八亀's Picks - July 2004

過去の八亀's Picks

7.24 Teen Time - The Young Years of Rock & Roll, Vol.3
7.18 David Hemmings Happens
7.18 ミュージック・ライフ 〜栄光のポップス・ヒッツ〜
7.09 Sun Songs - Tom Springfield
7.09 天下御免の極落語―川柳川柳

Teen Time Vol.3

Teen Time - The Young Years of Rock & Roll Vol.3:
A Very Special Love (Eric)



 先月紹介した「Teen Time」の第3弾が到着。前の2枚は珍しい曲の収録は少なく、コンピレーションとしてはいま一つな印象だったが(オールディーズ入門用と考えれば、まずまずかも)今回はなかなかマニア心をくすぐられる選曲になっている。例の“ビクター・ワールドグループ・ジャケット”が飾り付けで随分と派手になった今回はユニヴァーサル系の音源から20曲が選ばれており、(米国内)初CD化が謳われているのは以下の10曲。

Talkin' to the Blues - Jim Lowe (1957 POP#15)
Just as Much as Ever - Bob Beckham (1959 POP#32)
Till Death Do Us Part - Bob Braun (1962 POP#26)
A Very Special Love - Johnny Nash (1957 POP#23)
I've Got A Girlfriend - Dale Ward (1964)
Ramona - The Blue Diamonds (1960 POP#72)
The Way of a Clown - Teddy Randazzo (1960 POP#44)
Top Forty, News, Weather & Sports - Mark Dinning (1961 POP#81)
And the Heavens Cried - Ronnie Savoy (1960 POP#84)
Letter from Sherry (Full-Length Mono Original Version) - Dale Ward (1963 POP#25)

 ヨーロッパなど方々で出ている怪しげなオールディーズCDで既に聴けるものもあるが、正式なルートでのCD化は初めてということなのだろう。順番に紹介していくと1956年のナンバー1ヒット「The Green Door」で知られるラジオDJ兼歌手のジム・ロウ「Talkin' to the Blues」はビッグバンド・サウンドにのって人生の様々な憂鬱な出来事(=ブルース)を憂鬱そうに語っていく珍品。ボブ・ベッカムとボブ・ブラウンはともにTVのオーディション番組から登場した男性シンガー。典型的なティーンポップ「Just as Much as Ever」はタイトル部分を歌うフレーズが非常に秀逸で、そこばかりが耳に残る。ボブ・ブラウンの方は“死が二人を分かつまで”永遠の愛を誓うという語りもの。歌にメロディのない語り系のヒットはオールディーズ・ファンの人気が低いためCD化が遅れるケースが多く“TOP40ヒット・コンプ”を目指すチャートマニアの悩みの種だったりするので、今回のCD化を喜ぶ人は多いと思う。

 「A Very Special Love」のジョニー・ナッシュは、70年代にレゲエに接近し「I Can See Clearly Now」のナンバー1ヒットを放つあのジョニー・ナッシュのこと。この当時彼はポール・アンカとの共演盤もあるバリバリのアイドルだったのだ。唯一2曲が収録されているデイル・ワードの「Letter from Sherry」は、サマー・バケーション中で逢えないガールフレンドから届いた手紙を読み上げる部分(ガールフレンドの声は「Wonderful Summer(63年米14位)」のロビン・ワードが担当)に入るまでの歌が約30秒長いオリジナル・バージョン。「I've Got A Girlfriend」は選曲者が大変気に入って収録を決めたというノン・ヒットだが、そこら辺は人の好きずき。1920年代の古いナンバー「Ramona」をリメイクしているブルー・ダイアモンズはインドネシア出身の2人組で、これは当時日本盤も出ていたという貴重曲。

