八亀's Picks - April 2004

過去の八亀's Picks

4.24 Angel Of The Morning - Merrilee Rush & The Turnabouts
4.24 Very Dionne - Dionne Warwick
4.17 The Windows Of The World/Valley Of The Dolls - Dionne Warwick
4.15 Cuddle Up With... Claudine Longet
4.11 The Best Of Bill Haley and His Comets 1951-1954
4.04 The B.T. Puppy Years 1964-1967 - The Tokens
4.03 The Paul Simon Songbook
4.03 The Fabulous Fifties - Hits of '53

朝の天使

Angel Of The Morning - Merrilee Rush & The Turnabouts
(BMG Japan)



 思いがけない日本盤の登場、1968年の「朝の天使(米7位)」で知られるメリリー・ラッシュがベル・レコードに残したアルバムがCD化。こんなのが人知れず出されていたりするので、ぼんやりしていられない。

 まずは「Angel Of The Morning」のお話から。ニュ−ヨ−ク出身のソングライター、チップ・テイラーが作ったこの曲は、元々は同じくニューヨーク出身の女性シンガー、イーヴィ・サンズによって1967年に録音され、60年代前半にチャビー・チェッカーやボビー・ライデルなどのダンスヒットで一時代を築いたキャメオ・レコードから発売された。ラジオのエアプレイは概ね好評で、シングル盤がプレスされてこの曲がまさにヒットチャートに登場しよう、という時期に“時代遅れ”のレーベルとなっていたキャメオは不渡りを出し、レコードは差し押さえられ市場への供給がストップ。レコード店頭から消えた“ヒット曲”には市場の渇望を埋め合わせる商品が用意され、それがメリリー・ラッシュのバージョンだった。

Merrilee Rush & The Turnabouts 見事ヒットチャートを駆け上ったメリリー版「朝の天使」はやがてアーティストの存在を超えるヒットに成長し、数々のカバー・バージョンが誕生。81年にはジュース・ニュートンにより「夜明けの天使(米4位)」として再ヒットを記録、90年代末に発表された「アメリカのラジオでもっともエアプレイされた曲」のTOP20にランクインするほどの“スタンダード”となった。2001年に全米ナンバー1に輝いたシャギーの「Angel」、あの曲のサビにこの曲のメロディが引用されていることを覚えている方も多いと思う。

 で、話はようやくメリリー・ラッシュへ。音楽ファンの殆どは、彼女の存在をこの一曲のみで記憶しているのではないかと思う。実は僕もその一人で、この録音の経緯を何かの本で読んで「ターナバウツ」なんてグループは録音用に捏ち上げられたんじゃないか?ってなことまで考えていたのだが、彼女たちは曲のイメージのような“ポッと出”ではなかったようだ。まず実績の話をすると、彼女は「一発屋」ではなくバブリング・アンダー(100位以下)も含めると7枚のシングルをヒットチャートに登場させており、「朝の天使」から10年後の77年にも「Save Me」というミドル・ヒット(最高54位)を放っている。またグループも実在した、どころかキングスメンやウェイラーズといった名グループを輩出したシアトルのガレージ・シーンで活躍したバンドなのだそうで、レコード契約のきっかけも当地出身のバンドでもっとも商業的な成功を収めたポール・リヴィアとレイダーズの前座を務めたことからなのだとか。

 そんな彼女たちがベル・レコードからリリースした「朝の天使」のヒットを受けて、制作したのがジャケ写も麗しいこのアルバム。プロデュースはスタックスを経てメンフィスに「アメリカン・スタジオ」を設立、当時のヒットチャートを席巻していたチップス・モーマン。当然のことながら同スタジオで録音され、当時最新サウンドを生み出していたスタジオ・ミュージシャンたちが起用された(シアトルのガレージ・バンド的面影は何処にもない)アルバムは“南部産ポップス”の好盤に仕上がった。「朝の天使」他チップ・テイラー作品を除く大半がモーマンをはじめマーク・ジェイムズ、スプーナー・オールダム、ダン・ペンといった“南部オールスターズ”のペンによるもの。律儀にもシアトルの“恩師”、レイダースのマーク・リンゼイ作品も2曲取り上げているところは郷土愛の表れか。

