八亀's Picks - December 2004

過去の八亀's Picks

12.30 The White Whale Story Vol.2
12.26 Tighten Up/I Can't Stop Dancing - Archie Bell & The Drells
12.26 There's Gonna Be a Showdown - Archie Bell & The Drells
12.26 Joel Whitburn presents Christmas In The Charts
12.25 Wayne One + Bonus Tracks - Wayne Fontana
12.25 ニッポンのうた漂流記 - 飯塚恆雄:著

The White WhaleStory Vol.2

Out Of Nowhere - The White WhaleStory Vol.2
(Rev-Ola)



 レコード・レーベルに焦点を絞り、レアな作品を発掘していくRev-Olaの「Phantom Jukebox」シリーズ、最初の2枚を今年の1月に紹介したが、続編が約1年たって到着。内容は前回も紹介したホワイト・ホエール・レコードの第2弾。

White Whale Records ホワイト・ホエールはフォーク・ロックやガレージ・ロックを得意としたレーベルで、CDの前半はガレージ・サウンドが続く。気になるところでは80年代にR.E.M.がカバーして有名になった「Superman」のクリークによるオリジナル・バージョン、当時15歳だったという非常に早熟なJ.K. & Co.のサイケな「Out Of Nowhere」「Little Children」あたりか。67年に牧歌的な「That Acapulco Gold(米70位)」のヒットを放ったレイニー・デイズが69年にリリースした奇妙なインスト「Make Me Laugh」の訳のわからなさも何か楽しい。

 CD後半に差しかかるとグッとポップさが増して、個人的にはここからが断然楽しい。ブルーアイド・ソウル系のバラード「Just You Wait」を歌っているウォルター・スコットは66年に「The Cheater(米12位)」のヒットを放ったボブ・キューバン(&イン・メン)その人で、なかなか立派な仕上がり。才能のあるシンガーだったと思うが、現在アメリカで彼は80年代に妻とその愛人によって殺害された不幸なアーティストとしてのみ人々の記憶に残っているようだ。続いては今年「Drift Away」のリバイバル・ヒットで復活したドビー・グレイ、彼が歌うケニー・ノーラン作の「Honey, You Can't Take It Back」、ビリー・ジョー・ロイヤル「Cherry Hill Park」系の「What A Way To Go」ともに優れたポップ・ソウルで、聴き応え十分。

 ホワイト・ホエールには「ヴェガ」という子会社があり、そこに所属していたのがケニー・オーデル。彼の「Beautiful People(67年米38位)」はこのCD唯一のチャートヒットで、いうまでもない名曲。もう一曲収録されている「Groovy Relationship」も佳曲で、この人の作品をもうちょっと聴いてみたくなった。CD最後の方に登場する謎のグループ“クリスマス・スピリット”が発表した「Christmas Is My Time Of The Year」のソングライターはタートルズのハワード・ケイランで、後に彼が“フロー&エディ”としてT.レックス作品等で披露する奇妙なコーラス・ワークを早くも聴くことができるし、もう一曲の「Will You Still Believe In Me」ではストーン・ポニーズからソロ・キャリアを開始しようという時期にあったリンダ・ロンシュタットの歌声がフィーチャーされていてこれまた貴重。

 CDのクロージング・ナンバー、インストの「The Room」を演奏しているニューF.B.I.バンドの正体はポール・ウィリアムスで、これは彼のバンド「ホリー・マッケラル」としてレコード契約を獲得する数ヶ月前の録音なのだとか。そういえばこのCDの第1集には彼の代表作「愛のプレリュード」のオリジナル・レコーディングが収録されていたし、何かと縁のあるレーベルのようだ。そんな訳で“ロサンゼルスのポップ・シーン秘宝集”的趣のあるこのCD、ガレージ・ファンにもソフト・ロックファンにも楽しめる内容になっている。第1集、そして他社から出されている同レーベルのヒット曲集等も併せて聴いてみていただきたい。

曲目等詳細(発売元のサイト)

(2004/12/30)

Tighten Up/I Can't Stop Dancing

There's Gonna Be a Showdown


Tighten Up/I Can't Stop Dancing
There's Gonna Be a Showdown
- Archie Bell & The Drells (WSM)



