八亀's Picks - January 2005

過去の八亀's Picks

1.27 The Complete Seville Recordings - Marcie Blane
1.23 ビニール・ジャンキーズ - ブレット・ミラノ:著
1.23 The Complete Recordings 1964-1966 - The Tony Jackson Group
1.04 The First British Hit Parade - VA
1.04 1953 British Hit Parade - VA
1.04 The Complete A&M Years - Burt Bacharach
1.04 The Complete Duke Recordings - Johnny Ace

Marcie Blane: The Complete Seville Recordings

Bobby's Girl: The Complete Seville Recordings
- Marcie Blane (President)



 60年代の“ガールポップ名曲選”リストを作成するとしたら、間違いなくその10番目以内に登場するであろう“ガールポップ中のガールポップ”がマーシー・ブレーンの「Bobby's Girl(『ボビーに首ったけ』62年米3位)」。多くの音楽ファンにはこれ一曲のみで知られる彼女の単独アルバムが、21世紀になって初めてリリースされた。

ボビーに首ったけ ブルックリン出身のマルシア・ブランク(1944年生まれ)はクイーンズの高校在学中は学校のオーケストラでバイオリンを弾き、吹奏楽団ではフルートを吹き、更にチアリーダーも務め、普段は大好きな歌で家族や友人たちを楽しませる、という絵に描いたような優等生だったそうだ。卒業間近の62年夏、ソングライターの卵の友人の頼みで曲の売り込みのためデモテープを吹込んだところ、レコード会社は作品よりも彼女の歌声に興味を持ち、すぐさまレコード契約を締結。最初のレコード・セッションに用意された一曲が「ボビーに首ったけ」であった。

 ハンク・ホフマンとゲイリー・クラインという2人のソングライターによって書かれたこの曲では少女が大人の女性に成長していく微妙な時期(コーラスでは“君はもう子供じゃないんだよ”というフレーズが繰り返されている)の恋心が朗らかに歌われており、サビの「ボビーの彼女になりたいのっ!!」というキャッチーなメロディが一瞬にしてリスナーの耳を捕らえてヒットチャートを急上昇、“ガールポップ黄金期”にマーシー・ブレーンは突如としてスターになったが、実はこの時期彼女はカウンセリングの勉強のためサマー・キャンプに出かけており、暫く世の中の騒ぎに気づかぬままその夏を過ごしていたという。

 「ボビー〜」の大ヒットを受け、レコード会社は秋にはセカンド・シングルを企画し、リリースされたのがやはりホフマン&クライン作の「What Does A Girl Do?(夢見る片想い)」。陽気なポップスでそれなりの魅力はあったが、これが最高82位とセールス的に惨敗。慌てた会社側はソングライターを交替して63年に入り「Little Miss Fool」「You Gave My Number To Billy」と立て続けにシングルを出したが、作品が「ボビー〜」のキャッチーさには及ばなかったのがネックとなったかチャート・インに失敗し、そうこうしているうちに時は1964年、音楽界はビートルズをはじめとしたビート・グループ一色に様変わり、彼女は他のガールシンガーたちと共にヒットパレードから姿を消すこととなる・・。

 話がどんどん哀しい方向に向かっているが、彼女自身はこの成りゆきを余り気にしていなかったようで、アイドル活動の傍ら地元の大学で音楽を専攻(同窓にポール・サイモンやキャロル・キング、マービン・ハムリッシュらがいたそうだ)、卒業後はすぐに結婚して家庭に入り、以降きっぱりと芸能活動から足を洗ったという。そんな彼女が62〜65年に残した8枚のシングル音源と5曲のデモ録音、更に「ボビー〜」のステレオ・ミックスという全22曲は、ヒットパレードが幸福だった時代の好サンプルとして耳に心地いい。

 聞きどころを挙げるとすれば、まずはホフマン&クラインによる作品群。彼らは彼女に全部で7曲のシングル曲を提供、更に今回発掘されたファースト・セッションのデモ録音では彼らの作品5曲が歌われており、録音は非常にシンプルだがどれも質のよいポップスに仕上がっている。曲各々に工夫があって、63年にリリースされ全然売れなかったシングルのタイトルが「Why Can't I Get A Guy?(どうして私はモテないの?)」というのには笑ってしまった。加えてポップス・マニアには気になるのが64年に発表された「Bobby Did」という曲で、この作者は当時まだ無名だったニール・ダイアモンド(彼もブルックリン出身)。曲のサビの部分で突然スカっぽいリズムになるのがなんとも楽しい。