 聴きどころをいくつか。このアルバムから生まれたヒットはあと一曲「That Kind Of Woman(68年米76位)」で、こちらはやや感傷的なバラード。「朝の天使」同様チップ・テイラー作品の「Billy Sunshine」はこれもイーヴィ・サンズによって何故か潰れたはずのキャメオからシングルがリリースされた曲で、イーヴィ盤は最高133位の“マイクロ・ヒット”を記録している。こんなものまでカバーするか。その後B.J.トーマスと組んで名曲を連発するマーク・ジェイムズの「It's Worth It All」「Sunshine & Roses」共にいい感じだし、ダン・ペンとスプーナー・オールダムの「Handy」も、南部サウンドが心地いい。でも(「朝の天使」以外の)ベストカットを挙げるとすれば、マーク・リンゼイの3/4拍子曲「Observation From Flight 285」だろうか。

 エルヴィスやB.J.トーマス、あとジョー・サウスとか“南部産ポップス”がお気に入りの方は安心して“例の”サウンドが楽しめる一枚。逆にソフト・ロック的なジャケットに惹かれて聴いたら、少々肩透かしを喰うかも知れない。ボーカリストとしてのメリリーは、等級的にいえば「中の下」程度だと思うので。なおベル時代の彼女の録音はあと1曲アルバム未収録の「Reap What You Sow(シングル「朝の天使」のB面)」があり、その翌年以降は自己のレーベル(?)「AGP」から4枚のシングルをリリースしている。そこら辺の音源もまとめてくれたら完璧だったし、“サイケの時代”にシアトルの女性ボーカリストがターナバウツを率いてどのような音楽的変遷をたどったのかが判って面白かったかも。欲張りなのは充分承知しているけれども

収録曲等詳細(発売元のサイト)

(2004/4/24)

Very Dionne

Very Dionne - Dionne Warwick
(Rhino Handmade)



 再びディオンヌ・ワーウィック。彼女がセプタ−からリリースした最後のアルバムがボーナス・トラック満載でCD化。これで彼女がセプターに残したスタジオ録音はかなりの部分がCDで聴けるようになったはず。

 このアルバムの前に昨年後半に発売された2枚のCD、「Promises, Promises(68年)」と「I'll Never Fall In Love Again(70年)」のカップリング、そして「Soulful Dionne Warwick(69年)」の拡大版をご紹介。まずアルバム「Promises, Promises」ではバカラック=デヴィッド曲がアルバム半数の5曲を占めている。“プログレッシヴ・ポップ”の極みともいえる「Promises 〜」が聴けるだけでもこのアルバムは買いだが、この時期バカラックは他社での仕事が忙しく、タイトル曲はミュージカルからのものだし、他にも同じミュージカルからの「Wherever You Are, I Love You」「Wanting Thing」、ハーブ・アルパートに提供した「This Guy's (Girl's) In Love With You」と、質は高いもののディオンヌのために書かれた訳ではない“カバー”で埋められており、両者の蜜月時代が既に過去のものとなっている様子が窺える(結局彼女が創唱したのはシングル曲の「Who Is Gonna Love Me?(68年米33位)」のみ)。

