| Masterpieces |
It Takes A Nation Of Millions To Hold Us Back / Public Enemy ラップというジャンルがアルバム制作に本腰を入れ始めたのは80年代の後半から。だから、現在までわずか10年ほどの歴史しかない。その中にはラップファンの間で名作ともてはやされているものも少なくないが、その多くは世間で言われているいわゆる名盤のように音楽的に評価されているというよりは、ラッパーやDJの「スキル」による評価である。「音楽的完成度が高い」と言うより、単純に「かっこいい」とでも言うべき作品が大半だ。もちろん、かっこいいものは素直にそのかっこよさを味わえばいいのだが、困ったことにラップのかっこよさは、ある程度ラップやR&B〜ファンクを聴き込んで、「体で感じる」ようになれないと、分からないような気がする。日頃ロックばかり聴いている人がいきなりGang StarrやMobb DeepやNasの1stなんかを聴いても、その魅力は充分には伝わらないと思う。 ところが例えばDe La SoulとかDr.Dre関係とか、Public Enemyなんてのは、ロックしか聴かない人でも聴けてしまう。黒人音楽の徹底排斥・差別主義を貫く(笑)ロッキング・オン誌でさえも、今挙げたような人たちはたまに申し訳程度に取り上げられることがある。その違いは、単なる「音楽性」とか「歌詞の内容」などという、一言で片づけられる違いではない。以下、その辺の説明も交えながら。
コンサートのオープニングの模様のライヴ録音で始まる。往年のソウル系のライヴのように、MC(ラッパーではなく司会者のほうの)がとりあえず会場を盛り上げる。歓声にかぶさって空襲警報のようなサイレンが鳴り響き、隊長とでも言うべきプロフェッサー・グリフが軍隊調のかけ声をかけながら、(音は聞こえないけど)軍服姿にマシンガンを抱えたS1W(MC兼ダンサー)がステージに登場。 Public Enemyはニューヨーク・ロングアイランドの出身。もちろん彼等も「地元意識」を露にすることがあるが、その視点はもっと遠くを見ている。あくまでもアメリカの黒人社会という「身内」の世界に閉じこもったイライジャ・ムハマド率いるネイション・オブ・イスラム。一方、そのやり方に限界を感じ、アフリカ黒人と連帯して世界中の黒人たちで団結して国連に訴えようと動き回ったマルコム・Xとの違い。同じ違いを、Public Enemy(や、今のNasなど)と他のラッパーたちの間に見ることができる。クイーンズの「地元ラッパー」を聴いて、どんなにかっこいいと感じても、しょせん我々は部外者としてしかその音楽を楽しむことはできない。クイーンズに引っ越してもダメ。黒人じゃないし、裕福だから。彼等自身はちっともそんなつもりはないかもしれないけど、しょせんは「選ばれた者だけのための」極めて閉じた世界の音楽なのだ。彼等自身がインタビューなどでグローバルな姿勢を見せ、コンサートのために日本にやって来たとしても、彼等の「音」そのものが我々が奥深くまで立ち入ることを拒んでいる。
「ラップは言葉がわからないから楽しめない」と言う人は少なくない。しかし、実はそうではないと思う。アメリカとの間に「言葉の壁」がないイギリスを見るとよくわかる。イギリスで受けるアメリカのラップには一定の傾向があるのだ。ポップで非常に分かりやすいものか、「よそ者を拒まない」音。例えば、初期のDe La Soul。例えばSnoop Doggy Dogg。そしてPublic Enemy。
先ほど、マルコムがネイション・オブ・イスラムに比べて進歩的で、優れているような表現をしてしまったけど、必ずしもマルコムが優れた結果を出したわけではなかった。
Public Enemy -「民衆の敵」。この名前は誤解を与えやすい。彼らは我々の敵なのだろうか? ブラックパンサー党は、カリフォルニア州オークランドで公民権運動から自然派生的に生まれた黒人による黒人のための自衛組織である。白人警官が権力をふりかざして黒人を「いじめる」ことが日常茶飯事だった、貧しい黒人街。誰もがその権力を恐れて泣き寝入りしていたが、ついに何人かの若者が立ち上がった。それがブラックパンサーの始まりだ。最初は、過剰な暴力行為などの違反行為を行う警官を監視し、そのバッチの番号を控えて署に訴えるという自衛手段だった。しかし、自衛の為の武装が許されていたカリフォルニア州法を楯に彼等は武器をとった。銃を構えることで、警官と対等にやりあった。警官の暴力にはただ黙って耐えるしかないと思いこんでいた地元の人たちが、ブラックパンサーの可能性に気づき始める。