 ヒット曲が少ないのでオールディーズ初心者にはこれより先に入手を薦めたいCDが沢山あるのだが、それなりに年期の入った(そういう年代の方が読んで下さっているかわからないが、リアルタイムでこの手の音楽を聴いていた方とか)オールディーズファンには非常にホッとする一枚ではないかと思う。こういうCDがたまに出てくれるのは、非常に有り難い。

曲目等詳細(発売元のサイト)

(2005/1/27)

Vinyl Junkies: Adventures in Record Collecting

ビニール・ジャンキーズ 〜レコード・コレクターという奇妙な人生〜
- ブレット・ミラノ:著(河出書房新社)



 このコーナーをご覧になって下さっている方の殆どは、いわゆる“レコード・コレクター”もしくはその予備軍ではないかと思う。てな訳で、そんな貴方に面白く、ところどころ身につまされる本の日本訳版が発売されたのでご紹介。

 レコード・コレクターは何故レコードを買い漁るのか?CDの時代なのに何故アナログにこだわるのか??そしてコレクターは何故女性にモテないのか???がこの本のテーマ。著者のブレット・ミラノはアメリカ西海岸を中心に活躍する音楽ライター(勿論彼もレコード・コレクター)で、彼の人脈を駆使して知り合いの“大リーグ級”コレクターからレコード・レーベルのオーナー、有名ミュージシャンまでインタビューを行い“レコード・コレクターの奇妙な人生”を浮き彫りにしている。

 この本のまず面白い点は、つい何処かで引用したくなるようなアナログ盤コレクトにまつわる“名言(迷言?)”に溢れているところ。幾つかピックアップしてみると

  • コンパクトディスクは共和党に似ている。とても強力かもしれないが、特定の世界に行くと、ほんとうに共和党に投票した人には出会わない。
  • 何かを蒐集したいという欲求は、セロトニン(不安を抑制する酵素)の不足から起こる。セロトニンのレベルが低い人は、より旺盛な欲望を持つと考えられている。アルコール中毒研究所によれば、セロトニン・レベルの低いアカゲザルは凶暴で、危険な行動を示す傾向があるという。但しそういうアカゲザルがビニール盤やCDを集めたがるかどうかについては言及はない。
  • ビニールが心をかきたてるのは、それが触覚や視覚に訴えるからだ。CDはどれもプラスティックのケースに入っていて基本的に見た目が同じだ。CDはコンドームをつけたセックスのようなものだ
 などなど。逆にアナログ盤蒐集家に対する辛らつな意見もある

  • ぼくたちはビニール盤を聞きながら育った。ぼくの場合、レアなLPに2〜300ドル支払うのは何ともないのに、レアなCDにふつうのCDより高い金を払うのには抵抗がある。ビニールの方が(CDに比べ)よりよいメディアであることには、歴然とした根拠がある。だがそんなことを言っていても、何になるんだ?ビニールのほうがいいと思うのは自由だが、とっくに結婚して三人の子供がいるハイスクール時代のガールフレンドを思い続けるようなものだ。
 レコード蒐集家のサガ、そして苦労してようやく手に入れたレコードに一度も針を落とすこともなく棚にしまっただけで満足してしまうというコレクターの習性を“世の中で最高のドラッグ”に例える記述もあった。曰く「この世で最高に効き目のあるドラッグは、それを手に入れて箪笥にしまい込んでいても、その箪笥にあるドラッグの効き目を想像しただけで最高にハイになれる。」確かに、レコード・コレクトにはそんな面があるのかも知れない。あと、コレクターには「自分の趣味は他のコレクターほど重症ではない」と思い込みたがる傾向があるのだが、特殊事例や専門用語満載なこの本は、そんな貴方の“マニア度”を測る格好のサンプルになるのではないかと思う。僕も読んでみて何度も「あーよかったぁー、僕は彼らほどのマニアではなくて。」と部屋の壁を埋め尽くす数千枚のCDを眺めながら、何度も胸をなで下ろしたくらい。。

