティーンにはなかったタイプのメロディラインで、ちょっとこれを第2弾シングルってのはないんじゃないの?という感は否めない。

ハードな世の中だ
そしてますますハードになっている
厳しい世の中だ
そしてますます厳しくなっている
守ってくれ
カモン、ベイビー、守ってほしい
俺を優しく守ってくれる人を捜しているんだ...

こんな感じの激しい調子のラヴソングなのだが、どうだい、この陳腐さは。そこいらの高校生にも書けそうな詞を、なぜ彼がわざわざ作品として世に出したのかがわからない。しかもシングルカットして、その後のライヴ盤にも収めたりしてるから、結構お気に入りなんだろうなあ。

それにひきかえ3〜5曲めはシングルになっていないが、従来の彼らしい佳作が並ぶ。労働者階級の視点で、彼らなりの楽しみや悩みを歌う。ニューヨークから車を飛ばして田舎町まで友人と二人やってきた彼。楽しくて、ハメをはずしたくてしょうがなく、ウキウキしてる様子が描かれる、「Darlington County」。

ダーリントン郡へ行くところ
俺とウェイン、独立記念日に
ダーリントン郡へ行くところ
郡境あたりで仕事を探しに
ニューヨークからはるばるドライブしてきたんだ
ニューヨークの女は綺麗だが
名前を聞く以上の関係は望まない

ダーリントン郡へ行くところ
ウェインの叔父さんは組合にコネをもってるんだ
800マイルもドライブしてきたのに
お巡りは一度も見かけなかったよ
車の屋根が吹っ飛ぶぐらいにボリュームをあげて
ロックンロールを聞いてきた
一緒に歌いながら

シャララ シャラララ...

ヘイ、そこに立ってるお嬢ちゃん
今日はあんた、ほんとにラッキーだぜ
俺たち、ニューヨークから来たんだ
200ドルも持ってるんだ 一晩中ロックしようぜ
なあ、あんたの目の前にいるこの二人は金払いがいいんだ
俺とウェインがやるのは 世の中が想像もできないようなデカいこと
俺たちの親父はそれぞれ世界貿易センターをもってるんだ
微笑んで、キスしてくれたら
それもみんな 君にあげちゃうよ
さあベイビー、乗りなよ 今夜は長い夜になるぞ
俺とあんたで、他に何しようか

シャララ シャラララ...

あの娘は窓辺に座ってる
俺の相棒にはもう一週間も会ってない
保安官も同じことを言うだけだ
あいつ、どうせ働いてないだろうから金もないだろうに
なあお嬢ちゃん、あんたは若くて綺麗だ
一緒に来れば、思い通りにさせてやるよ
ダーリントン・シティを出て、ディキシー・ハイウェイを下っていこう

ダーリントン郡を出るとき
まったく信じ難いものを見ちまった
ダーリントン郡を出るとき 俺が見たのは
州警察の車のバンパーに
手錠でつながれたウェインの姿

シャララ シャラララ...

彼らなりにスケールのでかい嘘をついて女の子をひっかけようとしてみたり(「俺たちの親父はワールド・トレード・センターのオーナーなんだぜ」(*4)、「俺たち200ドルも持ってるんだぜ、今夜は一晩中ロックンロールだ!」という、60年代を描いた映画みたいな台詞も出てくる。ふつうの若者たちが楽しくってしょうがない、という様子を描いただけなのだが、これが、聴いているほうまで楽しくなってしまうような素晴らしい躍動感なのだ。最後のオチについても、まあどうにかなるんだろうと楽天的に考えられるのは、このポジティブで解放感に溢れた曲調によるものだろう。 次の曲、「Working On The Highway」も、「Darlington County」の主人公と同じような、しがない労働者階級の男。どの曲も、その物語の主人公は「he」や「him」ではなく「I」や「me」として描かれるのだが、それはスプリングスティーン本人の体験というよりは、いろんな男の人生の物語を聞いたスプリングスティーンが、彼らの体験談を自分なりにアレンジして、歌にしているんだろうな、と思わせる。
いや、こんなのは当たり前のことで、スプリングスティーン本人がそんなに色んな体験をしている筈はない。重要なのは、「いろんな男の人生の物語を聞いた」(のではないか)というところだ。自分の頭の中だけで勝手に物語を作り上げたのではなく、誰かが本当に体験した話ではないかと思わせるところ。ふとした細かい描写や、あくまでも「日常生活」の域から飛び出さない現実的な設定であることが、これは本当にあった話ではないかと思わせる。それは、トム・ウェイツの初期の作品にも通じるものだ。
これが、先に書いた「Darkness On The Edge Of Town / 闇に吠える街」以降で彼が見せた変化の結果だ。たとえば、「変化」の前の例として、かの有名な「Born To Run / 明日なき暴走」の冒頭を引用してみよう。