 以前書いたことがある通り“アーリー・フィラデルフィア”というキーワードに非常に弱い僕にとって嬉しいリイシューがヨーロッパから届いた。1968年のナンバー1ヒット「Tighten Up」でお馴染みのアーチー・ベルとドレルズがアトランティック・レコードに残した全録音を2枚のCDに詰め込んだお得盤。

 「アーチー・ベルってフィラデルフィア出身??」と多くの人は思うでしょう。なにしろ「Tighten Up」の中で彼は「ハ〜イ、僕たちテキサス州ヒューストン出身のアーチー・ベルとドレルズ!」とはっきり言っているのだから。そのとおり、彼らはテキサス出身。でもこの先を読んでいただけば、何故このCDが“フィラデルフィア”なのかがお解りいただけると思う。

 アーチー・ベルは1967年10月にテキサスで「Tighten Up」を録音した時、既にベトナム戦争への出征が決まっていたという。シングル盤1枚の録音を残して旅立った彼は、しかし何故か戦地には送られず、ドイツで役務に従事しているうちに(バイオグラフィによっては彼はベトナムで負傷しヨーロッパで療養したという記述があるが、実際にはベトナムの地を踏んだことはないらしい)地元で「Tighten Up」がヒットを記録。本人不在をいいことに見知らぬ白人バンドが“ドレルズ”を名乗って巡業を始めるような状態となり、アトランティック・レコードが全国配給を申し出た際にベルは休暇を利用してテキサスに戻りたった1日でアルバム一枚分の録音を敢行。アトランティックのリリース用に「Tighten Up」のパート2も録音し、現在我々が知るAB面にまたがるシングル音源が完成したという。

I Can't Stop Dancing そんな訳で急造盤のファースト・アルバムは、テキサスでライブ・パフォーマンスを行っていた当時の彼らの雰囲気が窺える、かなりラフな作品に仕上がった。再びドイツに戻ったベルにやがて届いたのが「Tighten Up」の全米ナンバー1ヒットの知らせで、こんな時期に十分に人前で自慢のヒット曲を演奏出来なかったベルの無念さは察して余りあるが、この思いは発売元のアトランティックも同様で、早急にヒットをフォローするシングル音源の必要から、制作を依頼したのがフィラデルフィアのプロデューサー・コンビ、ケニー・ギャンブルとレオン・ハフ。続く2枚のシングル「I Can't Stop Dancing(68年米9位)」「Do The Choo Choo(同年米44位)」は彼らのシグマ・サウンド・スタジオ及びニューヨークのアトランティック・スタジオにベルを呼び寄せる形で録音&リリースされ、残るセカンド・アルバム「I Can't Stop Dancing」収録曲はテキサスで2度に分けて録音されたが、このやる気の感じられないジャケット同様シングル曲の水準を期待するとがっかりさせられるような内容になってしまった。

 イントゥルーダーズの「Cowboys To Girls(68年米6位)」、ジェリー・バトラーの「Only The Strong Survive(69年米4位)」と大ヒットを次々と飛ばしトップ・プロデューサーの座を築きつつあったギャンブル&ハフにアトランティックは続いてアーチー・ベルとドレルズ用にアルバム1枚分の制作を依頼。結果生まれたのがサード・アルバム「There's Gonna Be A Showdown」で、タイトル曲(69年米21位)をはじめほぼ全編フィラデルフィア録音の大変充実した内容となった。ソングライターは主としてギャンブル&ハフ、曲によってはトム・ベルやボビー・マーティンといったフィラデルフィア人脈も絡み“アーリー・フィラデルフィア(やっとこのキーワードが出てきた)”好きには堪らない。初期のフィリー・サウンドが存分に堪能できる名盤に仕上がっている。