 世の中にはいろんなマニアがいて、この本はその中の“レコード・コレクターの世界”について、“レコード・コレクターなりの理屈”をまじえながら、辛らつかつ愛情たっぷりに言及した好著である。最後に一つ、部屋にレコードやCDを堆く積み上げている人なら必ず一度は言われたことがある一言に関するコメントがあったので、その引用でこのレビューを〆ることにしよう。

  • レコードでいっぱいの部屋の真下で寝ているから、みんなに、夜中に天井が陥没したら下敷きになるぞと言われている。それで思ったんだ。たしかにそうだけど、それこそいい死にかたじゃないかって。

目次等詳細(出版元のサイト)

(2005/1/23)

The Tony Jackson Group

Watch Your Step: The Complete Recordings 1964-1966
- The Tony Jackson Group (Castle)



 「ビニール・ジャンキーズ」には“モノマン”というハードコアなアナログ・コレクターが登場するが、その彼が本の最初から最後まで悪戦苦闘しながらようやく手に入れるのが“トニー・ジャクソン”というアーティストのアナログ盤。偶然にも昨年彼が60年代に残したすべてのレコーディングを集めたCDがイギリスで発売されているので、ご参考までに紹介しておこう。

Meet The Searchers トニー・ジャクソンがどんなアーティストだったのかを「ビニール・ジャンキーズ」から引用すると

“トニー・ジャクソンはサーチャーズの初代リードシンガーで(サーチャーズ版の「Love Potion No.9」は彼が歌っている)清潔なイメージのグループの一員としては行状がよくなかった。彼はブリティッシュ・インヴェイジョンで有名になったグループ出身者として、最初にソロになった一人で、コカインをやったのも最初。ジャクソンのレコードはどれも素晴らしく、ブリティッシュ・インヴェイジョンというより「フリークビート」だ。”

 なのだとか。もうちょっと補足すると、1963年に「Sweets For My Sweets」でデビューし、ジェリーとペースメーカーズ、ビートルズに続いてUKチャートのトップに輝いたビートバンドがサーチャーズで、その最初3枚のシングルでリードボーカルをとっていたのがベーシストのジャクソン。その後プロデューサー、トニー・ハッチの判断でリードをマイク・ペンダーに挿げ替えられ出番を減らした彼はそれが面白くなく、次第にステージをすっぽかすようになり、後任のベーシストが見つかったところでソロとして独立(早い話が“クビ”)。サーチャーズが人気絶頂期の交代劇だったため、その騒ぎは近年でいえばテイク・ザットからロビー・ウィリアムスが、スパイス・ガールズからジェリが脱退した時に匹敵するものだったという。。

 このCDには彼が“ヴァイブレーションズ”を率いて発表した録音群、64〜65年にパイからリリースしたシングル4枚、66年CBSからのシングル4枚、そして67年にポルトガルに渡り残したEP収録の4曲に未発表音源という全24曲が収録されている。ヒットチャート的には64年の第一弾シングル、メリー・ウェルズ初期のヒットのカバー「Bye Bye Baby」がUKチャート最高38位を記録したのみなので、彼らは不成功に終わったバンドということになるが、残された音源はそれだけでは片付けられないユニークさがある。サーチャーズの「Sweets For My Sweets」や「Sugar And Spice」などでも聴けるジャクソンのハイトーンかつハイテンションなボーカルと、オルガンをフィーチャーしたバンド・サウンドは60年代後半に盛り上がる“ガレージ・ロック”の先駆的存在と解釈することも出来、それが彼らのレコードが世界中のコレクター垂涎の的となる理由になっている。

 サーチャーズ同様カバー作品を中心としていたパイ時代は、サ−チャ−ズのサウンドをよりシンプルに、よりハードにした印象。「Love Potion No.9(ジャクソン脱退後アメリカでTOP10ヒットを記録)」の再録音は、彼を追い出したグループへのリベンジか?R&Bヒット「Fortune Teller」のカバーで聴けるギター・サウンドは、ホリーズあたりのバージョンを聴きなれた耳に軽いショックを与えてくれる。続くCBS時代もサウンドのハードさは増しつつ、ジャクソンのオリジナル作品もちらほら登場しつつ。中には若きウォーレン・ジヴォンが結成していたライム&サイベルがオリジナルの「Follow Me」なんて非常に渋い作品もあって楽しめる。