Promises, Promises Soulful Dionne 

 この傾向は「I'll Never Fall In Love Again」で特に顕著になっており、バカラック=デヴィッドの2人がレコーディングに関わるのはシングル用のセッションのみ。このアルバムは12曲中9曲が2人の作品だが、B.J.トーマスの「雨にぬれても」のカバー以外はすべて過去にシングルでリリース済みのもの。それに別録の3曲を加えて体裁を整えてみました、という感じだが、絶頂期にあったバカラックの作品が集められているため、聴き応えは非常にある。タイトル曲の「I'll Never 〜(69年米6位)」「Odds And Ends(同43位)」「Paper Mache(70年米43位)」「Let Me Go To Him(同32位)」どれもいわゆる“バカラック調”で、ここら辺を聴くならベスト盤で済ませばいいじゃん、という話もあるが、単独のCDとしては非常にお得なカップリングだといえる。

 対して「Soulful 〜」の方は明確に“ポスト・バカラック”を意識して制作された意欲作。ディオンヌの契約の関係で「バカラック=デヴィッド・プロダクション」とクレジットされているが、彼ら2人の参加はなし。当時ソウル・ミュージックのメッカと化していたメンフィスの「アメリカン・スタジオ」に彼女が乗り込み、チップス・モーマンのプロデュースのもと録音された作品集。当時ヒットチャートを賑わしていたR&B系の曲やビートルズ・ナンバーなどのカバーに混じって、メリリ−・ラッシュのところでも登場したモーマン、スプーナー・オールダム、ダン・ペンといったソングライターたちの作品も散見される。このアルバムは奇妙なことにディオンヌが既にセプターを離れていた72年に曲が追加され「From Within」のタイトルで2枚組で再発(その時はビートルズ・ナンバー3曲がカットされていた)されるのだが、今回のCDではその追加曲も合わせて収録された“コンプリート仕様”となっている。追加曲のセッションは録音日時がはっきりしないが、モータウン・ナンバーやスライ&ファミリー・ストーンの曲が特に耳を惹く。

 前置きが長くなったのでいい加減本題に。そんな訳でセプター最後のアルバムとなった「Very Dionne」、ここではバカラックの新曲は3曲のみ。シングルヒットした「The Green Grass Starts To Grow(70年米43位)」をはじめ「Check Out Time」「Walk The Way You Talk」といずれも佳曲だが、既にさめてしまった印象は拭えない。アルバム的にはかつての勢いは感じられないが、今回このCDで面白いのはボーナス・トラックの方。

 「Very Dionne」にはどういう訳かライブ録音の「Make It Easy On Yourself(彼女のスタジオ・バージョンは1964年録音)」が収録されていて、これはシングルカットされてTOP40ヒットを記録しており“シングル・バージョンの入手困難な曲”の一つとされていたが、今回目出たくアメリカ国内初のCD化。しかも同日のステージで歌われた9曲(多くが未発表)も追加収録。チャートマニアは決して見逃せない。更にショッキングなのが「Make It On Yourself」と「They Don't Give Medals To Yesterday's Heroes」のB.J.トーマスとのデュエット・バージョン!!こんなものが存在したとは。。69年末に録音された「雨にぬれても」で“バカラック・ファミリー”入りしたトーマスと、ディオンヌの2人でバカラック・ナンバーを歌うアルバムが企画されたのだそうで、そのセッションから2曲が初お目見え(他の曲は未完成か、どちらかしか歌っていない状態らしい)。いやぁ、長いことポップス・ファンをやってると、こんなものが聴けるんだなーという感じ。

 ライノ・ハンドメイドは今後ディオンヌのライブ録音集、そしてカバー集「On Stage And In The Movies」、更にワーナー移籍後のアルバムのCD化も検討中だとか。何処までつきあうかは、各々の判断次第。あと71年に映画「Love Machine」のために録音され、彼女にとってセプター最後のヒットになった「Amanda(71年米83位)」はどのCDに入るんだ!?なんて超マイナーな興味もあるのだが、ひとまず60年代の彼女のCD再発プロジェクトはこれで一段落。今後僕は「バカラック=デヴィッド=ワーウィック」作品の詳細な解析の作業に入りたいと思っている。

収録曲等詳細(発売元のサイト)

(2004/4/24)