一方でFBIはいち早く民衆の動きを嗅ぎつけ、ブラックパンサーの撲滅に乗り出した。 公民権法が成立し、マルコムが死に、キングが死に、黒人の公民権運動は一旦終息していた。ある程度の成果が出せたことと、長年の激しい闘いによる疲れ、そしてあまりにも多くの犠牲。一方でうまく白人たちと「同化」し、中流の社会に組み込まれていった一部のエリートたち。5年前の激しく燃え立つ炎のような勢いは、すっかり消えかかっていた。そこにいきなり油を注ぎ込んで、局地的にせよ、火柱をあげはじめたのがブラックパンサーである。やっと黒人たちを押さえつけてホッとしていたFBIにとっては、それがたとえローカルな弱小組織であっても、目障りな存在には違いなかった。しかもそれが、どんどん勢いをつけて、全米の各都市に支部を広げ出した!もう、半ばパニック状態で、FBIはなりふり構わぬ妨害手段に出る。彼らはブラックパンサーを背後から操る、もっと巨大な共産組織があるとにらみ、ブラックパンサーはその「手先」でしかないと思っていた。だから、要は、「赤狩り」だ。中でも効果的だったのが、ブラックパンサーは共産主義に染まった「恐怖の」「悪の」組織であると、新聞・マスコミに流布させたことである。白人の一般市民は、直接ブラックパンサーの言うことに耳を傾けたり、彼らの活動に触れる機会はないから、マスコミの垂れ流す情報を盲信した。ブラックパンサーは「Public Enemy No.1」である、と。 しかしブラックパンサーの実体はあくまでも自衛組織である。自分たちの安全のために、彼等は武器をとったまでの話だ。白人たちは、揃いの制服を着てマシンガンを抱えて町を行進する彼等の姿ばかりを想像するかもしれないが、黒人たちは彼等の地味な地域奉仕活動を知っていた。だから、支持した。近所の商店から賞味期限切れぎりぎりの食品をもらい歩き、それを収入のない家庭の子供のために無料配給する。信号のない交差点に、信号を設置するよう自治体に訴え、設置するまでの間は彼等が毎日交通整理にあたる。白人にひき逃げされて亡くなった黒人の少年。警察によれば手がかりなし。今までなら、泣き寝入りするしかない。それをパンサーのメンバーが聞きつけ、警察に怒鳴り込む。 - こんな地道な活動こそが彼等の実体だった。 この事実を踏まえた上で敢えて「Public Enemy」を名乗るには、相当な覚悟がいる。単に「おれたちゃ反逆児だぜ」とポーズを決めているんなら、むしろ楽なもんだ。なぜなら真にPublic Enemyである為には「権力の敵」であり「民衆の味方」でなければならないから。権力の敵が、力ずくで潰されるのは歴史の必然である。しかしその結果が分かっていても、必ず権力の敵は現れ、美しく散っていく。その美しさが、後の世代を惹きつけ、また新たな「権力の敵」を生む。マルコムXがブラックパンサーを生み、ブラックパンサーがPublic Enemyを生んだ。 もう、このアルバムが出てから10年。ラップは非常に流行の移り変わりの早いジャンルだけに、さすがに時代を感じさせるサウンドプロダクションではある。しかしオープニングに続く実質1曲目は、音の古さなどなんの関係もない、問答無用の鋭さ、勢い、威圧感を放つ。
Bring The Noise
その音の勢いは、Anthraxのようなヘヴィメタルのバンドがこの曲をカバー(+共演)したことからも伺えよう。Run-D.M.C.の「Walk This Way」は、自らロックにアプローチして、ロックを自分たちの音楽の中に吸収しようという試みだった。しかし結果としては「余興的なカバー」で終わってしまった気がする。
一方でPublic Enemyにはロックの側からラヴコールが寄せられた。それは、彼らのサウンドがロックっぽいということではなく、「反骨」という(一部の)ロックの精神と相通じるものがあったからだろう。それは、70年代末のイギリスで、Clashなどのパンクバンドが、自分たちの音楽性とはまったく違うレゲエという「新しい音楽」に傾倒し、取り入れていったのに似ている。パンクとレゲエはサウンド的にはまったく異なるものだが、「大衆による反骨の音楽」であり、すでに成熟していた従来からのロックやポップスのリスナーの大半から見れば、粗野で未完成な「二流の」音楽であるという点で共通していた。
Don't Believe The Hype