 ベルの兵役がようやく解かれるのが1969年の4月。その頃にはドレルズの人気は既に下火になっており、以降彼らがポップのTOP40に返り咲くことはなかった。そういった意味で彼は“ベトナム戦争にキャリアを台無しにされた不運なアーティスト”と言うこともできるが、彼はこれだけでは終わらなかった。70年に入ると今度は新たなるソウルの“メッカ”となっていたアラバマ州マッスルショールズに送り込まれ、当地のスタッフとシングルを制作。これまたいい出来で大したヒットにならなかったのが不思議なくらい。CD「〜 Showdown」のボーナス・トラックには彼らが69年〜72年にリリースしたシングル音源を11曲(うちフィラデルフィア録音3曲、マッスルショールズ8曲)追加、更に未発表に終わった「One Night Affair(後にオージェイズがヒットさせる)」、クラレンス・カーターがヒットさせる前に録音したという「Patches」等も聴ける大変な充実盤。知名度でいえばなんといっても「Tighten Up」ということになるが、内容的には「〜 Showdown」が素晴らしいということで、両方併せての入手をお薦めしたいところ。

 アーチ・ベルとギャンブル&ハフの関係はその後も続き、70年代半ばには彼らの“フィラデル・インターナショナル”に移籍して「Let's Groove(76年R&B7位)」の大ヒットを放つ。そんな彼の初期コンプリート作品集、「Tighten Up」好きも、フィリー・ソウル好きも是非ご一聴を。

Archie Bell & The Drells Singles Discography on Atlantic

(2004/12/26)

Christmas in The Charts

Joel Whitburn presents Christmas In The Charts
(Record Research)



 ビルボード誌のヒットチャートをこと細かく集計し、様々なデータ本を発行しているレコード・リサーチ社が今シーズン発売したのが“クリスマスにまつわるヒット曲”をテーマにしたもの。クリスマスを過ぎて紹介するのは少々間抜けだが、1年先までネタをとっておく訳にはいかないので今のうちに書いておこう。

White Christmas - Bing Crosby 日本でもこのシーズンになると様々なクリスマス・ソングがリリースされ、ヒットチャートを賑わすが、当然のことながらアメリカはその比ではなく、毎年々々多くのメジャー・アーティストがクリスマス・アルバムをリリースしている。それらのアルバムの多くはその後何年も年末になると売上を伸ばし、その累計売上はばかにならない数字になる。一番有名なのがビング・クロスビーの「White Christmas」で、第2時大戦中の1942年に発表されて以降1973年まで30年以上殆どのクリスマス・シーズンにチャートに登場し、総売上枚数は1億枚以上というとんでもない記録になっていて、これは現在も数字が積み上げられ続けている(一番最近では1998年のアダルト・コンテンポラリーチャートに登場している)。

 この本ではビルボード誌がヒットチャートを発表し始めた1920年から2003年までに様々なチャートに登場したクリスマスソング、または“Winter”“Cold”“Snow”といった季節を感じさせる単語がタイトルに入っている曲を集大成している。この“タイトルに冬を連想させる単語が入っている曲”というのが結構面白くて、サイモンとガーファンクルの「Hazy Shade Of Winter」とかクワイアの「It's Cold Outside」、トミー・ロウの「It's Now Winter's Day」などに加え、歌詞に「クリスマスの朝」というフレーズが出てくるインプレッションズの「Amen」までが入っていて、meantimeのメンバーが集まるとたまにヒット曲を題材にした“チャート・クイズ”というのをお遊びでやることがあるんだけれども、まるでその参考書みたいな趣があって可笑しい。“で、カウンティング・クロウズの「Long December」が入っていないのは何故だ??”とか、ツッコミを入れたりしながら読むとなお楽しい。

 メインを占める正調のクリスマス・ソングの方には、お馴染みのスタンダードが続々。ザァっと見たところ一番古い1921年のピアレス・クァルテット「Auld Lang Syne」から2004年初頭のカントリー・チャートに4曲ものクリスマスソングを同時にランクインさせたケニー・チェズニーまで、1世紀近くに亘る記録がずらり。同名異曲が多いためか、曲の索引にはソングライター名まで掲載されているのも親切。参考までにクリスマス・チャートをはじめとする様々なチャートに多くのバージョンが登場した曲のランキングを紹介しておくと

White Christmas - Bing Crosby1. White Christmas (18バージョン)
2. Jingle Bells (13バージョン)
3. The Little Drummer Boy (13バージョン)
4. The Christmas Song (11バージョン)
5. Rudolph, The Red-Nosed Reindeer (10バージョン)