The Windows Of The World/Valley Of The Dolls

The Windows Of The World/Valley Of The Dolls
- Dionne Warwick (Rhino Handmade)



 ライノ・ハンドメイドは一度調子が出始めると、もうどうにも止まらない。昨年半ばくらいまでは70年代のロックものや50年代のサントラものなどに力を入れていて、そのリリースの知らせがメールで届く度「あ、今回もパス。」の一言でゴミ箱行きだったのだが、ここ何ヶ月かは60年代ものの復刻が相次ぎ、メールを読んだ瞬間に「即注文」の状態が続いている。ディオンヌ・ワーウィックが60年代にセプター・レコードから発表したアルバムを復刻するシリーズは昨年末から始まっていて、今回紹介するのはその3枚目となる。

Presenting Dionne Warwick / Anyone Who Had a Heart Make Way For/The Sensitive Sound of Dionne Warwick Here I Am/Here Where There is Love 

 彼女のオリジナル・アルバムのCD化はこれが初めてではなく、ヨーロッパのレーベルを中心に現在まで散発的に各種か出されている(日本でも過去に何枚か発売されことがある)。中でも復刻シリーズとして意気込みが感じられたのが90年代半ばにイギリスのSequelというレーベルが出した2イン1の3枚(上の画像、もうプレスされていないはずなので見かけたら即入手をお薦め)で、これで彼女の初期(62〜67年)6枚のアルバムを一気に聴くことができ、続編の到着を心待ちにしていたのだが、いつの間にかSequelというレーベル自体の名前を聞かなくなってしまい、僕のCDラックの「ディオンヌ・コーナー」はなんとも中途半端な状態のまま、ここ何年か放置されていた。

 そのシリーズを実質引き継ぐような形で復刻を始めたのが今回のライノ・ハンドメイド。正直いってSequelと同社ではCDの値段が1枚あたり\1,000以上違うので、出来ればSequelの復刻シリーズが続けばよかったのに・・と思わなくもないが、他で入手が望めないのであれば仕方がない。この時期ディオンヌは“ヴォイス・オブ・バート・バカラック”としてバカラックのペンによる膨大な数の名曲を次々と吹込んでおり、ポップスファンとしては決して無視できないし、特に彼の作品がどんどん高度に複雑化していった60年代後半の作品群となれば、多少値段は高くても“品質保証済”マークには抗えない。ついつい手が伸びてしまう。

 アルバムの紹介に移ろう。まず「The Windows Of The World(67年)」の方にはタイトル曲(67年米32位)に加え「I Say A Little Prayer(同4位)」「The Beginning Of Loneliness(同79位)」「Another Night(同49位)」「(There's) Always Something There To Remind Me(68年米65位)」とこの時期の雰囲気をよく伝えるバカラック作品が収録され、記録上は彼女にとって最も多くのチャートヒットが生まれたアルバムである。しかしこの頃になるとバカラックは自らのアーティストとしてのキャリアも考え始めるようになっており、A&Mにおけるリ−ダ−作や各種サントラ制作に忙殺され、シングル曲以外は他のソングライターの作品で埋め合わされることに。たった1日のセッションで録音されたそれらの作品は、やはりバカラック曲とくらべると見劣りしてしまうが、そこら辺は別としてもバカラック、作詞のハル・デヴィッド、そしてディオンヌ三者の大充実期に残されたアルバムとして非常に聴き応えがある。

 続く「Valley Of The Dolls(68年)」はこの時代の彼女にとって最大のヒットとなった邦題「哀愁の花びらのテーマ(68年米2位)」をフィーチャーしたアルバム。「Do You Know The Way To San Jose(同10位)」「Let Me Be Lonely(同71位)」のバカラック作ヒットの収録もあるが、年に3〜4枚アルバムをリリースする彼女のスケジュールにいい加減バカラックがつきあいきれなくなったのと、大ヒット「哀愁の〜」がバカラック以外のソングライターによる作品であったことによる自信もあったのか、バカラック作品比率は更に低下。その中で聴きものはボサ・ビートの「Up, Up And Away」、バカラックに負けないドラマチックさを見せる「For The Rest Of My Life」あたりか。ボーナス・トラックにはこの時期彼女がヨーロッパでリリースしたイタリア語のシングル曲を収録。