 ソングライター/プロデューサーとしてより名前の知られているテディ・ランダッツォの「嘆きの道化師」は、初CD化が不思議なくらいオールディーズ・ファンにはお馴染みの曲。ブートの聴き過ぎか?「Teen Angel(59年米1位)」の大ヒットを持つマーク・ダイニングの「Top Forty, News, Weather & Sports」は、タイトルだけでTOP40ファンは持っておきたい1曲だし、R&B系シンガー、ロニー・サヴォイの「And the Heavens Cried」は嘆き悲しむ様子を歌とハーモニカのリレーで「ホワ、ホワ、ホワワ〜ン」とやってて、こちらもやたらと気になる。一度ラジオで聴いたら忘れられなくなって、タイトルを知らないまま何年かモヤモヤした気持ちを持ち続け、このCDで初めて「あーっ!この曲だったんだー!」とスッキリする人が多分世界に4人くらいはいるはず。

 “エルヴィス以降ビートルズ以前”という狭義のオールディーズから選りすぐりのティーンポップを集めた「Teen Time」第3集、過去のヒット曲をCDで丹念に集め続けているチャートファンは、買わずにはいられないCDだろう。このシリーズ、ライナーノーツには続編発売のアナウンスはないが、今後時折思い出したように各社の珍しいヒット曲をCD化してくれるような、そんな企画に育ってくれるといいな、と願うばかりである。

収録曲等詳細(発売元のサイト)

(2004/7/24)

David Hemmings

David Hemmings Happens
(Rev-Ola)



 英Rev-Olaから今月届いたフォーク・ロック希少盤は、イギリスの俳優デヴィッド・ヘミングスが1967年にアメリカで録音し、MGMレコードから発表した「David Hemmings Happens」。これがなかなかの曲者。

David Hemmings デヴィッド・ヘミングスは1966年ミケランジェロ・アントニオーニ監督の映画「Blow-Up(欲望)」への出演で知られる俳優。68年には「バーバレラ」にも出演していて“60年代”という空気にどっぷりと浸かっていた時期に発表されたのがこのアルバムということになる。イギリス人の彼に何故アメリカのレコード会社であるMGMから録音のオファーがあったのか?についてライナーノーツにはあまりはっきりしたことが書かれていないが、彼が67年にMGM映画「キャメロット」に出演したことが、同社との契約につながったのではないか?とのこと。「キャメロット」で主役を務めていたのはリチャード・ハリスで、彼が翌年ダンヒル・レコードからジミー・ウェッブの制作で発表した「マッカーサー・パーク」が大当たりしたことを考えると、MGMの判断には疑問が残る結果となってしまったが・・。

 ヘミングスのアルバム録音にあたって、制作を依頼されたのがその当時たまたまMGM映画「Don't Make Waves」のサントラを担当していたバーズのマネージャー/プロデューサー、ジム・ディクソン。レコーディング・セッションに呼び集められたのは、バーズのロジャー・マッギンとクリス・ヒルマン、ディクソンが制作に関わっていたワールド・パシフィック・レコードのジャズ・ベーシスト、ジェイムス・ボンド・ジュニアら。なんとなくいいレコードが生まれそうな雰囲気。。

 アルバム冒頭に収録されているのは、しかし彼らが参加した録音ではなかった。ディクソンがバーズを脱退したジーン・クラークのソロ・アルバムのために録音していた「Back Street Mirror(クラーク作、アレンジはレオン・ラッセル)」で、これはクラークによっては結局発表されることのなかった(彼のボーカルがヘミングスのものに差し換えられた)貴重曲。この思わせぶりなフォーク・ロック曲で幕をあけるアルバムは、続くティム・ハーディンの「Reason To Believe」へという流れのまま進めば好ましい作品になったと思うが、そこが1967年、ことはそうスムーズには運ばない。恐らくクスリやら何やらをたっぷりとキメていたヘミングスとマッギンとクラーク、そして最初は友人ヘミングスのスタジオへの道案内のため同行したというビル・マーチン(モンキーズのセッションに出入りしていたミュージシャン)たちは即興で演奏を始め、それに即興で詞をのせていくという作業に入ってしまったのだ。恐らくヘミングスは己の才能に微塵も疑いを持たず録音を行ったのだと思うが、出来上がったのはただただ気紛れな演奏が延々と続く酷いシロモノ。このアルバムをアナログで手に入れてたら、A面を聴いている途中で針を上げ、そのままレコード棚行きになっただろう。