 といった感じ。続いて本の後半はアルバムチャートをまとめたセクションになっていて、内容的にはこちらの方が濃い。ビルボード誌がアルバムチャートを始めた1945年から今年の頭までにランクインしたクリスマス・アルバムを集大成していて、その量に圧倒させられる。特に凄いのが各アルバムに収録されている曲が完全にリストされていて、巻末には曲別の録音アーティスト・インデックスが掲載されている点。例えば「Winter Wonderland」を調べると、過去にチャートインしたクリスマス・アルバムに限っても実に185バージョン(!)もの録音が残されていることが判るという。これはちょっとしたクリスマス・ソング辞典といっていいでしょう。

 クリスマス・アルバムは今年も様々な種類が発売されており、特にカントリー界ではトップ・アーティストは何年かに1枚必ずリリースするといっていいくらいのペースで出続けている。アダルト・コンテンポラリーチャートでのクリスマス・ソング人気も相変わらずだし。チャートの基準や掲載期間がまちまちで謎の多いクリスマス・チャートの記録を知ることができるという意味でチャート研究家にとって大変有り難い一冊であるばかりでなく、様々なタイプの音楽ファンが、様々な楽しみ方ができる一冊であると思う。

内容等詳細(発売元のサイト)

(2004/12/26)

Wayne One

Wayne One + Bonus Tracks - Wayne Fontana
(BGO)



 ブリティッシュ・ビートファンにはお馴染みのウェイン・フォンタナとマインドベンダーズ。ボーカルのフォンタナがグループを独立してから発表した作品がひとまとめでCD化されたので紹介しておきましょう。

The Game of Love - Wayne Fontana and The Mindbenders その前にグループの歴史を少々。マンチェスター出身のグリン・エリスはエルヴィス初期のドラマー、D.J.フォンタナから名をいただいた「ウェイン・フォンタナ」のステージ・ネームでバックバンド「ジェッツ」を従えて各地のクラブに出演。63年に縁あって「フォンタナ・レコード」と契約を結んだ彼らだったが、フォンタナとともにレコード・デビューを果たしたジェッツのメンバーはベーシストのボブ・ラングのみ、他のバンドからエリック・スチュアートとリック・ロズウェルを加えた「ウェイン・フォンタナとマインドベンダーズ」として音楽シーンに登場し、ビート・ブーム最高潮にあった64年後半にリリースしたメイジャー・ランスのカバー「Um, Um, Um, Um, Um, Um(恋のウムウム)」が全英5位を記録してブレイク。続く「The Game of Love(恋のゲーム)」がイギリスで最高2位を記録したばかりでなく海を渡ったアメリカでナンバー1に輝き、一躍注目を浴びる存在となった。

 アメリカでも成功を収めたフォンタナとマインドベンダーズ、そこでレコード会社が画策した次の一手が“フォンタナの独立&いち推し”。バンドの顔であるシンガーをソロとして独立させ売り出そう、という考え方は恐らくクリフ・リチャードとシャドウズに倣った芸能界の“慣習”だと思うが、この時期イギリスでは幾つか同様なケースが見られ、彼らの他にはトレメローズからブライアン・プールが、マンフレッド・マンからポール・ジョーンズが独立して各々売り出しが図られている。

A Groovy Kind of Love - The Mindbenders 後から考えればそれらソロ・シンガーたちはいずれも当初期待されたほどの成功を収めることは出来ず、逆に全くあてにしていなかった(?)バンドの方がヒットを飛ばし続けるという皮肉な結果になっているところが面白い。トレメローズはデッカ・レコードがビートルズを落として契約を結んだグループとして知られているが、その後デッカはブライアン・プールを残してバンドを解雇。全くヒットを出すことが出来なかったプールに対してトレメローズはCBSに移籍し、あの時代有数の人気ポップ・グループに成長するという“二重のミス”を犯しているのだ。で、マインドベンダーズのケースだが、ルックスも良くスター性もあったフォンタナはTOP10ヒットを生み出すことに失敗し、逆にどう見ても地味なバンドの方が「A Groovy Kind of Love(『恋はゴキゲン』66年米2位/英2位)」のビッグヒットを放つというこれまた皮肉な結果に。さらにメンバーのスチュアートとその後加入したグレアム・グールドマンが10ccを結成したことで彼らは“UKポップの源流”と現在は見なされており、当時残された作品を探し求める熱心なコレクターは多い。