 ライノ・ハンドメイドから出ているその他の再発アルバムは、日を改めて紹介することとしたい。

収録曲等詳細(発売元のサイト)

(2004/4/17)

Claudine Longet

Cuddle Up With... The -almost- Complete Barnaby Records Sessions 1970/74 - Claudine Longet (Vampi Soul)


 約1年程前に発売されていたCDだそうだが、つい最近存在を知ったのでここでご紹介。60年代のソフト・ポップファンにはお馴染み、魅惑のウィスパー・ヴォイス、クロディーヌ嬢。彼女の作品は特に日本で人気が高く、オリジナルアルバムがCD化されているのは世界で唯一我が国だけ(これが誇れることかどうかは知らないが)。

Claudine CDの話の前に彼女の経歴をおさらい。1942年フランスはパリに生まれた彼女は10代でショー・ビジネス入り。その美貌はたちまち評判になり19歳で渡米、ラスヴェガスでトップ・クラスのショー・ガールとなる。1960年のある日、劇場から宿に帰る途中車が故障し、途方にくれているところを偶然通りかかったのが“大スター”アンディ・ウィリアムス(彼は彼女を見て、かつてパリを訪れた際に出逢った可憐なロ−ラ−スケ−ト少女 〜10歳にも満たないクロディーヌ〜 の成長した姿であることにすぐさま気づいたという。本当かね?)で、これをきっかけに恋に落ちた二人は翌年14歳の年齢差をものともせず結婚・・とまぁ、ドラマのようなストーリーがあって、60年代前半に2児をもうける。

 64年に芸能活動を再開した彼女は女優として「コンバット」「ラット・パトロール」他様々なドラマに出演、「アンディ・ウィリアムス・ショー」では可憐な歌声も披露した。とある機会に彼女の歌を耳にしたハーブ・アルパートは彼の経営するA&Mレコードとの契約を彼女に申し入れ、シングル「Meditation」とアルバム「Claudine」を発売。アルバムはゴールド・ディスクを獲得し(67年最高11位)、夫アンディと同様イージー・リスニング系の人気アーティストの仲間入りを果たす。その後60年代末までに彼女は同社から4枚のアルバムをリリース、そのいずれもがアルバム・チャートに登場した。

 と、ここまでが彼女の幸福な60年代。69年に3人目の子供が生まれ、70年にはA&Mからアンディが設立したレコード・レーベル「バーナビー」に移籍。彼女のシンデレラ・ストーリーはまだまだ続くものと思われたのだが・・。

 ようやく話がこのCDに追いついた。70年代に入って彼女はバーナビーから2枚のアルバムをリリース、「We've Only Just Begun(71年)」「Let's Spend the Night Together(72年)」ともにウィスパー・ヴォイスは健在。名うてのポップ職人たちのお膳立てによる“完全なるお人形”状態のA&M時代から、サウンドが幾分シンプルになり、歌にも人間的な表情が現れ、アーティストとしての成長も窺える“充実期”といっていい内容になっている。このCDは上記2枚のアルバムと、74年頃録音されながら90年代に日本で発売されるまでお蔵入りになっていたアルバム「Sugar Me」から、クロディーヌのマニアックなファンサイト(このCDのタイトルはそのサイト名からとられている)を運営しているエリック・ブルームなる人物が24曲を選曲したもので、サブタイトルの“オールモスト・コンプリート”は収録時間上無理な話。別に出されているアナログ二枚組(32曲入り)の方がそれに近い内容になっている、らしい(実物を見たことはない)。