 即興演奏3曲(長尺なのでアルバム全体の約半分を占めている)を除く残り5曲はそれなりに聴けるフォーク・ロックで、そこだけを評価すればまずまず、でもそれでも並程度の作品か。本当に珍品を手にしてしまったなぁー、という感慨ばかりが残る。

 その後ヘミングスは音楽活動をきっぱりと断ち、俳優業に専念。近年では「グラディエーター」や「ギャング・オブ・ニューヨーク」に出演するなど、昨年暮に亡くなるまで役者生命をまっとうした。そんな彼の知られざる過去、即興部分を除けばボー・ブラメルズの「トライアングル」「ブラドリーズ・バーン」的世界一歩手前の味わいが楽しめるが、ひとたび即興が始まればソニー・ボノのソロアルバム「Inner Views」的悪夢に引き込まれるという・・。まずはジーン・クラークのマニア、続いてラーガ・ロック期のバーズが死ぬほど好きな方だったら聴いてみてもいいかも?という感じ。その他の方(特に映画ファン)は存在だけ知ってればいいんじゃないの?ということで。あといるかどうかは知らないけれど、ソニー・ボノの熱烈な信者だったら、意外にハマるかも。

収録曲等詳細(発売元のサイト)

(2004/7/18)

Vintage 74

ミュージック・ライフ〜栄光のポップス・ヒッツ〜
(King)



 メールマガジンの「Flashback」では過去の全米チャートなどに混じって、時折“日本の洋楽チャート”を紹介することがある。様々なソースを使って、これまでに1950年代〜90年代のほぼ毎年分を取り上げてきたが、その中で60年代のチャート・ソースとして使用したのが「ミュージック・ライフ」誌の「東京で一番売れているレコード」チャート。都内十数軒〜二十軒くらいのレコード店のアンケートを元に集計したチャートは、オリコン創刊前の売上データの一つとして当時のヒット状況が窺える貴重な情報源となっている。

 メルマガで取り上げたのは洋楽チャートのみだったが、同誌には日本のアーティストが歌うポップスのチャートも掲載されていて、これまた今となっては非常に貴重かつ重宝な記録である。先日その「東京で一番〜」チャートを元に選曲されたという60年代の洋楽カバー・ポップスのコンピレーションが発売されたので、これを僕が取り上げずして誰が取り上げるっ!ということで紹介させていただくことにしたい。

漣健児カバーポップスの時代 洋楽ポップスを日本語で歌う“カバー・ポップス”といえば、何年か前に集中的にCDや書籍が発売された漣(さざなみ)健児が有名で、当時の様子は「ミュージック・ライフ」誌の記事を復刻した「漣健児カバーポップスの時代―ルーツはシックスティーズ」という本に詳しい。で、それら音源や文献ががあまりにも圧倒的な量だったものだから、その“カバー・ポップス”がまるで漣氏の専売特許のような錯覚さえ覚えるのだが、実のところはそうではない(以前、より幅広い日本のポップスを紹介した「ルーツ・オブ・ジャパニーズ・ポップス―1955‐1970」という本も出ていて、こちらは「東京で一番〜」チャートの邦楽部分が完全掲載されている優れものだったが、残念ながら現在は絶版らしい)。過去に紹介したエノケンのような“カバー・ポップス”は戦前からあったし、戦後もR&Rが日本に紹介される以前から、江利チエミなど“カバー・ポップス”を得意としていた歌手は多かった。で、それら“カバー・ポップス”を当時数多く発売していたのがこのCDの発売元であるキング・レコードで、そこには漣健児に先駆けて“カバー・ポップス(しつこい?)”界を席巻した訳詞家、音羽たかしがいた。

