八亀's Picks - August/September 2005

過去の八亀's Picks

9.10 L.A. Reggae/Blue Suede Shoes - Johnny Rivers
8.25 Singing the Songs of Paul Ryan - Barry Ryan
8.15 One Tin Soldier - The Original Caste
8.15 1954 British Hit Parade

L.A. Reggae (1972)/Blue Suede Shoes (1973) - Johnny Rivers

L.A. Reggae/Blue Suede Shoes
- Johnny Rivers (BGO)



 1960年代半ば、イギリスのビート・バンドたちに席巻されていた時期のHOT100に登場し、彼らと互角にわたり合うばかりでなくその後の「サイケデリック」時代まで次々とヒットを放ち続けたアメリカ人アーティストにジョニー・リヴァースがいた。ロサンゼルスの有名なライブハウス「カフェ・オ・ゴー・ゴー」で名を上げた彼は同店からの実況形式で何枚ものライブ・アルバムを発表、その録音群からカットされたヒット曲の殆どはカバー作品だったが、それは彼のオリジナリティのなさを意味する訳ではなかった。彼の場合、これを芸風として確立するばかりでなく、場合によってはジミー・ウェブなど新世代のソングライターを世間に紹介する役割さえも果たしたのだった。68年のアルバム「Realization」ではボブ・ディランの「Positively 4th Street(寂しき四番街)」を取り上げているのだが、先日発売されたディランの自叙伝の中に、当時無数に録音されたディラン作品の中で、特にこのバージョンに言及した素晴らしい記述があったので、少々長いが引用させていただこう。

Rewind (1967)/Realization (1968)【 そのなかでも、わたしはジョニー・リヴァースのものがとくに気に入っていた。わたしとジョニー・リヴァースはあきらかに、町の同じような地区の出身で、同じような本を読み聞かされ、同じような音楽を効いて育ち、同じ布から切り取られた二枚の布(きれ)のようだった。彼の「寂しき四番街」を聞いているうちに、わたしは自分のものより、そちらのほうが好きになった。何度も繰り返して聞いた。わたしの曲をカヴァーしたものの大半は、歌をとんでもないものに変えてしまっているように聞こえたが、リヴァースによるカヴァーはきちんと責務を果たし、その姿勢とメロディの感覚はわたしが注ぎこんだ感情を充分に表すどころか、超えてさえいた。考えてみれば、当然のことだ。リヴァースは前にもチャック・ベリーの二曲、「メイベリン」と「メンフィス」で同じことをやっていた。ジョニーが歌うわたしの歌を聞けば、彼の人生を取り巻くものとわたしの人生を取り巻くものが同じであるのは明白だった。】

Slim Slo Slider (1970)/Home Grown (1971) ヒットチャート上のジョニー・リヴァースの全盛期はアルバム「Realization」を発表した60年代末でほぼ終わり、70年代は何年かに一度、思い出したようにヒットを放つ、という程度になってしまった。なので彼の場合熱心なファンでも60年代の作品をチェックするのがせいぜい、という感じなのだが、実はその後に発表されたアルバムの内容も、決してそれ以前に劣るものではない。彼が70年に発表した「Slim Slo Slider」、そして71年の「Home Grown」ともにヴァン・モリソンやグラム・パーソンズ、ジャクソン・ブラウン、ジェイムス・テイラーなどまだ世間で評価が完全に確立される前のシンガーソングライターたちの作品を積極的に取り上げ、その演奏は「ホンモノのロック」とは、いやむしろ「ホンモノの男」とはこういうことをいうのではないか?とまで思わせるような、熱くて濃い内容だった。

 今回届いたのはそれに続く72年、73年作の2枚。この時期リヴァースは微妙な立場に立たされていたようで、それまでのカバー中心の選曲姿勢を改め、シンガーソングライターとしての評価を勝ち得るべきか(彼唯一の全米ナンバー1、66年の「Poor Side Of Town(僕等の街)」は彼自身のペンによる作品なので、この路線も実績がない訳ではない)、それとも盛り上がりを見せていたR&Rリバイバルの波に乗ってガンガン古典曲を取り上げていくべきか、アルバムセールスが徐々に落ち込む中難しい選択を迫られていた。「L.A. Reggae」はその“迷い”がはっきりと現れたアルバムで、タイトルに反してレゲエ調の録音は一曲もなし(ポール・サイモンの「母と子の絆」でさえカリブ海からの影響を消した形でカバーしている)、約半分を彼のオリジナル曲で固め、残りには様々なカバー作品を揃えている。オリジナルで特筆すべきは「Stories To A Child」という曲で、これが曲調、構成共にディランが75年に録音する「Hurricane」に酷似。当時如何にディランがリヴァースのレコードを好んで聴いていたかを証明する一曲ではないかと思う。カバーでは久々のTOP10ヒットを記録したヒューイ・スミスの「Rockin' Pneumonia - Boogie Woogie Flu」は別格として、この時期彼がやたらと気に入って取り上げていたヴァン・モリソンの「Brown Eyed Girl」もオリジナルに見劣りするものではないし、かつてのカバーヒットを再リメイクした「Memphis '72」もファンキーでカッコいい。J.J.ケールの「Crazy Mama」も、ちょっと毛色が違っていい感じ。