 で、冒頭にネタ振りとして書いた“モノマン”が血眼になって世界中のコレクターズ・ショップを探し回り、ようやっとのことベルギーで見つけたそれを入手するため、結果的に4,000ドルもの金を注ぎ込んでしまったというシロモノが、彼らが67年にリリースした前述のポルトガル産EP。CDのブックレットでジャケ写も確認できる同作には、恐らく当時彼らのステージ・レパートリーであったであろうカバー曲、ポール・リヴィアとレイダーズの「Just Like Me」、スモール・フェイセズの「Understanding」、サム・クックの「Shake」、バーズの「He Was A Friend Of Mine」の4曲が収録されている。“モノマン”は「Just Like Me」にご執心の様子だったが、どの曲もガレージ的にはまずまず合格、但しこれらに大変レアであること以上の価値を見い出す人はどれくらいいるのだろうか?といった印象。

 ともあれ「ビニール・ジャンキーズ」でトニー・ジャクソンの存在が気になった方、そしてガレージ・マニア、更に1964年以降のサーチャーズを「ぬるいっ!」と思っているブリティッシュ・ビートファンには興味深いCDだと思う。さすがにこのCDに4,000ドルの価値を感じる人はいないと思うが(モノマンも言うだろう、「このCDに価値はない、何故ならこれはCDだから。」と)レコード店頭で2,000円そこそこの値段で入手するなら十分につり合う内容があると思うので。

曲目等詳細(発売元のサイト)

(2005/1/23)

The First British Hit Parade

British Hit Parade 1953


The First British Hit Parade (Britain's Greatest Hits Vol.1)
1953 British Hit Parade (Britain's Greatest Hits Vol.2)
(Acrobat)



 UKチャートで現在話題になっているのが「史上1000番目のUKナンバー1ヒットになるのはどの曲か?」。年末に1位を独走したバンドエイド20の「Do They Know It's Christmas」が997番目、年が明けてスティーヴ・ブルックスタインの「Against All Odds」が998番目ということで、着実にカウントダウンは進み、早ければ今月中にも1000番目のナンバー1ヒットが生まれそうな勢い。で「Flashback」的には逆に「じゃ、一番最初のUKナンバー1は何?」という話になる訳で、そこら辺を探るには最適なCDを見つけ、入手することが出来たのでご紹介しよう。

British HIT Singles & Albums 17th Edition イギリスでシングル盤の売れ行きを毎週レポートするようになったのは1952年11月14日付の「New Musical Express (N.M.E.)」紙からだそうで、この週から現在までにUKチャートに登場したシングルをアーティスト別にリストしたのが「ギネス・ビール」や「ギネス・ブック」でお馴染みのギネス社が発行している「Guiness World Records: British HIT Singles」。これは当初2年おきくらいに版が重ねられていたが最近は毎年出るようになり、2002年に出た第16版は25周年記念ということで表紙はゴールドという非常に派手なものだった。続く17版(2003年発行)の表紙はなんとエメラルド色!本版からはシングル・チャートに飽き足らずアルバム・チャートの成績まで掲載するようになりボリュームは増すばかり。この本が今後どのような方向に向かうのか、期待半分・不安半分で新版到着のニュースを待っている。

 で、話は変わってCD再発の件。以前からその手のものを入手する度同じようなことを書いている気がするが、ヨーロッパでは発表から50年を超えた作品の著作権は消滅してしまうようで、1950年代前半以前の様々な音楽のコンピレーションが、物凄く充実した内容で、しかも物凄い廉価で次々とリリースされている。今回入手したのはチェコの「アクロバット」という名前も怪しげなレーベルから出されたもので、その対象は“初期のUKチャート”。これがちょっと凄い内容になっている。