昼間はストリートで どこかへ消えてしまった
 アメリカン・ドリームを待ちわび
夜は自殺マシーンに乗って 栄光の館を走り抜ける
ハイウェイ9でカゴから飛び出し
クローム・ホイールでガソリン満タン
そして、一線を踏み出す
ベイビー、この町はお前の背骨を剥ぎ取っちまうぜ
それは死のワナ、自滅のワナだ
俺たち、若いうちに抜け出さないと
俺たちみたいな放浪者は 突っ走るために生まれてきたんだから

何となく言いたいことは分かるものの、非常に詩的で、万人の共感を得られるようなものではないし、誰かに語りかけているというよりは、スプリングスティーンの独白という気もする。ファーストアルバムの頃なんかもっと凄くて、

真夜中 俺は 自分の仮面舞踏会の中で
宙づりになって 石のように立ち尽くしていた
きちんと髪をとかして
夜の軍団を指揮した
俺は傷つきやすく 雨に阻まれ
曲がった松葉杖をついて歩いた
死の灰が降るあたりを 一人きりで放浪した
そして傷つけられていない魂を世に出した
俺は群集の曇った憤りの中に隠れたが
奴らが「座れ」というと 俺は立ち上がった
オー、成長するってことは
(Growin' Up / 成長するってこと)

こうなってしまうと何が何やらわからない。スプリングスティーン本人以外にはそれぞれの言葉が何を意味しているのか正確には理解できないだろう。こういう抽象的な詩は、聴き手がイマジネーションを働かせてそれぞれに独自の解釈をするという楽しみ方もできるが、しかし、この気取りの感じられる言葉の選び方なんかが鼻につくことも確かだ。 これらの詩からはイマジネーションの世界を感じることはできても、現実の人生を感じることはできない。この変化があったからこそ、スプリングスティーンは何百、何千万人の支持を受ける大スターになり得たのだし、「ボス」と呼ばれて親しみを持ってもらえたのだ。アメリカの音楽ライター、ポール・エヴァンスが書いたように、「スプリングスティーンは、コカコーラと同じぐらいビッグになった」のだ。

金曜の夜、給料日 男たちはちょうど仕事からあがったところ
汚れを洗い落としながら、みんな週末のことを話している
家族のところに帰る奴もいるし、
ケンカを探してる奴もいる
わざわざもめ事を求めてストーヴェルまで行く奴もいる

俺は郡に雇われてルート95で働いている
一日中赤い旗を振って、車が行き過ぎるのを見ている
頭の中ではかわいい女の子のことを考えながら
いつかは、こんな仕事とはおさらばしてやるよ

ハイウェイで働いて アスファルトをしいて
ハイウェイで働いて 一日中休む間もなく
ハイウェイで働いて 床岩を打ち砕いて
ハイウェイで働いて ハイウェイで働いて

ダンス・ホールで彼女に会った
彼女は壁に背を向けて 兄貴たちと立っていた
時々俺たちは線路づたいに散歩した
ある日彼女を見つめたら、彼女も見つめ返した

だから俺はハイウェイで働いて アスファルトをしいて
ハイウェイで働いて 一日中休む間もなく
ハイウェイで働いて 床岩を打ち砕いて
ハイウェイで働いて ハイウェイで働いて

俺はできるだけ無駄遣いせずに貯金して
彼女の父親に会いに行ったが
お互いにあまり話すことはなかった
「わからんかね、娘はまだ若すぎる
世の中の厳しさについてまだ何もわかっちゃいない」

俺たちはフロリダに逃げて 仲良くやっていた
ある日彼女の兄貴たちがやって来て
彼女を連れ戻して 俺はパトカーに乗せられた
検察官はあの日の言葉通りに物事を進め
裁判官は怒って すぐに俺をぶち込んだ
毎朝、合図の鐘の音で目が覚める
俺と看守はシャーロッテ郡の
 道路工事現場へ急ぐ