 彼のレコーディングには常にロサンゼルスのエース級ミュージシャンたちが参加しており、「カフェ〜」時代からのパートナー、ベースのジョー・オズボーンをはじめ、ドラムにはハル・ブレインやジム・ゴードン、ギターにはジェームス・バートン、キーボードにはラリー・ネクテル(この時期彼はブレッドの活動が忙しいはずなのだが、リヴァースのレコーディングには皆勤賞ものの参加率である)などが入れ替わり立ち替わり参加し“アメリカ1のミュージシャン集団”のサウンドを聴かせている。そんな彼らがR&Rクラシックを料理するのだから、出来が悪い訳がない。続くアルバム「Blue Suede Shoes」では完全に開き直ってほぼ全編をオールディーズのカバーで固めており、“アメリカ1”のサウンドがたっぷり楽しめる。冒頭のタイトル曲に続いてアナログ盤のA面残りを占めるR&Rメドレー(実際にはつながっていない)はリヴァースの真骨頂、ニール・ダイアモンドの「Solitary Man」のカッコよさは、オリジナルを完全に凌駕している。

 そういえば、はっぴいえんどの面々がラストアルバムを録音するためにロサンゼルスを訪れた際、リヴァースが出演しているライブハウスに出かけ、そこで聴いた「Rockin' Pneumonia」に感銘を受けた・・なんて記述を何処かで見かけたことがあるような気がする。そういう意味でははっぴいえんど〜ティン・パン・アレイのサウンドにも影響を与えている(それは言い過ぎか)この時期の彼の音楽、「ホンモノのロック」が聴きたいならチェックしておいて損はないだろう。

収録曲等詳細(発売元のサイト)

(2005/9/10)

Barry Ryan Sings Paul Ryan

Singing the Songs of Paul Ryan - Barry Ryan
(Rev-Ola)



Paul & Barry Ryan 1960年代半ばにイギリスで活躍した双児のデュオ、ポール&バリー・ライアンをご存じだろうか?かの地ではなかなかの人気を博したグループだったが、アメリカではまったく相手にされなかったため日本における知名度は低く、これまで60年代のUKシーンが語られる際にその名前が挙げられるようなことは殆どなかったように記憶している。

 1948年10月24日生まれのポールとバリーは、母親が1958年に「Love Me Forever(英5位)」のヒットを放つマリオン・ライアン、父親は興行師のハロルド・デヴィッドソンというエンターテインメント一家に育った。15歳になってすぐに(恐らく父親の手引きで)歌手デビューを果たした2人はモッズ・ルックに身を包み、甘いポップスを歌う“イケメン兄弟”としてアイドル的な人気が沸騰、65年から67年にかけて連続8枚のシングルをUKチャートにランクインさせるというかなりの成績を残している。音楽のタイプ的には、そのちょっと前の時代でいえばブルック・ブラザーズ、ずっと後になって80年代でいえば「ブロス」みたいな、中庸なポップスを得意としていて音楽的に評価すべき点はあまりないが、曲の作家陣にはレス・リード、ゴードン・ミルス、ジェフ・スティーブンスといった一流どころが名を列ねており、そこそこ楽しむことができる。

 しかし68年になると元々内向的な性格のポールはツアー生活に耐えられなくなって神経衰弱に陥り、アーティスト活動を停止。バリーはソロに転じることとなり、それをポールがソングライターとしてバックアップするというユニークな制作体制がスタートした。1968年はポップス界全体が音楽の新しい可能性を求めて様々な試みが繰り返されていた時期で、そのエポック・メイキングなヒットとなったのがリチャード・ハリスの「マッカーサー・パーク」。ジミー・ウェブが全面的に制作し、演奏時間が7分に及んだシングルはハリスの歌よりも間奏部分の方が長いという型破りなものだったがこれが大ヒット、前年に発表したグレン・キャンベル「恋はフェニックス」、フィフス・ディメンションの「ビートでジャンプ」などの名曲でグラミー賞を独占した彼は一躍時の人となりポップスの新時代を切り開いた。