 まずは「The First British Hit Parade」から。UKチャートのスタート地点とされているのが1952年11月14日付であるという話は先ほど書いたが、このCDにはその最初のチャートにランクインした15曲を順位通りに収録!!凄いでしょ。因みにこの週の1位はアル・マルティーノの「Here In My Heart」で、以下同順位も何曲かあって12位までランク通りに曲が登場。アメリカ人アーティストが圧倒的に強いのは仕方がないところか。更にこのCDには翌週以降その年の12月末までにニューエントリーした12曲が追加で収録されていて、この年のUKチャート(とはいっても2ヶ月だが)に登場した曲全てを1枚のCDで聴くことが出来る。凄い。これまで名前も聞いたことがないようなUKアーティストの録音とか、一体どうやって音源を揃えたんだろう?と思うことしきりの1枚。

 続く「1953 British Hit Parade」はもっと凄い。53年の1月3日付から同年の12月19日付までにニューエントリーした75曲全てを3枚のCDに収めたというシロモノ。本当にこれで全部??前述の「British Hit Singles」の著者でもあるデイヴ・マクアリアによる全曲解説(!)が付いているので収録曲を細かく紹介することも出来るが、きりがないので止めておくとして、アメリカ勢が優勢なのは前年同様、一方でイギリスのカバー系(アメリカのヒット曲を歌うイギリス人)アーティストやバンド・リーダーたちがかなり登場してきており、これまで名前しか知らなかったそれらの音源を聴くことが出来るのは非常に有難い。またイージー・リスニング系についてはこの時代アメリカよりもイギリスやヨーロッパ勢の方がセンスは先を行っている印象があり、それらの中の幾つかの作品が「London」レーベルを通じてアメリカのヒットチャートにも登場していることを考えると、その背景を窺える点で興味深い。

 アメリカ人アーティストにもこの年は“イギリスのみヒット”がいろいろ出てきていて、これも全米チャートを追っているだけではわからないことが多い。例えば当時日本でもヒットしたディーン・マーティンの「Kiss(マリリン・モンロー主演映画「ナイアガラ」挿入歌)」、はアメリカではヒットの記録は無いが、イギリスでは最高5位を記録していたとか、フランキー・レインの「Girl In The Wood」という曲、これはアメリカのチャートをチェックしているだけでは見落としがちだがイギリスではしっかりヒットを記録しており、しかもその数年後ジョン・レイトンの「Johnny Remember Me(霧の中のジョニー)」に多大な影響を与えている、なんてことがこのCDで知ることが出来る。

 音質はベストとは言えないが本当に貴重な音源満載、しかもこれさえ持っていれば初期のUKチャートのヒット曲は全て聴くことが出来るんだから、その手のマニアは入手しない訳にはいかないでしょう。値段もかなり安いし。但し、入手には一寸苦労するかもしれないので(僕もamazonでオーダーして実際に入手するまでに数ヶ月を要した)、いろいろ手を尽くして、根気よく到着を待っていただけば、と思う。あとこれの1954年版、今年は出るんだろうか?それも楽しみに待ちたいと思っている。

収録曲リスト及び最高位:
The First British Hit Parade (Britain's Greatest Hits Vol.1)
1953 British Hit Parade (Britain's Greatest Hits Vol.2)

(2005/1/4)

Something Big - Burt Bacharach

Something Big: The Complete A&M Years...And More
- Burt Bacharach (Hip-O Select)



 ユニバーサルの傘下に“Hip-O”という再発専門レーベルが出来たのはもう随分前のことになるが、当初MCA系の音源を扱うのみだった同社はユニバーサルが吸収・合併を重ね次々とレーベルを傘下に納めるにつれカタログを増やし、現在では世界最大級の音源を有している。

Hip-O Records Hip-O(カバ)というレーベル名が物語っているとおり、同社は設立当初よりRhino(サイ)に強烈なライバル意識を持っているようで、数年前RhinoがWeb通販専門の「Rhino Handmade」を立ち上げ、ワーナー系列の貴重な音源の限定販売を始めるとこれに追従、昨年「Hip-O Select」がスタートしている。とにかく物凄い数のカタログを有しているので一体どのような貴重盤が登場するのか楽しみにしているのだが、現状発売されているものの殆どは「確かにレアだけど、内容は大したことないもの」もしくは「既に日本ではCD化済みのもの」ばかりで、割高な対価+送料を負担してまで入手すべきものはなく、このコーナーでも紹介できない状態が続いていた。