メディア批判。この曲は今聴くとちょっと古臭く、いなたさを感じるが、そのメッセージは今でもまったく同じように通用する。メディアを、マスコミを信じなかったら、いったいどこから情報を手に入れればいいのか、情報漬けに慣らされている我々は、そう怪訝に思いがちである。だいたい、マスコミと無縁に暮らすなんて、現代人には不可能じゃないの!?、と。しかし彼らが言うのは「自分で考えることをやめるな」ということだ。報道を聞いて、その情報を自分の頭で整理して、考えてみること。ダイアナ騒動で、報道関係者が自戒を込めながらこう言っていた。「我々に反省すべき点は多い。しかしプライバシーを無視したスクープや暴露話を求めているのは一般大衆で、我々はその手伝いをしているだけだと言うこともできる」。詭弁ではある。しかし、現在のマスコミとその受け手の関係を見る限りは、それもまた正論だと言わざるを得ない。有名人のうわさ話や裏話を知りたいという自分の「覗き見願望」を棚に上げてはいないか?他人の不幸を見て「ああ自分じゃなくて良かった」という「相対的な幸福感」を求めてはいないか?新聞に載っていることは、すべて客観的に取材された「事実」ばかりだと、我々は盲信しすぎてはいないか? アルバムに先行してシングル発売されていた先の2曲に続いてはFlavor Flavがソロでラップする「Flavor Flav Cold Lampin'」、DJのTerminator Xが前面に出た「Terminator X To The Edge Of Panic」。後者では、アルバム冒頭のライヴと同じ会場(と思われる)での観客とのやりとりから曲になだれ込む。 Public EnemyのメンバーはメインラッパーのChuck D、そのサポートである「合いの手」役のFlavor Flav、さらにその二人をサポートするProfessor Griff、ごくたまにコーラスなどを入れる他はダンサー状態の、軍服に身を包んだ3人組・S1W(Security of the First World)、そしてDJのTerminator X。この他にPEのメンバーではないが、Bomb SquadことHank Shocklee、Carl Ryder、Eric "Vietnam" Sadlerらがサウンド面の要として準メンバー的な役割を果たしている。 中継ぎ的な「Mind Terrorist」を挟んで、FBIとCIAを名指しにして敵対心を露にする次の曲で、またもPEにブラックパンサーの姿がダブって見える。
Louder Than A Bomb
この状況を、単純に日本に置き換えて考えてしまってはいけない。日本にはFBIやCIAに相当する組織がなく、まあ強いて言えば警察ということになるのだが、日本で警察に敵対心を燃やし、彼等を批判するのとは、まったく違う。FBIが過去の歴史においてどんな凄いことをしてきたのかは詳しくは触れないが、歴史を多少知っている人ならば、「黒人(などの社会的弱者)がFBIを批判する」行為には頷かずにはいられないと思うのだが。 続いてはぐっと話題が身近になる。
Caught, Can I Get A Witness ?
10年前。思えば、今とは随分状況が違った。この頃は放送禁止用語満載のN.W.A.のアルバムでさえ「Parental Advisory」のシールが貼られてなかった(そういう制度がなかった)。一方ラジオなどのメディアも保守的で、ギャングスタ・ラップだの、社会的なアジテーションであるPublic Enemyなんかは、ブラック専門のラジオ曲でさえも滅多にかかることがなかった。その「保守の壁」がガラガラと崩れたのが91年〜93年ぐらいのグランジ / オルタナ / ラップの大ブームだ。
She Watch Channel Zero ?! テレビにハマってがちゃがちゃとチャンネルを変えながら一日中テレビを見て、洗脳されて、現実との区別がつかなくなる - というストーリーで、これまでの曲のような「メディア側」の批判ではなく、これは、そのメディアに安易にのせられて洗脳されてしまう大衆側への警鈴だ。珍しくハードロックっぽいギターに導かれるこの曲には「同志」とも言えるLiving Colourのヴァーノン・リードが参加している。
Night Of The Living Baseheads