俺はハイウェイで働いて
 アスファルトをしいて
ハイウェイで働いて 一日中休む間もなく
ハイウェイで働いて 床岩を打ち砕いて
ハイウェイで働いて ハイウェイで働いて

これも「Darlington County」同様、アンハッピー・エンディングなのだが、後味の悪さを残さない。それは、曲調が軽快なことと、語り口が終始淡々としていることによる。「いい子がいないかな」と思いつつ働いている最初のサビの部分と、いい子を見つけて、彼女の為と思って働いている2番目のサビと、最後の受刑者として働いているサビとが、どれも同じように歌われるのだ。それは、無表情なのではなく、「人生ってこんなもんだよな」というある種の悟りなのだ。だから、アンハッピー・エンディングなのに、曲調もボーカルも妙に活き活きとしているのだ。悲劇の男の物語ではなく、人生を悟った男の物語だから、聴き手のほうにもダウナーな部分が伝わってこない。
しかし次の曲、「Downbound Train」になると、また少し雰囲気が違う。これは、ある男の思いっきり悲しい物語だ。

仕事もあったし 女もいた
俺には人生ってもんがあった
製材所を解雇されて
俺たちの愛情はおかしくなりはじめた
辛い時期がやってきた
今俺は洗車場で働いている ずっと雨ばかりだ
なあ、ダウンバウンド・トレインにのってるような気分がしないか?

という出だしなのだが、これは全文は引用しないでおく。物語の内容を知らないで聴いたほうが、味わい深いと思うから。
ダウンバウンド・トレインとは中心地から遠ざかるという意味での「down」、つまり「下り列車」なのだが、ここでは気分が落ち込むという意味の「down」がかけられている。また、考えようによって色々な意味に解釈でき、同じフレーズでも曲の頭と最後では微妙に意味が異なっていることに注目したい。
サビで同じフレーズをくり返すというのは、ロックではごく当たり前の手法だが、何度も繰り返し登場するそのフレーズそれぞれに、同じ意味を持たせたのが前曲「Working On The Highway」で、字面の上では同じ言葉ながら、曲の冒頭と終盤でそれが意味するところは微妙に異なるのが「Downbound Train」だ。
物語の構成上、曲が始まってから1分程度でサビが2回出てくるが、その後は曲の最後まで、サビのフレーズは出てこない。この、長いつなぎの部分が、この曲の聞かせどころであり、ストーリーテラーとしてのスプリングスティーンの真骨頂なのだ。サビによる流れの中断をなくし、たたみかけるように一気に聞かせる物語の展開に、ぐいぐいと引き込まれる。もちろんスプリングスティーンのことだから、推理小説みたいな大どんでん返しの大掛かりな展開があるわけではないので過大な期待をしちゃいけないけど。

これまでの後味爽やかな曲と違って、「Downbound Train」はだいぶ余韻を残す。そこに、軽い小品という感じの「I'm On Fire」が流れてきて、重い余韻をいくらか中和させてA面が終わる。
と、「I'm On Fire」はその程度の存在としか思ってなかったので、これがシングルカットされた時にはびっくりしたなあ。こんなん売れるわけねーだろ、とは思ったものの、あの頃の爆発的スプリングスティーン人気なら、何をカットしてもヒットは約束されていたので、これも6位まで上がるヒットとなった。まあ確かにアルバムの流れの中ではなく、単独で聴いてみて、悪くない曲ではあるが、工夫のなさすぎる歌詞も曲も、あまり感心できない。
(これをとても良くできた曲だと評する意見があることも、一応記しておく)

LP時代のレコードの作り方には、いくつかパターンがあった。よくあるのは、A面の1曲目に「目玉」をもってくると同時に、B面の1曲目にも同じぐらいの目玉を用意するパターンだ。プログレのアーティストなどは、20数分でどうしても一旦レコード盤をひっくり返すための中断を入れなくてはいけないのを煩わしく思ったかもしれないが、多くのアーティストはその中断を「仕切り直し」として、全体の流れの展開にうまく利用した。
このレコードも、A面をしみじみと終わらせて、B面は仕切り直される。おそらくファンの間ではアルバム中で最も人気が高く、ライヴでもハイライトとなるロック・ナンバー、「No Surrender」の登場だ。