 収録曲で印象的なのはまずカーペンターズの「遥かなる影」「愛のプレリュード」といった“A&Mポップス”のカバー、そして意外やボビー・ゴールズボロの「Broomstick Cowboy」、そしてレナード・コーエンのヴォーグスのカバーでも知られる「Hey That's No Way To Say Good-Bye」、途中ビートルズの「Don't Let Me Down」を歌い込んだジョン・レノンの「Jealous Guy」などなど。物哀しげな曲調が多いのは気のせいか。ミッキ−・ニュ−バリ−作の「Remember The Good」はそれ以前にアンディ・ウィリアムスが取り上げたやはりニュ−バリ−作の「Sweet Memories」の返歌のように聞こえ、そこら辺の事情は後述するが、なんだか興味深い。

 話はここでまた「クロディーヌ物語」へ。アンディのレーベルに移籍したにもかかわらず、二人の夫婦生活は1970年の時点で既に破たん状態にあったらしい。TVショーでは共演を続けつつも夫と別居した(正式に離婚したのは1975年)クロディーヌはやがてプロ・スキーヤーのウラジミール“スパイダー”サビッチと付き合うようになり、彼女の3人の子供たちとともにサビッチの住むコロラド州アスペンの山荘で生活を始める。その暮らしも数年が経過し、アンディとも法的に関係を絶った1976年、悲劇は起こった。サビッチが所有する短銃の操作法のレクチャーを受けていた(と主張している)彼女は“銃の暴発により”サビッチを射殺してしまうのだ。。

 以前日本で出たCDのライナーにクロディーヌは「アンディの愛人を射殺」なんてことが書いてあったが、これはこの夏久々に来日するアンディ・ウィリアムスに失礼極まりない話なので、ここではっきり否定しておきたい。当時の記事によれば事件の知らせを受けたアンディは早速アスペンへ飛び、警察に身柄を拘束されるまで近隣のジョン・デンヴァー宅に身を寄せていたクロディ−ヌのために弁護士を手配。裁判の結果「過失致死」が認められ、30日間の刑期(短かっ!)を終えた彼女を子供達と出迎えたのもアンディ。不思議な元夫婦である。

 その後彼女はこの事件を担当し「過失致死」を勝ち獲った弁護士ロン・オースティンと再婚、現在もアスペンで半隠遁生活を送っているという。アメリカにおける彼女は現在も二言目には“スキーヤーを撃った女”の形容がつけられ、恐らくそのイメージは存命中常につきまとうのだろう。日本でも彼女のキャリアを深追いするとこの事件を避けて通れなくなるせいか、A&M時代に言及するのみにとどめられることが多いようだが、バーナビーの作品も捨てたものではない。但し作品から漂うなんとも空虚な感じ、その後の彼女の運命を予感させるような、どことなく憂いを帯びた感じ・・。聴いているうちにいつの間にか物凄く気分が落ち込んでいる自分に気づく。「憂鬱な天使の囁き」これはもしかしたらアンチ“ソフト・ロック派”こそ聴くべきCDなのかも知れない。

収録曲等詳細(監修者のサイト)

(2004/4/15)

Bill Haley and His Comets 1951-1954

The Best Of Bill Haley and His Comets 1951-1954
(Varese Sarabande)



Rock Around The Clock ヒットチャートマニアの世界には“ロック時代以降”という概念があって。ビル・ヘイリーとコメッツの「Rock Around The Clock」がビルボード誌ベストセラー・チャートのトップに立った1955年7月9日付チャート、ここから先が「ロック時代」で、それ以前は花鳥風月の“ポピュラー時代”という区分け。誰が決めたか知らないけれども(多分レコード・リサーチ社のジョエル・ホイットバーンというオッサン)これを基準にレコードのコレクトをしている人は結構いて、それ以降のものは血眼になって探すけれども、それ以前、極端な話同じ1955年でも前半のヒットだと“有史以前”ということで見向きもしない、なんてマニアが年輩の方でも結構いる。