続いても「同胞」への警告。これは麻薬に関するもの。貧しい黒人の間での麻薬問題は根が深い。映画「パンサー」でも非常に印象的に描かれていたのだが、FBIがどんな手を使って妨害しても、ブラックパンサーはその体制を立て直し、なかなか思惑通りに「潰れて」くれない。FBIは、ブラックパンサーは裏で共産組織が操る秘密主義の反体制ゲリラだと思っていた。だからその幹部を根こそぎ逮捕・拘留してしまえば、自然と組織は壊滅するだろうと踏んでいた。しかしその実体は、共産主義者などではなく(毛沢東の思想から影響を受けていたのは事実だが)、ブラックパンサーという組織が、黒人一般大衆の要求を実現するために、大衆の自らの意志による非常にオープンな組織だったからだ。どんなにメンバーが別件逮捕され、投獄されても、次々に新しいメンバーが指揮を執る。その支持基盤の厚さが、ブラックパンサーの強さだった。しかし逆にそのオープンなところが、スパイ活動や裏切りを容易にした。
同じように。黒人たちは、どうやら本気で連帯して、アメリカ政府と闘う気らしい。さすがに同じアメリカ国民である以上は警察のレベル以上の暴力で押さえつけるわけにはいかない。幸い彼等は黒人だけが集まったコミュニティという、「閉じた世界」にこもっている。あれを、なんとか内部から崩壊させることはできないだろうか。そして、麻薬が持ち込まれた。 そんな時代から30年近くが過ぎた。その後遺症はまったく克服できていない。スタッズ・ターケルという、インタビューの専門家がいる。彼は、ある特定のテーマについて、膨大な「ごく普通の人々」にインタビューすることで、全体像を描き出す。彼のインタビューの中で、思想的に何の偏りもない、特に荒廃した貧しい地域に育ったというわけでもない、ごく普通の二十歳ぐらいのお姉ちゃんが、「黒人コミュニティの麻薬問題は、白人の陰謀によるもの」だと言っていた。彼女だけではない。年寄りから若者まで、それは半ば黒人社会の常識と化している。そして、歴史を繙いてみると、どうやらそれは事実ではないかと、私も思い始めている(事実だと断言することは、今の時点では私にはできないが)。まあ過去にアメリカがやってきたことを思えば、そのぐらいのことはやりそうだし。 この曲が発表されたのと同じぐらいの時期に、「麻薬取引で儲けた金で自分達のレーベルを興した」N.W.A.がシーンで頭角を現し始め、以後、麻薬、盗み、恐喝、強盗、なんでもやってきたぜ、と、銃と高級車と札束と美女を傍らに自慢するギャングスタ・ラップが全盛期を迎えることになる。
Black Steel In The Hour Of Chaos
黒人と戦争。この問題は南北戦争以来つい先頃の湾岸戦争までずっとつきまとっている。黒人は、もともと、自分の意志に反して、奴隷としてアメリカに強制連行されてきた。だから、アメリカ政府の定めた「国民の義務」などに従う義理はない、というのが黒人の言い分だ。以前は黒人を「国民」として認めさえしなかったくせに、今度は「国民の義務」とは何事だ?と。引用した詞にも現れているように、「their army」なのだ。「our」ではなく。
Rebel Without A Pause
Prophets Of Rage 同じような立場に置かれているのが映画監督のスパイク・リーだ。彼も大学出で、たまたま時期的に90年代のブラックムーヴィーブームの先陣を切った形になったため、その後の若手監督たちの作品に比べて、「スパイクの描くゲットーには現実味が希薄だ」とか「奴は俺達の側の人間ではない」なんていう批判を浴びせられた。作品の質の高さと、どれだけ現実味があるかというのは別の問題のはずなのに。何度も企画が持ち上がりながら、その都度お流れになってきたマルコムXの自伝映画を、いよいよスパイクが手掛けることが決まったとき、彼に寄せられたのは賛辞でも応援でもなく、「あいつにマルコムの真の姿が描けるのか」という不安と、脅迫だった。ハリウッドという「主流」からも受け入れられず、黒人一般大衆の支持も受けられなかった彼は、ジャネット・ジャクソンやマイケル・ジョーダンら数少ない黒人の成功者から制作費用として寄付を募り、やっと作品を完成させた。 成功者に対する妬みは、成功者を自分から遠ざける。現在のラップを中心とする黒人若者のキーワードである「keep it real」は、「リアルであれ」と言えば聞こえは良いが、「現状維持」の、逃避なのではないかという気がするのだ。日本のブラックミュージック系のメディアも彼らの猿真似で安易に「これはリアルだ」などとはしゃいでいるが、ちょっと自分の頭で考えてみるべきなのではないだろうか。