ややドラマチックすぎる歌詞が、80年代という時代を感じさせる。あの頃は、これが許されたのだ。それは映画俳優が大統領を務める時代ならではの、ドラマ性と純真さだ。あの頃、この歌詞がかっこいいと感じられたのは、私たちが幼かったからではなく、時代の空気がそう感じさせたのだと思う。
強さ、勇気、ひたむきさ、純真さ、国や家族を守るという気負い、不屈の精神。レーガンの時代に「美しい」とされた、すべての要素がこの曲の中にある。そう、この曲の欠点は、そう解釈できてしまうスキがある点なのだ。冒頭でいきなり

俺たちは教室から逃げ出した
あの馬鹿どもとは
 これ以上付き合いきれなかった
俺たちが今までに学校で習った
 すべてのことより
3分間のレコードから多くのことを学んだ

基本的に、どんな相手にも理解を示し、(歌の中で)優しく接するスプリングスティーンだが、ここでは「馬鹿ども(fools)」という、彼にしてはかなりキツい表現が使われる。それだけに彼の思いの強さが伝わってくる。体制に縛られてたまるか、という歌なのだ。サビの

俺たちは約束し、いつまでも
 忘れないと誓いあった
決して退却しない、
 決して降伏しないということを
守り抜くことを誓った 冬の夜の兵隊のように
俺たちは決して逃げ出さない 
決して諦めはしない

という決意も、当然この冒頭の流れから、何を「守る」のか、何に対して「諦めない」のかを解釈するべきなのだ。しかし、この冒頭の4行以外に、「何に対してNo Surrenderなのか」が出てこないのだ。注意して聴いていないと、この曲の本当のテーマ、本当に言いたいことを聴き逃してしまい、それはもう二度とくり返してはもらえない。
この事実が、この曲をみんなが好き勝手に解釈するというスキを与えた。何だかはっきり分からないけど、力強くて勇気づけられる歌、というのが一般的な解釈だろう。
ちょっと産業ロックしてるアレンジが時代を感じさせるが、それでもこの曲が説得力を失わないのは、「No retreat, baby, no surrender」という一番強い決意表明の部分で、敢えてだんだんと音階の下がっていくメロディを採用し、派手さよりも重さを感じさせるからだろう。この後リリースされたライヴ盤「Live 1975-1985」でしみじみとした弾き語りのアコースティック・バージョンが披露され、優れた楽曲であることを再確認させた(当時は、このかっこいい曲はぜったいオリジナルのアレンジで演って欲しかったと不満に思ったものだが)。
続く「Bobby Jean」も、今となってはアレンジがやや古めかしく聞こえるが、当時この曲の歌詞を読んで妙に感動した中学生・高校生は少なくあるまい。

こないだ、お前の家に寄ったんだ
お袋さんが言った、お前は出ていったって
俺にもどうにもできなかっただろう、
誰にも何も言えなかったって

俺とお前は16の時からずっと友達だった
知っていれば良かった
せめて電話でもして
さよならを言いたかったよ、ボビー・ジーン

他の連中が顔を背け、鼻であしらっても
お前は俺と付き合ったな
俺達は同じ音楽が好きで、同じバンドが好きで、
同じ服が好きだった
お互いに言ったよな、俺達がいちばん
ワイルドだって
今までこんな奴見たことないって
俺に打ち明けてくれれば良かった
お前と話ができたら良かった
せめて、さよならを言いたかったよ、
ボビー・ジーン

雨の中を歩きながら
俺たちが背を向け続けている世界から受ける
 苦痛について議論したよな
もう、お前みたいに俺のことを
理解してくれる奴は
どこにもいない

多分お前は今、汽車か、
バスで旅をしてるんだろう
どこかのモーテルの部屋でラジオをつけて、
俺がこの歌を歌ってるのを聞くかもしれない
もしそうなら、
わかるだろう、俺はお前のことを考えてるって
俺とお前の間の長い距離のことを

最後に一度だけ呼びかけるぞ、
いや、お前の考えを変えるためじゃないよ
ただ 言っておきたかったんだ
お前のことを思ってるぜ
元気で、じゃあな ボビー・ジーン

ううん、こうして文字だけにするとわざとらし過ぎるなあ。でも、この、本当に友達に呼び掛けるようなスプリングスティーンの歌い方には、今でも半分ぐらい「この曲は実話なんじゃないか」と思わされたりする。リスナーの支持が頂点に達し、「ボス」としての堂々とした佇まいが決まっていた、当時の彼だからこそ歌えた曲だ。