 漣健児の正体が「ミュージック・ライフ」誌の発行元であるシンコー・ミュージックの社長(現会長)草野昌一であることはよく知られているが、一方音羽たかし、これは特定の人物を指す名称ではなかったという。キング・レコードが“カバー・ポップス”盤を発売する際に社員が訳詞をつけると、それがすべて“音羽たかし(当時会社が文京区音羽にあったためこうなったそうだ)”とクレジットされたというから、なんとおおらかな時代であったことか・・。この2枚組CDにはそれらキング・レコードの音羽作品に加え、他社のライセンスを得て漣健児ものやその他の訳詞家たちによる“ヒットパレード全盛期”のポップス全40曲をたっぷり楽しむことができる。

 CD収録曲の紹介に移ろう。「東京で一番〜」チャートが「Popular Music Best Selling Records」の名称でスタートしたのは1958年7月号。折しも“ロカビリー・ブーム”のまっただ中で、チャートの上位はブームの中心的存在であった“ロカビリー3人男(平尾昌晃、山下敬二郎、ミッキー・カーチス)”らによって争われていた。CDの一枚目は50年代後半、それらロカビリーものやキングのドル箱ザ・ピーナッツが登場した時期の作品を集めたもので、ハワイアンの「カイマナ・ヒラ」、フォーク・ソング「いとしのクレメンタイン」を改作した「雪山賛歌」、ロシア民謡の「ともしび」、カンツォーネの「月影のナポリ」、シャンソンの「パパはママにイカレてる」、マンボの「メロンの気持ち」と、非常に幅広く雑多な“カバー・ポップス”を楽しむことができる。

 CD2枚目にはいわゆる“ヒッパレ時代”が最高潮にあった60年代の作品が満載。お馴染みのナンバーが並ぶので詳しくはリストを見ていただけばいいと思うが、さすがに漣健児作品の比率が増し、約3分の1の6曲は彼が手がけたもの。他には同じく「ミュージック・ライフ」誌の編集者であった星加ルミ子による「カレンダー・ガール」、あらかはひろし(これもキング・レコード社員用のペンネームらしい。荒川区に営業所があったのか?)の「キューティ・パイ」、みナみかズみ(安井かずみ)の「ヘイ・ポーラ」などなど、華やかさいっぱい。当時のチャート成績を眺めながら聴くとこれまた興味深い。

 なお蛇足的な情報を加えておくと、西田佐知子でヒットした「日曜はダメよ(いやよ)」と越路吹雪の「ラストダンスは私に」は他社作品が多くなり過ぎるという配慮からか、キングで録音された江利チエミ、岸洋子のバージョン(どちらもチャートには未登場)に差し換えられているので、こだわりのある方は他のCDからこの2曲の音源を補完していただきたい。あとアイ・ジョージの「ダニー・ボーイ」は唯一全編英語で歌われていて(しかも6分以上の熱唱!)、この中では浮いている印象。まあ別にいいんですけど。漣健児一辺倒ではなく、バランスよく“カバー・ポップス”が楽しめるCDになっていることは確か。あと最後に不満を一つ。このCDには全36ページのブックレットが付いているが、草野昌一(漣健児)による回想と、歌詞と曲目クレジットだけでは埋まり切らなかった残り9ページ相当分をジャケ写(モノクロ)や当時の記事の切り貼りで誤魔化している。これだけスペースがあればどれだけの解説が書けることか!人手がないなら僕が書くから声かけてよっ!と一言いいたくなる。

収録曲及び「東京で一番売れているレコード」チャート最高位

(2004/7/18)

Tom Springfield

Sun Songs - Tom Springfield
(Universal/Bridge)