Barry Ryan Sings Paul Ryan (1968) この流れには多くのソングライター/プロデューサーが呼応し、当時多くの大作ポップスがヒットチャートを賑わせたが、イギリスでその試みに没頭したのがポール・ライアン。バリーのソロ第一作として同年の後半に彼が用意したのが5分半に及ぶ「Eloise」で、壮大なオーケストラサウンドで装飾されたこの曲は全英2位の大ヒットを記録、彼らを単なるアイドルと見なしていた多くのリスナーを驚かせた。CDのライナーによれば「クイーンの『ボヘミアン・ラプソディ』にも多大な影響を与えた」とされる(大袈裟な・・)このシングルとほぼ同時期にリリースされたのが今回CD化された音源の前半部分に当たるファースト・アルバム「Barry Ryan Sings Paul Ryan」で、全編これ見事な“シンフォニック・ポップ”。スティーブ・マリオットとコリン・ブランストーンの間を行ったり来たりしているような感じのバリーの歌は、時に雄々しくシャウト、またある時は非常に繊細に内省的に、囁くような歌を聴かせており、ソフト・ロックファンにとってかなり魅力的なアルバムになっている。

 続いてバリーはフィル・スペクターが66年に制作したアイク&ティナ・ターナーの「River Deep, Mountain High」のセッションをロンドンで実地検証したような「Love Is Love(69年英25位;アルバム未収録)」をヒットさせ、更に「Barry Ryan Sings 〜」に収録されていた「The Colour Of My Love」がジェファーソンに取り上げられてヒット(英22位)。作曲のポールともども大変な期待を持たれていた時期に発表したのがセカンド・アルバム「Barry Ryan」で、相変わらずの“シンフォニック・ポップ”路線、しかも収録曲は内省的な雰囲気のものが増えて「コリン度(“ゆうこりん”じゃないよ)」はアップ。ソフト・ロック的にますます楽しいものとなった。

 「Eloise(アメリカでは最高86位という不本意な成績に終わってしまった)」を超えるヒットこそ生まれなかったものの、順調にヒットを飛ばし続けるバリーはヨーロッパ各国(特にドイツ)で本国を凌ぐほどの人気を誇っており、一方ポールもアメリカでフランク・シナトラとソングライター契約を結ぶ(これは推測だが、彼らの父ハロルドは以前からシナトラと大変親しかったそうで、そのコネクションが大きくものをいったように思われる)。この年の暮にTVで放映されたシナトラ毎年恒例のクリスマス・ショーでは客席のポールをシナトラが「才能ある若きソングライター」として紹介するシーンがあり、当時(各々スタイルは違うが)アントニオ・カルロス・ジョビンやロッド・マッケン、ボブ・ゴーディオといったソングライターの作品をアルバム一枚分取り上げた作品を次々と制作していたシナトラの、ポールに対する期待の大きさが窺える出来事であった。そんな2人にとって「最高な」1969年までの活躍を収めた今回のCD(2枚のアルバム+ブラジルのみでリリースされた2曲)、ジミー・ウェブ好きにも“コリン好き”にも十二分に楽しめる内容になっているので、その手が好きな方には是非とも一聴をお勧めしたい。

The Singles+ - Barry Ryan で、その後の2人の話。70年にシナトラとのセッションがスタートしたポールだったが、結局アルバム制作はシナトラの「引退宣言(3年後に撤回することになる)」があって途中で頓挫。残された「I Will Drink The Wine」と「Sunrise In The Morning」の2曲は同じくお蔵入りとなっていたジョビンのセッションで録音された曲などと一緒に、71年に「Sinatra and Company」の名でリリースされるにとどまった。一方バリーは70年代に入ってもポールとの共同作業を続け、シングルをリリースしたが60年代以来作風に殆ど変化がなかったため次第に人気を失い、1972年頃には活動を停止。以降は主に写真家として92年に亡くなるまで活動を続けたという。ライアン兄弟の短くも熱い時代の作品集、更に興味のある方はアルバム未収録曲や70年代作品、加えてポール&バリー・ライアン名義のシングル・ヒットまでをも網羅した素晴らしいCDがヨーロッパで出ているので、そちらも探し出してみて下さい。

収録曲等詳細(発売元のサイト)

(2005/8/25)

One Tin Soldier - The Original Caste

One Tin Soldier - The Original Caste
(Tuneworks/Universal)