残りの4曲はいずれもシングルとしてヒットした曲。従って私に言わせればこの2曲よりは劣る。
まず3曲めの「I'm Goin' Down」。つきあい始めてしばらく経ち、倦怠期に入った恋人が、つれない仕草で俺を落ち込ませるぜ、という感じの内容で、ちょっとコミカルな感じに歌われる。まあ軽い息抜きソングとしては悪くない。
続く「Glory Days」は、このアルバムからのシングルで私が唯一好きと言える曲。

友達で、高校時代に野球の
 名選手だった奴がいた
あいつが投げる速球といったら
相手選手が間抜けに見えるほどだった
ある日、この通り沿いのバーで奴にばったり会ったんだ
俺が入るところ、奴は出るところだった
俺たちは中に入って 何杯か飲んだ
でも奴がずっと話し続けたのは

栄光の日々
そんなの、通り過ぎていっちまうもんだよ
栄光の日々
女の子がウインクしてる間にね
栄光の日々 栄光の日々

1ブロック先に住んでる女がいる
学生時代は 男は誰でも
 彼女が通ると振り向いた
金曜日の夜は時々 彼女のところに寄って
子供を寝かしつけた後の彼女と 
何杯か飲んだりする
彼女と旦那のボビー ああ、離婚したんだ
もう2年になるかな
俺たちはただ昔話に花を咲かせる
彼女は言った、悲しくて泣きたい気分のときは
思い出して、笑うようにするの

栄光の日々を
そんなの、通り過ぎていっちまうもんだよ
栄光の日々
女の子がウインクしてる間にね
栄光の日々 栄光の日々

俺が年をとったら そんなこと考えていたくはないけど
きっとそうしてるんだろうな
何もせずに、ただ過去の栄光を
 少しでも取り戻そうとして
でも残ってるのは
退屈な過去の栄光の昔話だけ

栄光の日々
そんなの、通り過ぎていっちまうもんだよ
栄光の日々
女の子がウインクしてる間にね
栄光の日々 栄光の日々

「過去の栄光」にしがみつくことの惨めさ、滑稽さを歌いつつも、彼らを突き放すことなく、「俺もきっと年とったらそうしてるんだろうな」と締める。非常に明るい曲調で、くよくよした悩みなど一喝して笑い飛ばしてしまうような「ボス」の頼もしさが、ちょっと突き放すように歌ってるけど、よく本当はわかってくれてるんだよな、という安心感を生み出す。
歌い方ひとつで、相当辛辣な歌にも成り得るが、まさにここが、彼が庶民のヒーローになり得た所以だろう。既に大スターでありながら、みんなと同じ地平に降りてきて、誰にでもわかる言葉で誰にでもわかる平易な物語を聞かせる。その物語は示唆に富み、ユーモラスで、暖かみがある。そして、何よりも、明るくて活力に満ちている。見事なまでに説教臭さ、当てつけがましさがない。
例えば同じテーマでキンクスやスミスやパルプに曲を書かせたら、イギリス人ならではの辛辣な皮肉に満ちた曲を書いているだろう(その裏にとても人間くさい弱さが見え隠れして、共感せずにはいられないのが彼らの一流たる所以だが)。
こういう調子の曲が多い中、最大のヒットシングルである次の「Dancing In The Dark」は、ちょっと雰囲気が違う。

夕方になって目を覚ます 何も言うことはない
朝になって家に帰る 
同じ気分のままベッドに入る
ただもう、疲れた
俺はもう自分に疲れたし、飽き飽きしたよ
なあ、ちょっと手を貸してくれないか

You can't start a fire
You can't start a fire without a spark
This gun's for hire
Even if we're just dancing in the dark

メッセージはだんだんはっきりとしてきた
ラジオをつける 俺は落ち着かない
鏡に自分の姿を写した
俺はこの服も、髪も、顔も変えてしまいたい
俺はどこへもたどり着けない
このゴミ溜めからは抜け出せない
どこかで、何かが起きているのは
 分かっているが
俺はただその事実を知っているだけ

You can't start a fire
You can't start a fire without a spark
This gun's for hire
Even if we're just dancing in the dark