 これまた珍しいアルバムのCD化。ダスティ・スプリングフィールドの兄、トム・スプリングフィールドが1968年に残したボサ・ノヴァアルバム!う〜ん、こんなものが人知れず国内盤で発売されているんだから、まったく油断ならない。僕はこのCDを偶然輸入屋の店頭で見かけたのだが、インターネットで馴染みのサイトを廻っているだけでは出逢えないものってのは結構沢山あって、やはりCDコレクトはある程度は足で稼がないといけないな。と、改めて思った次第。

The Springfields トム・スプリングフィールドことディオン・オブライアンは1934年ロンドン生まれ。妹のメアリー(ダスティ)、友人のティム・フィールドとともにポップ・フォークグループ“スプリングフィールズ”を結成したのは1961年のことで、その際にオブライアン兄妹がスプリングフィールド姓を名乗るようになったのは「春先の野っ原でいつも歌の練習をしていたから。」なのだとか。なんとベタな。レコード・デビューのチャンスは意外に早く訪れ、その年の夏には「Breakaway(英31位)」で音楽シーンに登場。以降63年までに5曲のUKチャートヒットを記録、アメリカでも「Silver Threads And Golden Needles(62年米20位)」がヒットして、ビートルズ世代のイギリス人アーティストの中で最も早くアメリカで成功を収めることとなった。

 その後グループは63年ダスティの独立に伴い解散、トムはスタッフ・ライターの一人として妹の活動をバックアップする一方で“第二のスプリングフィールズ”のプロデュースを思い立ち、白羽の矢が立ったのが彼が偶然TVショーで見かけたオーストラリアのフォーク・グループ、シーカーズ。すぐさま電話で連絡をとり、自作曲を聴かせた上で契約を申し出るとシーカーズの面々はそれを快諾、イギリスにおけるデビュ−曲「I'll Never Find Another You(65年英1位/米4位)」がいきなり大ヒットして彼らは人気グループの仲間入りを果たす。

The Seekers 65年から67年にかけてシーカーズはビートルズをも凌ぐ勢いでシングル・ヒットを連発する“国民的グループ”に成長、日本でもお馴染みの「Georgy Girl(67年英3位/米2位)」をはじめとする数々の主要ヒットを手がけ、アルバムをプロデュースしたのは他ならぬトム・スプリングフィールドだったが、そんなトムとシーカーズの蜜月時代は67年、グループのメンバーたちが自らの音楽性に自覚的かつ意欲的に取り組んだアルバム「Seen In Green」をもって終結。このアルバムがちょっとしたソフト・ロックの好盤なのだが、そこら辺の話はまたの機会に譲るとして、翌68年、結局紅一点のボーカル、ジュディス・ダーハムの独立により解散への道をたどるシーカーズと袂をわかち、ソロ・アーティストとしてトムがデッカ・レコードから発表したアルバムが今回紹介する「Sun Songs」。ようやく本題にたどり着いた。。

 ここまで長々と彼の経歴を書いたのは、このアルバムが発表された当時の彼のポジションを説明したかったから。当代随一の人気を誇ったグループを手がけたプロデューサーによる初のソロ・アルバム、更に1968年という時代背景を考えれば物凄く力の入った大作になりそうなイメージがあるが、これが意外なくらい肩の力が抜けた“ライト&イージー”。彼は1964年に“トム・スプリングフィールド・オーケストラ”名義で「Brazilian Shake」と「Brazilian Blues」のカップリングでシングルを発表しており、この方面の音楽への関心はかなり早い時期からあった様子が窺えるのだが、それにしても初めてのソロ・アルバムを発表するにあたり何故ここまで彼がボサ・ノヴァやラテン音楽に入れ込んだのか?は、同時期のシーカーズやダスティの作品を聴いてみただけでは判然としない。単なる趣味だったのか?それとも次のステップへの布石だったのか・・?

