Kylie Minogue
Biography

 1968年オーストラリアはメルボルン生まれのカイリーは、11歳で初めてTVドラマに出演、芸能人としての人生を歩み始めた。17歳になってホームドラマ「ネイバーズ(後年やはりこの番組でナタリー・インブルーリアがブレイクしたことでも知られる)」に主演、この番組がイギリスでも放送され人気を博したことから彼女のキャリアは急展開を始める。彼女の愛らしいキャラクターに目をつけたのが当時イギリスのヒットチャートを席巻していたストック/エイトケン/ウォーターマン(SAW)の3人で、彼女は突如“ユーロビートのプリンセス”に仕立て上げられた。

 デビューシングル「I Should Be So Lucky」が88年に全英ナンバー1を獲得して以降カイリーは驚異的な勢いでヒットを連発、91年までに13曲連続のTOP10ヒットを放ち、これは女性アーティストとしての新記録であった。90年代半ばにSAWと袂を分かつとインディ・レーベルでの活動を余儀なくされ、路線変更した“オルタナ・カイリー”は各方面で好評だったもののチャート・アクション面では暫し停滞。しかし2000年代に入ると彼女は大復活、メジャー契約を結んだ「Spinning Around(2000年英1位)」以降再び全英TOP10の常連となっている。アメリカに於ける彼女は長いこと“準一発屋”扱いに甘んじていたが、イギリスでも初めてミリオンセラーを記録したシングル「Can't Get You Out Of My Head(2001年英1位)」がアメリカで成功し10数年ぶりにTOP40復帰。“イケてる三十路女”としての目覚ましい活躍の経緯は当時のリアルタイムなシングル・レビューをご参照いただくとして、ここでは80年代“ポップ・プリンセス”時代のカイリーをご紹介。(八亀)


Hit List

'88 #28 I Should Be So Lucky
 カイリーのデビュー曲にして80年代PWL(SAWが興したレーベル)サウンドを代表する一曲。アメリカでのチャート・アクションはいま一つな結果に終わったが、イギリスにおけるこの曲の人気ぶりは大変なもので、ニュースターの登場は当時何処のTVチャンネルでもやっていた洋楽番組を通じて我が国の音楽ファンにも紹介され、彼女はアメリカに先駆けて日本でも人気者となった。現在全く洋楽を聴かない、という30代の人間でもこれを聴くと顔がほころび、人によっては振付け(当時ディスコでは曲毎に振りがあったのだ!)も披露してくれる、というタイプの洋楽ヒット。

'88 #3 The Loco-Motion
 アメリカにおける最大のヒット。いわずと知れたオールディーズのスタンダードで、過去にオリジナルのリトル・エヴァ(62年)、グランド・ファンク(74年)と2度ナンバー1を獲得していたことから、このバージョンがチャートを上昇していた当時は60年代、70年代、80年代いずれでも1位を記録する曲になるのではないか?と騒がれたものだった。曲の出来そのものは例のユーロビート・サウンドでオールディーズを料理、という以上のものはなく随分安易だな、という印象があったが、当時の彼女の人気であれば何だろうとヒットはしたのだろう。イギリスでは最高2位を記録。

'89 #37 It's No Secret
 ウルトラ・ハイな(当時の彼女というと、目と口を終始カッと開きっぱなしで歌っているような印象がある)前2曲に続くアルバムから3枚目のシングルは、若干落ち着きを取り戻したポップなナンバー。力の入った勝負曲のあとに発表された小品は思いがけない名曲であったりすることがあるのだが、この曲については可もなく不可もなく、といったところだろうか。サビの“It's No Secret”という部分は誰もが覚えているが、「じゃ、その他のところ歌ってみてよ」と言われると非常に心許なくなってしまう。結局PWL勢の弱さは“ひき”の名曲が作れなかったところにあるのだろう。なお当時彼女が無敵を誇ったイギリスでは、この曲はシングルカットされていない。



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