R&R 50th AnniversaryR&R 50th Anniversary ところが史実はそう単純ではなく、ビル・ヘイリーの「Rock Around The Clock」は多くの方がご存知のとおりその前年1954年にリリースされており、その時そこそこのヒットも記録している。映画「暴力教室」のテーマ曲に使用されて爆発的に売れたのは“リバイバル・ヒット”なのだ。ということで今回「Rock Around The Clock」が最初にリリースされ、またエルヴィスが「That's Alright Mama」でサン・レコードからデビューした1954年を「R&Rスタートの年」と位置付け、今年2004年を「R&R生誕50周年」として祝おう、というキャンペーンが各地で展開され始めている。R&Rのスタートを何処にするかは諸説あるのだが、ひとまずヒットチャートを基準に捏ち上げられた“ロック時代”などという一方的で馬鹿げた概念を公に否定しただけでも、僕はこの“お祭り”の意義はあると思っている。

 今回紹介するのはビル・ヘイリーがデッカ・レコードから「Rock Around The Clock」をリリースする以前はどんな音楽をやっていたのか?というコンピレーション。過去にもヨーロッパのレーベルから同種のコンピレーションが出されたことがあったが、これだけしっかりした再発は初めてのはず。彼の活動歴は古く、1940年代後半にはカントリー&ウェスタン歌手としてSP盤を何枚か出しているのだが、ここでは1951年以降、ビル・ヘイリーとサドルメン(後にR&B風にコメッツと改名)がホリデイ/エセックス・レコードからリリースしたシングル(Discography参照)から選曲。この時期彼は結構のんびりしたカントリー調の曲も録音しているが、そこら辺はバッサリとカットして“R&Rの原点”に焦点を絞ってのコレクションとなっている。

 で、この時期の彼の音楽は実際どうだったのか?という結論を先に書くと「Rock Around The Clock」の演奏スタイルは1950年代初頭に既に完成してしまっている。彼とその一党が1951年に録音した「Rocket 88」、これは2月に「Crazy 'Bout An Automobile」を紹介した時にも書いたが、ジャッキー・ブレンストン(バックはアイク・ターナー)がこの年に放ったR&R史学上“最初のR&Rヒット”と言われている作品の一つ。この曲のカバーで聴けるギターソロとエンディング、これが「Rock Around The Clock」のそれとまったく同じっ!!なんということ。。ビル・ヘイリーは50年代を“偉大なるマンネリ”で貫き通し、音楽の歴史を変えたのだ。彼がこの時期残したスラップ・ベースがバシバシな“ピュアロカ”録音からは、早くも「Crazy, Man, Crazy(53年12位)」「Fractured(同24位)」「Live It Up(同25位)」といったチャートヒットも生まれており、R&Rが1955年に突然降って湧いたものではないことを雄弁に物語っている。

 「R&R生誕50周年」を祝うにあたって、これはその前史を知るに最適なCDだと思う。ビル・ヘイリーという“芸人”、彼の才能、そしてその限界(エルヴィスがいなかったら、R&R史はどのような展開になっていただろう?)を知る意味でも興味深い。勿論音楽的にも楽しめること間違いなしの一枚である。

収録曲等詳細(発売元のサイト)

(2004/4/11)

The Tokens B.T.Puppy Years

The B.T. Puppy Years 1964-1967 - The Tokens
(Varese Sarabande)



 1月にB.T.パピー・レコードの作品集を紹介した時、レーベルのオーナーであるトーケンズの作品が何故か同社ではなくワーナーからリリースされた物ばかり収録されていて「これは今後のリリースのためにとってあるのか?」みたいなことを書いたが、その通りだった。トーケンズのB.T.パピー時代の作品集が到着、しかも本国アメリカから。さすがトーケンズ、商売上手。ジャケットも先のCDと同セッションの別テイクを使い「こちらも合わせてどうぞ。」と言わんばかり。