 現在メルマガの「Flashback」コーナーは日本の洋楽年間チャート1950年代編に突入しており、情報が少ないため説明が難しい曲が多くて毎回超深夜までヒィヒィ言いながら原稿と格闘する(時には結局書き上がらない)状態が続いている。それに比べればこの前までやっていた1970年代編など易しいもので・・と言いたいところだが、こちらはこちらでリアルタイムにそれらの音楽を聴いていた方が大勢メルマガを読んでいて、迂闊なことを書くとすぐにツッコミメールが届きそうなので結構細心の注意を払って文章を書いていたり。いずれにしても苦労は絶えないのだ。

The Original Caste で、その内容をまとめて再掲している別サイトの方では、それら紹介した曲が収録されているCDのリンクを一曲一曲貼っているのだが、1970年の回の時1曲だけ収録CDを探し出すことが出来なかった。それがオリジナル・キャスト(以下“オリキャス”)の「ミスター・マンデイ」で、今回待望のアルバム世界初CD化が為されたので早速ご紹介することとしたい。

 オリキャスは1960年代後半にカナダで結成されたポップグループで、フォーク系の音楽をルーツとしている。70年代のヒットチャートで大成功をおさめるプロデューサー・コンビ、デニス・ランバートとブライアン・ポッター(以下L&P)が活動初期に手がけたグループとしても知られており、以前メルマガで僕は以下のように紹介した。

【70年にアメリカで「One Tin Soldier(『天使の兵隊』米34位)」をヒットさせたオリジナル・キャストは、カナダ人のブルース&ディクシー・リー・イネス(当時夫婦)を中心に結成されたポップ・グループ。この後ダンヒル・レコードで一時代を築くデニス・ランバートとブライアン・ポッターが全面的に制作に参加していることでも注目に値する彼らの、日本における最大のヒットがマイナー・メロディの「ミスター・マンデイ(本国カナダでは最高3位を記録)」で、ストリングスとホーンのアレンジに早くもランバート&ポッターの手腕が窺える仕上がりとなっている。このヒットにより人気を確立した彼らは度々来日を果たし、オリジナル・グループが活動を停止するする翌71年までに発売されたシングルは、次々とラジオ洋楽チャートの上位にランクインした。】

 ・・情報不足がそこかしこから感じられる何とも言えない文章だが、今回発売されたCDのライナーや、諸々の情報を総合してこのアルバムが発売されるまでの経緯を長くなり過ぎない程度にまとめてみたい。

 彼らがレコード・デビューを果たしたのは1968年のこと。2枚の不発シングルの後T・A(タレント&アソシエイツ)というプロダクションと契約を結び、そこで出逢ったのがL&Pの2人だった。彼らの制作で発表した同社からの第1弾シングル「One Tin Soldier(天使の兵隊)」が見事全米TOP40入りを果たし、続いてリリースしたのが「ミスター・マンデイ」。これはアメリカでは最高119位に終わり、その後彼らがHOT100に返り咲くことはなかったため名実共に“一発屋”で終わったが、日本では事情がまったく違い、前作を遥かに凌ぐヒットを記録。「オリコン」によれば45.8万枚ものシングルを売上げたのだという。その後も「Leaving It All Behind(愛する未来に歌おう)」「Ain't That Tellin' You People(虹を架けよう)」とヒットが続き、そんな盛り上がりの中発表されたのが彼ら唯一のアルバム「One Tin Soldier」だった。

 収録曲は既発のシングル作品が中心となっているが、ヒット曲から受ける彼らのイメージ 〜マイナー・メロディで叙情的〜 とはちょっと違った、かなり洗練されたハーモニーを聴かせる曲も少なからずあり、そこら辺に注目するとカート・ベッチャーが担当をはずれた後期のエタニティーズ・チルドレン(彼らもカナダ出身だ)あたりに通じる雰囲気を感じなくもない。アルバム全10曲中7曲までをL&P作品が占め(残りはリーダーのブルース・イネス作品)、彼らの初期作品集としてもその価値は高い。