 ・・と、最初に結果を書いてしまうと、この時点でウェイン・フォンタナに対する関心はかなり薄れてしまっているかも知れない。でも気にせず話を進めよう。今回発売されたCDは彼が独立して発表した唯一のソロ・アルバム(66年)に、その前後にリリースされたシングル音源(65〜70年)を22曲ボーナス・ディスクとして追加した2枚組。ボーナスが本編の約2倍とは・・。オリジナル・アルバム「Wayne One」はスタンダード・ナンバーを中心に、かなり大人しめの内容。バンド時代のロック色をかなり後退させ、ポップ・アイドルとして彼を売り出そうという意図は感じられるものの、かなり中途半端な印象。興味深い作品はむしろボーナスでつけられたシングル音源の方に多く、この時期らしくちょっとポップ・サイケがかったものもあって結構楽しめる。グレアム・グールドマンのペンによる「Pamela Pamela(66年英11位)」「The Impossible Years」あたりは哀愁漂う感じがなんとも言えずいいし、70年代に入ってジーン・ピットニーがヒットさせた「24 Sycamore」のオリジナル・バージョンも彼が「ピットニーにコピられた!」と言っているのがもっともな出来上がり。後半ではトレイドウィンズの「MInd Excursion」、ランディ・ニューマンの「Dayton Ohio 1903」といったカバーも興味を惹かれる。

 作品を聴いた印象を他のアーティストに例えると、同様にロッキン・ベリーズから独立し、ちょっとした成功を収めたジェファーソン、より大仰な曲調の作品になるとバリー・ライアンあたりが近いか?68〜69年にリリースされた「Never An Everyday Thing」や自作の「We're Building A Love」あたりはもはや“ブリティッシュ・バブルガム”の領域に踏み込んでるし、聴きどころは意外に多い。売れないながらも70年代までしぶとくシングルを出し続けた“哀愁のアイドル・シンガー”の軌跡を、よく噛みしめながら味わっていただきたい。なお彼は現在オールディーズ系のプロダクションを構え、当時活躍したアーティストたちと契約して興行をうっているのだとか。へぇ、そういう商才はあったんだ。

曲目等詳細(発売元のサイト)

(2004/12/25)

ニッポンのうた漂流記

ニッポンのうた漂流記 〜ロカビリーから美空ひばりまで〜
飯塚恆雄:著(河出書房新社)



 今回の音楽本は日本のレコード業界の内幕もの。著者は60年代から90年代の長きに亘って日本コロムビアのディレクター/プロデューサーを務めた方だそうで、在職期間中に同社に起こった様々な出来事を実名がバシバシ登場しつつ、時にはかなり辛らつに語られている。タイトルを見るとかなり古い時代の歌謡曲物語のように思われるかも知れないが実際はそんなことはない。本のタイトルは正確には「ロカビリーから美空ひばりの死まで」とした方がよく、エピソードは平成年間にまで及ぶ。

あんまり関係ないけどコロムビア・レコードのコロちゃん この手の本は過去にも色々とあって、一個人の視点から語られていることから我が国のポップスのごく一部分の壊述にとどまることが多く、同時期に流行し売上を競っていたであろう他の流行歌との関連性がよく見えてこない場合が多いのだが、この本では周囲にも目を配ることに気をつけている様子が窺え、また文中で参考文献として米レコード業界で活躍する人物たちを詳細に(ある部分はかなり露骨に)語った90年代の「ヒット・マン―CBSはレコード部門をなぜソニーに売ったのか」を挙げているように、情緒に流されず、引用元もかなり詳細に明らかにしつつ、その時その時の社内の出来事が語られている。