 そんな中「これなら買ってもいいかな。」というものがようやく発売された。バート・バカラックがアーティストとしてA&Mレコードに残した全音源+αを5枚のCDにまとめたもの。まるでSP時代の“アルバム(当時はSP盤が複数枚セットになったものがアルバムと呼ばれており、それがLPの通称の起源となった)”を思わせるような豪華な装丁にも心惹かれつつ、取り寄せてみた。

 バカラックがプロのソングライターとして作品を世に送り出し始めるのは1950年代の半ば。1958年に「Story Of My Love」が大競作ヒットとなって本国より先にイギリスでブレイクした彼は・・という話は、いずれホームページ「Flashback」で1コーナー設けてコッテリとやりたいと思っているので今回は割愛。CDについているディスコグラフィによれば彼がアーティストとして初めてリリースしたシングルは1957年の「Rosanne(Cabot 108)」とのことだが、これもいずれ誰かが探し出してCD化してくれるのを待つとして、ここでカバーされているのは60年代半ば、彼がヒットメーカーとして名声を確立してからの作品群。

 収録音源の中心となっているのは、彼がA&Mから発表したアルバム6枚と映画「明日に向かって撃て」のサントラと称して発売された (実際は新たに再録された)アルバム、そしてそれ以前の65年にKappレコードから発表した「Hit Maker!」の計8枚分。いずれも個別にCDとして発売済みなので、ここら辺の紹介はいいでしょう。気になるその他の音源を収録順に紹介してみましょう。

 まず1枚目のCD(アルバム「Reach Out(67年)」と「Make It Easy On Yourself(69年)」のカップリング)には68年に発売されたクリスマス・シングル「The Bell That Couldn't Jingle」が。多くのアーティストが取り上げてバカラック・ファンにはお馴染みのこの曲が、ここでは女性コーラスによって歌われている。続くCD2枚目(「Burt Bacharach(71年)」と「Living Together(73年)」)にはレア音源の追加はなし。アーティストとして一番充実していた時期の2枚だから、これはこれで充分聴き応えあるが。3枚目のCD(「Futures(77年)」と「Woman(79年)」)にも追加曲はなく、この頃は既に僕の好きなA&Mサウンドではないので、多分今後一番聴く機会の少ないCDになると思う。但し“クロスオーバー”とか、その類いの音楽が好きな方にはそこそこ楽しめる内容かもしれない。

 で、ここからが本番。CD4枚目にはまずアルバム「明日に向かって撃て」の9曲が収録され、続いて同アルバム収録の「Come Touch The Sun」の未発表バージョン「Etta's Theme」が。こちらはトランペットの音色がより哀愁味を帯びた仕上がり。その後には15曲に亘って1974年に日本のみで発売された来日公演実況盤「Burt Bacharach In Concert」を丸ごと収録。当時如何に彼が日本で人気があったかの証であるこのアルバムは世界初CD化。録音も非常にいいし、曲毎の観客の反応もいい。こんな音源が残っていてよかった。

 最後5枚目のCDはKappのアルバム「Hit Maker!」を中心に、他社録音をセレクト。まずは63年にリリースされ小ヒットを記録したシングル「Saturday Sunshine」の未発表モノ・ミックス、そしてそのシングルのB面だった「And So Goodbye, My Love」、そして65年のシングル「My Little Red Book」と「What's New, Pussycat」のカップリング。ここら辺は既発の「Hit Maker!」CDで聴けるか。66年に出した2枚のシングル、ユナイテッド・アーティスツからの「After The Fox」と「The Fox Trot」、リバティからの「Nikki」と「Juanita's Place」が一緒に聴けるのは有難い。更におまけとして80年代の録音「Arthur's Theme」「That's What Friends Are For」「Love Theme From Arthur」も追加されているのは、はっきりいって余計。

 バカラック作品のベスト・バージョンが、バカラック自身の名義による録音であることは非常に稀なので、これは入門者向きではな い。逆にバカラック・マニアを自称する人であれば“記念品”として持っていてもいいんじゃない?ということで。Hip-O Selectにはこれに続く“第2弾”を何らかの形で出してくれることを期待したい。なお同社は2005年にモータウン関係の大変な大型企画を予定しているようで、これはいずれこのコーナーで紹介することになると思う。

曲目等詳細(発売元のサイト)