 アルバムに収録されているのは彼の“オリジナル・ボサ”3曲に、ブラジル産のボサ・ノヴァクラシック数曲、ビートルズの「Here, There and Everywhere(これもボサ・アレンジ)」、加えてカリプソの「Ugly Woman」、ラテン・スタンダード「Guantanamera」、シルヴァーナ・マンガーノの歌で知られる「Anna」など若干ボサから離れたラテン・ナンバーという全12曲。ジョアン・ジルベルトを多分に意識した感じの彼のボーカルは、妹ダスティによる茶目っ気たっぷりのライナーノーツにあるとおり“本格派”ではないが、なかなかいい雰囲気を出しているし、恐らくイギリスのミュージシャンたちで固められたであろうバックのサウンドも、ブラジル音楽のリズムに慣れ親しんだ耳にはいま一つ物足りなかったり、違和感を感じたりかも知れないが、そこがユニークさを醸し出していて“ブリット・ボサ”なこのアルバムのチャーム・ポイントになっている。単なる夏のBGMに済まされない、不思議な魅力を持ったアルバムだと思う。

 その後のトムの活動は、あまり記録が残されていない。引き続きダスティの作品への協力はあっただろうし、70年代初頭にシングルを発表していたという記述も見かけた。しかしこの時代に成功を収めた他のプロデューサーたちのように次々と正体不明のポップ・グループをヒットチャートに送り込むようなことはなかったし、シーカーズに続く“第三のスプリングフィールズ”のプロデュースを画策した形跡も見られない(この野望はシ−カ−ズのメンバー、キース・ポドガーが“ニュー・シーカーズ”として実現させる)。いつの間にかひっそりと音楽界から姿を消した彼が、唯一ひっそりと残した演奏時間30分足らずのこの“趣味趣味”ソロ・アルバムには、ことさらミステリアスな雰囲気が漂う。この儚げな感じも併せて愛でていただけば、味わいの増す一枚ではないだろうか。

内容等詳細(発売元のサイト)

(2004/7/9)

川柳川柳

天下御免の極落語―平成の爆笑王による“ガーコン”的自叙伝
川柳川柳:著(彩流社)



 久々に落語本の紹介。落語って考えてみたら結構贅沢で、お目当ての噺家を観に行っても、必ずしもお目当てのネタをやってくれるとは限らない。音楽の場合ライブでそのアーティスト最大のヒット曲を演らずにステージを降りることは、余程のへそ曲がりでない限りあり得ないけれども、落語の場合はそれが結構普通であるという。通常の寄席では噺家は一日に一席しかやらないし、独演会に行ったとしても2〜3席がせいぜい。ネタを豊富に持ち、しかも自己研鑽に怠りのない、という生真面目なタイプの噺家のファンになると、その噺家の“十八番”のネタを聴くことができる確率は大変低くなるという、なんとも皮肉な話。

 一方で寄席で見かけると、必ず同じネタをやっているという噺家もいる。先ほどの論理でいえば、自己研鑽にあまり熱心でない・・ということになるのだが、実はこのタイプの噺家の中に物凄く中毒性を持った人がいて、それが寄席通いの何よりの楽しみだったりもする。その代表的存在が今回紹介する川柳川柳(かわやなぎせんりゅう)で、彼が寄席に登場しお得意の「歌で綴る大平洋戦史(通称「ガーコン」)」を披露する時のインパクトは凄い。何が凄いってまず“落語ではない”。昭和6年生まれという川柳師が幼少期に慣れ親しんだ戦中歌謡や軍歌をメドレーで、自慢の美声で歌い上げる。若年層の客はあっけにとられ、当時を知る客は拍手喝采。「こんな噺家がいるのか!」とまず最初はショックを受け、何度か通っているうちにそれは癖になり、いつの間にやら「今度行く寄席には、川柳は出るのか?」と番組内に師の名前を探すようになっている。。