 それにしてもこの本、読んでるこちらがヒヤヒヤするくらい実名が登場し(現役の方には気を使ってアルファベット表記になっているようだが)、人によっては相当辛らつな調子で紹介されている。コロムビア社内で起こった様々な事柄(派閥争いやら、親会社批判やら、まぁサラリーマンだったら誰でも経験するようなこと)については特に遠慮なく語られていて、当時のコロムビアを知る人が読んだら、どう感じるんだろーなー、とちょっと思った。で、読み始めていきなり驚かされるのが、死後に国民栄誉賞を授かった我が国を代表する作曲家(別にここで名前を伏せる必要はないのだが)がゲイであったという話。業界では常識なのかも知れないが、一般の音楽ファンはそんなことを聞かされる機会はなかなかない。その他文中紹介される戦後の流行歌全盛期を飾った作家たちの素顔は、伝聞も多いがどれも興味深く、読んでいて感心したりワクワクしたり。

 著者が入社した当時のコロムビアは、邦楽では美空ひばり、島倉千代子、村田英雄、小林旭といったそうそうたるスターを抱え、洋楽ではビクターの「S盤」と双璧を為す「L盤」のカタログを有する一大メジャー。しかしそれがまず邦楽では制作スタッフや所属アーティストの多くが引き抜かれてクラウン・レコードが設立され、60年代後半にはそもそもの設立母体である米コロンビア(CBS)がソニーと合弁で「CBSソニー」を設立し、洋楽カタログをごっそり引き上げられるという事態に。以降会社は親会社から送られた経営陣の無能ぶり(と、僕じゃなくて著者が書いてる)もあって徐々に弱体化を始める。他社からのスタッフ引き抜きの駆け引きもありつつ、コロムビアは限られたリソースの中でヒット曲を生み出さなければいけない、とここから先が筆者の業界奮闘記の中心となる。

 日本コロムビアは歌謡曲の制作チーム「文芸部」の慣習に囚われない国産ポップスの制作のため新レーベル「デノン」を発足、折しも盛り上がりを見せていた“フォーク・ブーム”にのる形で発売された、シャンソン風のポップス、新谷のり子の「フランシーヌの場合(69年)」がヒット。続いて同年に「帰って来たヨッパライ」で一世を風靡していたフォーク・クルセダーズの加藤和彦と北山修が書いた作品をハワイの女子高生が歌ったベッツィ&クリス「白い色は恋人の色」が大ヒットし、翌年には森山加代子の復活作、意欲的な歌謡曲「白い蝶のサンバ」もこれまた成功と“ゲリラ戦法”的なデノンのリリースは次々とヒット。話は洋楽に変わってこの時期デノンは何故かマイク・カーブと契約を結んで初期のオズモンズのシングルなどをリリースしていて、個人的にはそこら辺の経緯なども知ることが出来たらよかったのだが、この本の中心は邦楽ポップスなので、取り上げられないのは仕方がないところか。

 70年代以降で印象に残ったエピソードを挙げていくと、まず大瀧詠一の「ナイアガラ」レーベルにまつわる話。セールス的に“暗黒時代”と呼ばれるあの時期に、アルバム・プロモーションのため各地で開催した「DJパーティー」に同行したのは著者だったそうだし、80年代に入って次々と生まれた「角川映画もの」ヒットを手がけたのもそう。ラウドネスのアメリカ進出にあたってコーディネイターを務めた際のエピソードはその時の制作日報の内容まで紹介されていて本当に興味深いし、その後レーベル「トライアド」の設立、洋楽ファンには非常に評判の悪かった“ニュー・ミュージックの英語カバー”を流行らせた「A.S.A.P.(As Soon As Possible)」までも企画したとなると、どれも“J-POP”のメイン・ストリームを占めるものではなかったが、そのアイディアの豊富さ、行動力に感心させられる。

 現在日本コロムビア(現コロムビアミュージックエンタテインメント)は外資会社となってしまい、その雰囲気はガラリと変わってしまっているらしい、と聞いたことがある。かつてのレコード業界やポップスそのものに興味のある音楽ファンは、読んでみて損のない本だと思う。こういう本が今後色々と出てくれると、本当に楽しいのだけれども。

曲目等詳細(発売元のサイト)

(2004/12/25)