サビは敢えて訳さなかった。このアルバムの他の大部分の歌詞と違って、この部分は比喩的である。明解な「物語」を聞かせるパターンの曲が多い中で、この曲はサビの言葉の意味を自分で解釈しないといけない。
以前のスプリングスティーンとは違って、このアルバムでは一貫して田舎の生活が歌われる。アメリカの2.5億人余りのうち、ニューヨークなどの大都会に暮らすのはほんの数千万人で、つまりアメリカ人の大半は田舎暮らしということになる。そんな田舎暮らしをしているからこそ生まれる焦り。毎日が平穏無事に過ぎて行くが、それでいいのか。どこかで、誰かが、刺激に満ちた生活を送り、何か「意味のある日々」を送っている。それは分かっている。でもそれ以上のことは分からない。自分はどうしたいのか、どうすればいいのか。漠然とした焦りが彼を虜にする。「I check my look in the mirror / I wanna change my clothes, my hair, my face / Man, I ain't getting nowhere just living in a dump like this / There's something happening somewhere / Baby I just know that there is」という描写のなんと見事なことか。
あの大会場でのライヴ・シーンで、最後にファン(に扮するサクラ)の女の子をステージに上げて一緒に踊るプロモ・ビデオのイメージがオーヴァーラップしてしまうと、ちょっと理解しにくいかもしれない。暗闇でダンスする(ダンスは性行為の隠喩でもある)陽気な歌ではないのだ。

俺は8歳だった 手に10セント玉を握って
バス停まで走った
親父のお使いで新聞を買うために
親父のビュイックに乗って
親父の膝の上で一緒にハンドルを握った
俺の頭を荒っぽくなでながら 親父は言った
よく見ておけ、
これがお前のホームタウン
これがお前の故郷
これがお前の故郷

65年 高校では緊張が高まった
白人と黒人の間で年中もめ事が起きた
どうすることもできなかった
ある土曜日の夜、2台の車が信号で停まった
バックシートにはショットガン
言い争いが起き、ショットガンが火を吹いた
苦い時代がやってきた
俺のホームタウンに
俺の故郷
俺の故郷

メインストリートに面する窓には水しっくいが塗られ
店はからっぽ 
誰もここには来たがらない
線路の向こうの織り物工場も閉鎖される
工場長は言った
この工場はどこかへ移転する
ここには戻ってこない
お前たちのホームタウンには
お前たちの故郷
お前たちの故郷

昨日の夜 俺とケイトはベッドで話した
この町を出ることを
荷物をまとめて 南部にでも行こう
俺は35になった 今は自分の息子がいる
昨日の夜 息子を運転席に座らせて言った
よく見ておけよ、
これがお前のホームタウン
お前の故郷
お前の故郷

これは、荒廃する大都市を嫌い、どんどん郊外の住宅地に進出していった白人中流階級の心を見事に捕らえる内容だ(*5)
東京のような、何でもある大都会に暮らしているとそういう発想が湧かないが、日本でもまだまだ多くの場合、仕事というのは自分の家から通える範囲で探し、人生の大部分を「地元」の中で過ごすものである。私は千葉の中でもかなりの田舎育ちだが、中学時代の同級生のうち、東京の大学に進んだのも、就職したのも私だけで、殆どの者は地元に残っている。そして、おそらくは、その地元の中で一生を終える。久しぶりに彼らに会うと、彼らは私を「成功者」として扱い、多かれ少なかれ敬意をもって接してくれる。しかしそこには「よそよそしさ」がある。もはや私は彼らの世界の人間ではないのだ。
ジョン・クーガー・メレンキャンプは「Small Town」の中で、田舎暮らしを、一生を小さな田舎町で終えることを誇りにすると歌っている。街にはいっぱい色んな楽しみがあるけど、俺にはやっぱりこの田舎町が合っているし、この町のみんなも俺を受け入れてくれる、と。
「My Hometown」で歌われる主人公は、そこまで地元に無条件の愛着を感じることはできない。おそらくは比較的新しい都市郊外の住宅地で、「よそ者」同士が集まった若いコミュニティなのだろう。治安が悪くなってくれば、これ以上ここに留まる必然性はない。元はと言えば、自分も「よそ者」なのだから。
タイトルは「My Hometown」だが、サビで実際にそう歌われるのは「Troubled time has come, to my hometown」の部分だけで、あとは「Your Hometown」と歌われる。「My Hometown」という表現には、どこかアイロニカルな意味が含まれているようにも感じられるのだ。確かにここは俺が生まれ育った故郷だ。でも、俺が自分で選んだわけじゃない、という。
おおかたのアメリカ人は、これを「地元を愛するホームタウン賛歌」だと解釈しているだろうが、これもまたそれほど単純な曲ではない。