 一時期川柳が物凄く気になって、彼が出る寄席に通ったことがあった。いつも「ガーコン」。いつも面白い。そのうち他の噺家から師に関するとんでもない逸話が聞こえてくる。酒にまつわる数々のエピソード、“昭和の大名人”と言われる一人、師匠の三遊亭圓生宅の玄関前に酔っぱらってウ○コをしてしまった話とか、寄席にやってくる団体客があまりに騒がしいので頭にきて「オ○○コー!!」と叫んでしばらく寄席を出入り禁止になったとか・・。更に気になって年に一度くらいしかない「独演会」に行ったこともあった。お馴染み「ガーコン」にあと二席。川柳ワールドをたっぷり、歌もたっぷり。でも寄席の“15分一本勝負”の衝撃にはかなわなかったか。。

 この本では若い世代の落語ファンにとって謎多き人物「川柳川柳」の生い立ちや芸歴(主に落語協会の分裂騒動まで)が師によって詳しく語られており、突然寄席に現れて、好き放題歌い散らかして、最後「ガーコン」で去っていく・・ように見える川柳師が何故あのような芸風に至ったか?がよくわかることになっている。名人圓生に弟子入りし(「笑点」でお馴染みの円楽は年下だが兄弟子にあたるらしい)酒の失敗で何度も師匠をしくじって破門の危機に陥り、圓生一門では異端な芸風で、二つ目の「さん生」時代にラテン音楽を寄席で披露してメディアで売れてしまったことが師匠には覚え目出たくなく、昇進では後輩たちに次々と追い抜かれて屈託を味わい、ようやく叶った真打昇進では会長小さんによる「十人真打(それまで順番が詰まっていた二つ目十人をいっぺんに昇進させてしまった)」に怒った圓生が直弟子の披露口上に姿を現さず・・と、それはそれは事件続き。

 その一方で方々で騒ぎ(ほとんど酒絡み)を起こしたり、TVで顔が売れて師匠の稼ぎを凌ぐほどの多忙ぶりとなったりと、まぁ本当に忙しい。そんなあれこれを意外に親切に(?)、ときおりキャリア50年を経たなりの自戒の念や反省なども交えつつ語られているところは、ああ見えて結構繊細な(失礼な表現すみません)師の一面が窺い知れるような気がする。なおその後の経歴部分は詳しく経緯を書くと長くなるのでやめるが、圓生一門の「落語協会脱退騒動」時に遂に一門を破門。その際小さんに「川柳川柳」というなんとも言い難い名前を貰ったそうだが、その破門が解けぬまま師匠圓生は他界。以降“寄席の怪人”として活躍を続け現在に至るという。とにかく滅茶苦茶な人だが現在はクセのある若手噺家たちに非常に慕われていて、近年は彼らの会にゲストとして登場し、若い女性が中心の客席に物凄い衝撃を与えて去っていく、というパターンが師の得意技(??)になっている。とはいえ、近年の女性客は肝の座った方が結構いらっしゃるようで、そんな川柳を「かわいい〜っ!!」なんて言い放つつわものも多いとか。本当かね。

 本の後半には師が過去にかけた「艶笑落語」も4本収録。「ガーコン」以外の川柳を知ることができる形になっているが、これはあくまでもオマケ。なお「歌で綴る大平洋戦史」が別名「ガーコン」と呼ばれているのは、ネタの後半に脱殼機(物凄く旧式の)を操作する描写が登場し、そこで発せられる「ガーコン、ガーコンガーコン・・」という擬態語からとられている・・って、書いてもちっとも面白くないよね。とにかくこの本を読んで、場合によっては読まなくてもいいかも知れないけれども、寄席に出かけて“生ガーコン”を体験すると。これが重要。帰ってこの本を読み返してみて、あの“怪人”がこんな人だったんだ、と親近感を覚えたり覚えなかったり。まずは「社団法人落語協会」のホームページでスケジュールを確認し、寄席に足を運んでみていただきたい(どういう訳か僕は浅草演芸場での遭遇率が高い)。それが重要。

内容等詳細(発売元のサイト)

(2004/7/9)