Hamilton, Joe Frank & Reynolds このアルバム発売後間もなくL&Pはダンヒル・レコードの誘いに応じて移籍、指導者を失ったオリキャスはロジャー・ニコルスのプロデュースの下シングル「When Love Is Near(朝やけの二人)」をリリース。今回のCDにボーナス・トラックとして収録されたこの曲はポール・ウィリアムスがニコルスとの共作曲の売り込みのため吹込んだデモ・アルバム収録曲を取り上げたもので“田舎のカーペンターズ”といった趣になっている。このシングルのB面「Salt Saint Marie(ブルース・イネス作)」もアルバム未収録曲で、是非とも聴いてみたかったが残念ながらこのCDからは漏れてしまった。結局このシングルをもって“オリジナル”オリキャスは解散、その後の活動については後述をご覧いただきたい。一方L&Pの方はダンヒルでヒット作を連発、手許の資料によれば71年の洋楽ラジオチャートでハミルトン、ジョー・フランク&レイノルズの「Don't Pull Your Love(恋のかけひき)」がなんと年間1位、翌72年にはグラスルーツの「Two Devided By Love(恋は二人のハーモニー)」が年間26位にランクインしているから、よほど日本人の“ツボ”を押さえたサウンド作りが為されていたということなのだろう。

 1970年代前半の“洋楽ラジオ黄金時代”をよく知る方には、非常に懐かしい音楽が詰ったCDではないかと思う。なお彼らやL&Pの活躍に関する更なる詳細、そしてブルース・イネスの近況等は、彼らに関しては世界一詳しいファンサイトを日本の洋楽ファン、その名も「ミスター・マンデイ」さんが立ち上げておられるので、下のリンク先をご覧下さい(今回これを書くにあたっても様々なソースを参照させていただきました、御礼申し上げます)。

オリジナル・キャスト超詳細情報

(2005/8/15)

1954 British Hit Parade

1954 British Hit Parade: Britain's Greatest Hits Volume 3
(Acrobat)



 今年のはじめに紹介した、初期のUKチャートに登場したヒット曲を年毎に“すべて”CDに収めてしまおうという“頭のおかしな”企画、チェコのアクロバットから発売されている「British Hit Parade」シリーズの1954年編が届いた。今回は4枚組全85曲というボリュームにまでなっている。

 この年のヒット曲を集めたコンピレーションとしては既に英Living Eraの「Hits of '54」が出ており、ここでも紹介済なので概況はそちらをご参照いただくとして、ここではチャート下位に登場したユニークな作品を中心に。曲のリスト順(下のリンク参照)に取り上げると、まずは当時夫婦だった俳優のホセ・ファーラーとローズマリー・クルーニーがシングルの片面ずつを歌う「Woman (Uh-Huh)」と「Man (Uh-Huh)」のカップリング。A面B面夫婦でお互いに言いたいことを言い合う内容で、互いにちらっとゲスト出演も。曲の最後には「裏面の妻(夫)バージョンも聴いて下さい」というメッセージ入り。面白いっ!♪バルデリ〜、バルデラ〜の「The Happy Wanderer(ゆかいに歩けば)」、これの“オーベルンキルヒェン・チルドレンズ・クワイア”のドイツ語バージョンは「Hits of '54」に収録済だがこちらにはそれに加えスターゲイザーズによる英語バージョンも収録、更にガイ・ミッチェルの「Sippin' Soda」という曲、これのメロディはなんと「森のクマさん」!!あの曲って洋楽だったんだね・・。

 1954年はR&R前夜で、ここにもジョニー・レイのナンバー1ヒット「Such A Night(ドリフターズのカバーで、この曲のこの年ロンドンにおけるライブ・バージョンを最近聴いたが、その盛り上がりぶりは程なくして全世界を覆うエルヴィスの騒動を十分予見させるものだった)」、クルー・カッツの「Sh-Boom(コーズのカバー)」と初期のR&Rナンバーが登場し、加えてビル・ヘイリーの「Shake, Rattle And Roll」も登場。来年発売されるはずの1955年編への期待を高め、一方でこの後のUKチャートを支えていくヒットメーカーたち、女性ではペトゥラ・クラークやアルマ・コーガン、男性ではフランキー・ヴォーンなどが初登場を果たしていて、これまで殆どの洋楽ファンに無視されていた50年代イギリスのポップシーンの息吹が感じられる。

 例によって怪しいレーベルなので、商品に関する詳細な情報はネット上になし。今回の収録曲リスト及び英米におけるチャート成績をリンク先にまとめたので詳しくは下をご覧下さい。UKチャートはこの年の後半にTOP20に拡大し、登場曲数は飛躍的に増えることになる。来年出るであろう1955年編はCD4枚くらいでは収まらないことになると思うのだが、さてどうなるんだろう?最近はこのシリーズのリリースを見越して1950年代のUKアーティストのCDは意識的に買い控えているのだが。個人的に1959年編までは地道にリリースを続けて欲しいところである(それが発売されるのは2010年になるが・・)。

収録曲リスト及び最高位:
1954 British Hit Parade (Britain's Greatest Hits Vol.3)

(2005/8/15)