(2005/1/4)

The Complete Duke Recordings - Johnny Ace

The Complete Duke Recordings - Johnny Ace
(Hip-O Select)



 もう1枚Hip-O Selectから。ロックファンには1981年サイモンとガーファンクルのセントラル・パークにおける再結成公演で、ポール・サイモンからその前年殺害されたジョン・レノンとともに追悼歌「Late Great Johnny Ace」を捧げられたことで知られているかもしれない男、1950年代前半に数々のヒットを放ちながら、1954年のクリスマスの夜にロシアン・ルーレットで突然この世を去った謎多きブルースマン、ジョニー・エイスのベスト盤。

 1929年生まれのジョン・アレクサンダーが第2次世界大戦出征後メンフィスの歓楽街ビール・ストリートでミュージシャンの職を得たのは1940年代末のこと。B.B.キングのバンドでピアノを弾いていた彼はソロでレコード契約を結びツアーに出たB.B.からバンドを引き継いで当地で活躍。52年に発足間もないデューク・レコードと契約を結び、“ジョニー・エイス”としてルース・ブラウン1949年の大ヒット「So Long」を改作した「My Song」をリリースし、これがR&Bチャートで9週連続の1位を記録、エイスは一躍業界注目の的となる。その後彼が放ったヒットを列記すると

Johnny Ace Memorial Album (1955)Cross My Heart(53年R&B3位)
The Clock(53年R&B5週1位)
Saving My Love For You(54年R&B2位)
Please Forgive Me(54年R&B6位)
Never Let You Go(54年R&B9位)

 と、どれも好成績を収めており、人気アーティストの座を手に入れている。彼が放つヒットはどれもメロウなバラード・ナンバーで、“ブルース・バラディアー”としての彼の名声を更に高めたであろう決定的な曲が次にリリースされた「Pledging My Love」であった。

 しかし、この曲のプロモーション・ツアー中の1954年12月25日夜、悲劇は起こる。ヒューストンにある公会堂の楽屋でバンド・メンバーたちとロシアン・ルーレットに興じていた彼は自分の頭を撃ち抜いてしまったのだ。翌日彼の死亡が確認されたことを受けてデューク・レコードは急遽彼の作品を集めた「Johnny Ace Memorial Album」を制作。事故の話題性も追い風となったのか「Pledging My Love」はR&Bチャートで10週間1位を記録、ポップチャートにも登場する大ヒットとなり、ジョニー・エイスは一躍伝説的な存在となった。

 「Memorial Album」は1957年に12インチのLP(12曲入り)として再発され、以降ジョニー・エイス唯一のアルバムとして現在までカタログに残り続けている。彼は生前デュークに20曲分の録音を残しているのに、どういう訳かCDの時代になってもこのフォーマットは守られ続け、今も同じジャケット・デザインで12曲入りのCDがショップに並べられている。何故?まるで呪いでもかけられているようなこの現象が長年不思議で仕方がなかった(実は今回この原稿を書くにあたって調べたところ、過去に曲数が追加されたアルバムの発売もあったようなのだが、詳細が確認できなかったので話の流れ上このまま進めさせていただく)。

 そんな訳で今回Hip-O Selectより5,000枚限定で発売されたコンプリート・レコーディングスは、僕にとって長年の念願が叶ったもの。「Memorial 〜」には何故か未収録だったヒット「Please Forgive Me」を含む全20曲入りで、決してバラード専門ではなく、ジャンプ・ナンバーも、泥臭いブルース・ナンバーもこなす彼の多面性を知ることが出来る。しかし、どうしても聴き入ってしまうのはやはり「Pledging My Love」などのバラード・ナンバーで“ジョニー・エイスはバラードに限る”という認識に揺るぎはないのだが。

 それにしても何故彼のような重要アーティストの、たかだか20曲入りのCDが、このような「完全限定」という形でしかリリースできないのだろうか?やはり不思議だ。アメリカから届いたCDに付けられた通し番号が5,000枚中18番(!)というのも非常に不安にさせられるし・・これってやっぱり呪いとか祟りとかあるの??“事情通”の方がいらしたら、是非ともアドバイスを下さい。。

曲目等詳細(発売元のサイト)

(2005/1/4)