meantimeのメルマガで連載している「Flashback」、現在は過去の洋楽年間ラジオチャートを1年あたり2週ずつかけて紹介している。誰でも知っている大ヒットを1曲あたり300字程度(これは僕が勝手に決めた基準だが)で説明していく作業は当初考えていたより大変な作業で、なにしろ毎回書く文章量が結構なものだから、色々あってキツい時は時々休ませてもらったりしながら細々と企画を続けている。“こんな「Editor's Pick」なんか書いてないで、メルマガに時間を割けばいいじゃん。”というツッコミも入りそうだが、こちらはこちらで普段実際に飲んだり情報をやり取りしたりと直接の関りがある音楽ファンの方々が結構楽しみにしてくれているので、できるだけマメにUPを続けたいし。。
話が逸れたが、メルマガで曲を紹介する時は、出来るだけ情報が重複したり、過不足のないよう気を遣って書いているつもり。同じ年に何曲も大ヒットを放っているアーティストを紹介するのも書くネタに困ったりでそれはそれで苦労だが、一方でいわゆる「一発屋」の紹介も、取り上げられる機会はその1回だけなので伝えるべき内容に漏れがないか書いた後何度かチェックしたり。以前1970年のヒット曲を紹介する回の時、クリスティの「イエロー・リバー」では以下のようなことを書いた。
【ブリティッシュ・ビート・ブーム期に「アウター・リミッツ」というグループを率いていたジェフ・クリスティは、60年代後半にソングライターのキャリアを志し当時の人気バンド、トレメローズに「イエロー・リバー」のデモテープを手渡したが、この曲の出来に感心したのがトレメローズのメンバー、アランの弟マイク・ブレイクリー。彼はクリスティにバンドを結成しこの曲を録音することを提案、結果発売されたシングルはトレメローズが録音したバック・トラックに彼らのボーカルが被せられた急造盤ではあったが、戦地から無事に帰郷するという歌詞の内容がベトナム戦争まっただ中のこの時期の雰囲気にマッチし、世界中でヒットを記録した。彼らはその後これに匹敵するヒットを生み出すことはなかったが、「イエロー・リバー」を看板に現在も誰かが“クリスティ”名義でライ
ブ活動を行っているようだ。 】
海外のサイトや書籍などを参考に情報を総合してみたのがこれ。まぁ、まとまっているでしょ?クリスティのオリジナルアルバムは90年代に一度CD化されていたようだが、その後暫く廃盤状態が続き、今年に入ってヨーロッパのRepertoireが再びリリースし入手し易くなった。そこにあったライナーノーツをテキストに、クリスティの活躍を改めて見直してみることにしよう。
ソングライター志望のジェフ・クリスティがトレメローズ(もしくはその周辺の人間)にデモテープを渡したのは事実のようだが、そこから先は少々話が違ってくる。テープを受け取ったもののトレメローズは彼の作品をレコーディングする気にはならなかったようで、作品は棚上げに(トレメローズ版の「イエロー・リバー」も遺されているが、これはクリスティ版がヒットしてからの録音らしい)。ただ彼らのパブリシティ担当のブライアン・ロングレイだけはクリスティのデモテープにヒットの可能性を見出したようで、彼にバンドを結成しこの曲をレコーディングする事を提案。バンドのメンバーにはロングレイの心当たりあるミュージシャンをかき集めることとし、その中にトレメローズのメンバー、アラン・ブレイクリーの弟で、それまでどんな仕事を与えてもモノにならなかったマイクをドラマーとしてねじ込み、グループの体裁を整えたというのが真相らしい。余談になるがマイクは結局ミュージシャンとしては使いものにならず、レコードで彼がドラムを叩いたのはシングル「イエロー・リバー」のB面に収録された「Down The Mississippi Line」のみで他はすべてスタジオ・ミュージシャンを起用。1年もしないうちにツアー生活に音を上げ、グループを脱退していったという・・。ホンモノの“ヘタレ”だったんだね。
新バンド“クリスティ(カルロス・サンタナがバンド名を「サンタナ」としたことにヒントを得たらしい・・)”は発足したものの、なにしろ急造バンドで練習不足、また彼が業界にバラまいたデモテープは他のアーティストの手にも渡っていたことから彼ら自身が何処よりも早く作品をレコード化することが急務とされており、そこで彼らのマネジメントが出した結論が“トレメローズに伴奏をお願いする”ことだったそうだ。ジェフ・クリスティにとっては大いに不満だったらしいそのセッションは、元々彼が吹き込んだデモテープをなぞる様に進行されたものだったが、しかしさすがは当代の人気バンドだけあってヒットのツボを心得た演奏で、しかも現状の「クリスティ」の面々では演奏し直しても再現は恐らく不可能、という仕上がりだったため、このバージョンが最終的に「イキ」となりシングル盤が発売された。
シングルがリリースされてからの「イエロー・リバー」の世界的な売れ方は、決り文句だが「歴史が語るとおり」。“よぉ後輩、オマエに仕事を引き渡すよ。俺は給金を受け取ってイエロー・リバーを渡り、故郷に帰るのさ。”という詞はすぐさま「ベトナムからの生還」を連想させ、各国で共感を呼んだそうだがクリスティ自身はそんなつもりはなく、小さい頃に本で読んだ南北戦争にまつわるエピソードを思い出して作った曲なのだとか。この曲はイギリスでナンバー1ヒットになったばかりでなくアメリカでもかなりのヒットを記録、日本でも親しみやすいメロディとコーラスがウケて1970年を代表する洋楽ヒットとなった。
・・と、長々と「イエロー・リバー物語」を書いたのは、このグループに関しては他に書くことが余りないから。アメリカにおける彼らのキャリアはこの曲でほぼ終了。イギリスではこれに続く「San Bernadino(『想い出のサンバーナディーノ』英6位)」がヒットしたが、後は尻つぼみ。「Christie featuring 〜」のCDにはこれらヒット曲と彼のオリジナル曲が多数収録されており、「イエロー・リバー」ほどのキャッチーさを持った曲は無いものの、ジェフ・クリスティがそこそこの才能を持ち合わせたソングライターであったことを証明する作品集になっている。ボーナス・トラックとしては別途CD化されたセカンド・アルバム以降に発表されたシングル音源(71〜72年)を8曲収録、そこには後期のヒット「Iron Horse('72英47位)」も含まれているので、普通にクリスティに興味のある音楽ファンであれば、このCDだけ買っておけば十分間に合うと思う。もう1枚の「For All Mankind」はクリスティの面々が何を考えたかハード・ロックバンドに生まれ変わろうとしたアルバムで、これは他に例えようがないくらいに退屈。日本でも発売されたシングル曲「Man Of Many Faces(気になる男)」が聴けるので、これが好きな方は入手しないといけないが、他に大した曲は入っていないので、わざわざ買う必要はないかも(って僕は買ってしまってるんだけど・・)という感じ。
ただ、このCDには彼らが73〜75年にかけてリリースしたシングル音源がボーナス・トラックとして収録されており、このCD2枚を揃えればクリスティ70年代の「コンプリート録音集」が完成するので、彼らに人並み以上の思い入れがある方だったら、それくらいの出費はしてあげていいのかも、とは思う。ジェフ・クリスティはこれらの曲を引っさげて現在もオールディーズ・コンサートに出演を続けているそうなので、このコーナーをご覧の方で今後もしイギリスに行く機会があれば、当地のライブ情報をチェックして懐かしの「イエロー・リバー」をライブで聴いてみる、なんてオプションをツアー・プランに加えることをお薦めします。どんなもんでしょ?
収録曲等詳細:
Christie - The Best Pop Band Ever