Party For Your Right To Fight 以前にもこのネタは書いたことがあるので憶えている人もいるかもしれないけど。このタイトル、よく見ると、当時同じDef Jamレーベルに所属し、大ヒットを飛ばしたビースティ・ボーイズのヒット曲の単語を並べ替えたものなのだ。「(You Gotta) Fight For Your Right (To Party !)」(パーティーする権利の為に戦え!)。片や、「Party For Your Right To Fight」(闘う権利の為に集え)。曲を出したのはビースティ・ボーイズの方が先だが、フレーズ自体は「Party For Your Right〜」のほうが古い。実はこれはブラックパンサーが党員募集に使ったスローガンなのだ。しかし単語を並べ替えるだけでえらく意味が変わるもんだ。 アルバムタイトルの「It takes a nation of millions to hold us back」は、この曲の中に登場するフレーズ。
ともすればシリアスな雰囲気になりすぎてしまうのが、Chuck Dの欠点である。ラップの調子も一本気で真面目一筋って感じだし、言ってる内容もカタい。しかしギャグマンガのキャラクターのような相棒のFlavor Flavがその分思いっきり落としてくれるから、そこに絶妙なバランスが生まれる。バックのサウンドも非常に攻撃的・高圧的なので、もしここにFlavorが絡んでこなかったら、もっとビリビリにハイテンションになる代わりに、聴いていてぐったりと疲れる、威圧的なものになるだろう。ただ単にChuck Dが、自分の言いたいことをレコードにできればそれで満足、って言うんなら、それでもいい。しかし、メッセージは、多くの人に聴いてもらってこそ意味があるわけだし、単なる自己満足で音楽を作るのは簡単なことだ。Chuck DとFlavor Flavという対照的なキャラクターで掛け合いをやりながら、随所にライヴでの観客とのコール&レスポンスの様子も交えて、聴き手が入り込みやすいように、ちゃんと間口が開けられている。彼らについて行く意志のある者は、ちゃんとついて行けるようになっている。これが、次作「Fear Of A Black Planet」になると、圧倒的なハイテンション&攻撃的な音の洪水で(私は勝手に「黒いウォール・オブ・サウンド」と呼んでいる)、その「凄さ」は感動的ですらあるのだが、今にして思えば、聴き手が一緒についていくには相当キツい。もう、我々の手の届かないところまで行ってしまっている感じ。そういうところから社会的・政治的なメッセージを投げられても、それは下手すると「お説教」に聞こえてしまう。だから、音楽的には「Fear Of〜」が頂点だとは思うが、グループの存在感としては、本作がピークになるのだと思う。音楽的にいろいろと変化球を身につけ、表現力が豊かに、洗練されていくに従い、そこに乗せられるメッセージは現実味を失っていった。言っている内容の「正しさ」は変わらなかったとしても。熱烈なファンを少しづつ失い、メンバー自身もちょっとぎくしゃくしはじめ、91年の「Apocalypse 91 ... The Enemy Strikes Black」を最後に、グループは急速に風化し、「過去の」存在になってしまった。それと入れ替わるように、チャートの上位にはギャングスタ・ラップがひしめき合い始めたのは、皮肉としか言いようがない。
実は私はこのアルバムが出た当時、サークルの後輩からこれを借りて聴いたのだが、「俺にはわからん」というのが感想だった。当時はロックばかり聴いていたので、日頃自分が聴いているものとあまりにも違いすぎて、なんか凄いのは分かるんだけど、俺の聴くもんじゃない、という感じがした。だけどそこでPublic Enemyに興味を失うことができなかった。なんか凄い奴らだ、という感じで、音自体はそんなに聴いてないくせに、妙に気になる存在だった。その後ブラック物にもいろいろと手を出し始めたりしているうちに、次のアルバム「Fear Of A Black Planet」が出た。今度は自分で買って聴いた。で、文句無しに気に入った。そこから遡って、このアルバム「It Takes A Nation Of Millions To Hold Us Back」も好きになった。
という経緯があるので、このアルバムをほんとうに「わかって」もらうためには、かなりの前提知識が必要だと感じ、この文章がその助けになってくれればと思った。 なお、文中で引用している歌詞については、敢えて訳ではなく原文で載せた。言っている内容だけでなく、リズム感や、韻を踏んでいるところまで見てもらわないと、「なぜこんな単語がここに出てくるのか」と唐突に感じてられてしまう部分もあるからだ。但しスラングとして使われている部分などは適宜脚注を入れているので参考にして下さい。 (しんかい)
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