Soul II Soul (feat. Carron Wheeler)
Biography

 ロンドンのクラブDJ、ジャジーBことベレスフォード・ロメオは63年ノース・ロンドン生まれの西インド諸島からの移民2世。ジャマイカ系ブリティッシュのハウス・パーティーのDJから出発し、ロンドン東のウェアハウスでのDJを経てサウンド・エンジニアとして活動。音楽以外にもショップ経営や映画制作などサブカル方面で幅広く活躍しており“ファンキー・ドレッド”と呼ばれるコミュニティ的ムーヴメントの中心人物だった。その後クラブ・シーンで活躍する仲間を集めて結成したのがソウル・II・ソウル(以下SIIS)である。メンバーの中には当時相棒だったネリー・フーパー(のちにマドンナやビョーク等のプロデューサーとなる)、3人組コーラスグループのアフロディジアックのメンバーだったキャロン・ウィーラー(のちに独立)、ネリーに誘われて参加した屋敷豪太(のちにシンプリー・レッドのメンバーに)、レゲエ・フィルハーモニック・オーケストラ(のちに坂本龍一やジャミロクアイのツアーに同行)の面々が顔を揃え、ここでの成功を機に活動を拡げていった。SIISの登場はミュージックシーンに鮮烈な印象を残し、彼らの生み出した機械的なビートの上にクールでソウルフルな音をのせたサウンドはUK発の新しいムーヴメントとして“グランド・ビート”と呼ばれるようになった。このデビューアルバムで大成功を収めたSIISだったが、全米ツアー中に交通事故に遭い残り公演をすべてキャンセル。更に金銭問題や著作権問題、音楽の方向性の相違などでジャジーBと各メンバーがもめ、結局グループを離れていった。その後もSIISは5枚のアルバムを発表しているがジャジーB以外は毎回新しいヴォーカリストやミュージシャンが参加し、メンバーは流動的。しかしリードヴォーカルにフィーチャーされていたキャロンは3作目から和解、「“ヴォイス・オブ・SIIS”はやっぱり彼女」というファンの心情に応えてくれた。こうしてSIISはグランド・ビートの流行が一段落した後もUKの成熟したクラブ・カルチャーの一面を発信し続けている。(なかむら)


Hit List

'89 #11 Keep On Movin'
 アルバムからの最初のシングル「Fairplay」、次のシングル「Feeling Free」はクラブシーンでのマイナーヒットにとどまったが、キャロン・ウィーラーをリードヴォーカルに迎えたこの曲で世界中に旋風をまきおこした。63年ロンドン生まれ、ジャマイカ移民2世のキャロンは、ジャジーBとネリー・フーパーが毎週日曜にDJを務めていたコヴェント・ガーデンのアフリカンセンターでのスウェットダウン・パーティーで彼らに出会った(彼女の2枚のソロアルバムはどちらも自分のルーツをまっすぐ見つめて取り組んだ意義深い作品でお薦め)。この曲は70年代風のソフトなソウルサウンドにのせて「立ち止まらずに行動していきましょう」と歌われるムーディーな仕上がり。

'89 #4 Back To Life
 続いて発表されたこのシングルはHOT100内に28週も居座り続けた名曲。憂いを含みながらも力強いキャロンのヴォーカルワークと、レゲエ・フィルハーモニック・オーケストラ(RPO)のストリングスが見事なハーモニーを生み出している。後にジョージ・マイケルがライヴでソウルフルにカバーしたり、ナッティン・ナイスが「Down 4 Whateva」でストリングス部をサンプリングしたりと、すでにクラシックの風格がでてきている。歌われているのは別に起死回生とかではなく都会の恋愛風景のワンシーンだったりするのだが、SIISの個性でチャラく感じさせない。



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