こうして見ると、大半の曲の歌詞は「諦め」や「迷い」について歌っている。スプリングスティーンはそれを明るく笑い飛ばしているが、文字だけで見るとその歌詞はかなり暗く、深刻だ。
そこで改めてこのアルバムの位置付けを思い出してみる。「The River」までひたすら昇り調子で来て、「Nebraska」という異色作を出して、このアルバムでまた元の路線に戻ったというのが一般的な解釈だろう。しかし、「Nebraska」を異色作として片付けるか、彼の重要なステップの一つと見るかで、このアルバムの位置付けも変わってくる。やっぱり実際には後者だと思う。ただ盲目的にポジティブなのではなく、ポジティブに考えなきゃやってらんないから、ポジティブなのだ。そして、自分がそうすることによって、何百、何千万というリスナーにもそのポジティブなエネルギーを分け与えた。辛いこと、悲しいことといった「負」の要素を笑い飛ばし、ポジティブな要素へと変換させる為には莫大なエネルギーが必要だ。
本作で、スプリングスティーンは燃え尽きてしまったように見える。

アメリカの大統領は、「尊敬される存在」である。少なくとも、かつてはそうだった。アメリカの大統領であることはすなわち世界の大統領であることを意味し、全世界がその一挙一動に注目する。彼らは自国の利益のために闘い、国を豊かに、大きくしてきた。
ニクソンが、そんなイメージを壊してしまった。小心者で神経質で嘘吐きの大統領。失策ばかりを続けたわけでもないのだが、国民はウォーターゲート事件で彼の全人格を否定するような烙印を押した。
ニクソン辞任によって棚ボタ式に大統領に就任したフォード、「素人政治家」と呼ばれたカーターと続き、カリスマとは縁のない大統領が続いた。もはやアメリカ大統領も政治家の一人でしかなく、特別な尊敬の念をもって扱われることはなかった。
80年、レーガンが圧倒的大勝利で大統領に就任。彼は社会保障費や文化事業費を大幅削減し、法人税や高額所得層の所得税を減税した。強い者がより強く、弱い者がより弱くなった。当然、弱い者の声は小さいので、アメリカ全体が元気になったかのような錯覚を起こさせた。将来の資産を食いつぶし、財政赤字を膨らませながらもアメリカは経済的に、軍事的に肥大化した。
「Born In The USA」が出たのは、そんな時期だ。「弱い者」たちは、自分たちのヒーローが現れたことに喜び、「強い者」たちは何とかこれを利用しようとした。「Born In The USA」は単なる音楽ではなく、80年代のアメリカの社会そのものなのだ。
レーガンの任期満了直前の87年、ニューヨークの株式が大暴落し、不況が訪れた。無理のある経済政策を続けてきたのだから当然の結果だった。ここで初めてプロの政治家であるブッシュが登場し、経済の立て直しに入るが、彼はレーガンのようなヒーローにはなり得なかった。アメリカが求めているのはプロの政治屋ではなく、カリスマ性のあるヒーローなのだ。
ブッシュは政治家としては非常に優秀で、レーガン時代に溜まった膿を全部処理し、後はその効果が現れるのを待つ段階まできた。ところがここで、若造のクリントンに大統領の座を奪われてしまう。パフォーマンスの下手なブッシュの痛恨のミスだった。ブッシュがすべてお膳立てしておいてくれたお陰で、クリントンは何もせずに史上最高の好景気を謳歌し、それがまるで自分のお陰であるかのように振る舞うことができた。しかしクリントンも、ヒーローとはほど遠かった。同じ無能でも、レーガンのように国民にポジティブなエネルギーを分け与えることはできなかった。
そういえば、この時期のスプリングスティーン以降、1000万枚のアルバムを売るメガ・ヒット作はたくさん生まれているが、これほど全国民の人気を集めるカリスマ性のある大スターって、まったく生まれていない気がする。

本作の後、スプリングスティーンは5枚組ライヴ盤(CDでは3枚組)というとんでもない代物をリリースし、ひとつの区切りをつけた。87年のオリジナルアルバム「Tunnel Of Love」もNo.1になり、大ヒットはしたものの、もはやそこには本作のような力強い「ボス」はいなかった。2枚同時にリリースされた「Human Touch」「Lucky Town」もどこか煮えきらない出来だったし、その後の「The Ghost Of Tom Joad」は「Nebraska」を思わせる、味わい深くはあるが非常に地味な作品だった。


(完)


March 1998, Kazuyuki Shinkai (kaz@meantime-jp.com)


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