B.T. Puppy Rarities 1961年の全米ナンバー1ヒット「The Lion Sleeps Tonight(ライオンはねている)」で知られる彼らは早いうちからアーティスト活動ばかりでなくプロデューサーとしても多岐に活躍していて、シフォンズ1963年のナンバー1ヒット「He's So Fine(イカシタ彼)」をプロデュースし、楽器演奏からコーラスまで務めたのも彼ら。制作活動のため「ブライト・チューンズ・プロダクション」という事務所を設立、その頭文字をとったレーベル「B.T.Puppy」も1964年にスタートしたが、これはロック系のアーティストとしては他の誰よりも早い動きだったという。当初はトーケンズ自身の作品のリリースが主で、このCDで聴けるようなシングルを次々とリリースしたが、やがて若手アーティストも手掛けるようになり、中でもハプニングスが大成功・・という話は、1月分のレビューをご覧いただきたい。

 さて、収録曲の紹介。この時代の彼らのヒット曲といえば、まずは64年の「He's In Town(最高43位)」。フォ−・シ−ズンズに通じるタイプのボーカルグループである彼らが、裏声を上手く使って雰囲気のあるポップスに仕上げている。同系統としては同じくキャロル・キングとジェリー・ゴフィンが作曲し、「He's In Town」に続くシングルとしてリリースされた「You're My Girl」もいい感じ。「He's 〜」に関してはイギリスのロッキン・ベリーズによるカバー(64年英3位)」もオールディーズファンにはお馴染みだが、彼らはもう一曲トーケンズのカバー「The Water Is Over My Head(66年英43位:作曲はアル・クーパー)」を発表していて、ここではそのオリジナルも聴くことができる。

It's A Happening World 64年に発表した作品はまだホワイト・ドゥワップ色の残る“オールディーズ・ポップ”が大勢を占めているが、これが66年になると新しい時代のポップス(≒ソフト・ロック)に作風は移行していて、ヒット曲「I Hear Trumpets Blow(66年米30位)」では既に翌年リリースすることになるソフト・ロックの基本アイテム「It's A Happening World」のサウンドをものにしている。モンキーズがセカンドアルバムで取り上げた「Laugh」のオリジナル・バージョンなんてのもあって、色々発見は多い。チャートマニアには「Greatest Moments In A Girl's Life(66年米102位)」、ベテラングループ、カ−ビ−・スト−ン・フォーと共演した“ユナイテッド・ステイツ・ダブル・クァルテット”名義の「Life Is Groovy(66年米110位)」といったマイナーヒットの収録も嬉しいはず。

 アーティストとしても、プロデューサーとしても並外れた才能の持ち主だった彼らなので後に“サイケデリック・エラ”と呼ばれる66年〜67年にはそれなりに意欲的なサウンドにも取り組んでおり「Breezy」やマンフレッド・マンのマイク・ハグの弟が在籍していたというイギリスのグループ、チェリー・スマッシュによるカバーもある「Green Plant」などは一級のポップ・サイケに仕上がっている。しかし当時のリスナーもラジオ局もトーケンズに“サイケ”は求めなかったようで、チャート上ではことごとく惨敗、このすれ違いが後の“「Intercourse」の悲劇”にまでつながっていくことになるのだが、ここら辺の作品は現在こそ再評価されるべきものなのだろう。

 トーケンズはこの時期にアルバム3枚分くらいの録音を残しているはずなので、コンプリートで出してくれてもよかったかも・・と思わなくもないが、これまでアナログを入手しなければ聴けなかったB.T.パピー作品がまとめて聴けるという意味で、これは待望のCD化と言えるだろう。これでもって60年代の彼らの作品は、一通り聴けるようになった訳なので。なおB.T.パピーは現在も存続していて、彼らはそこから時折新作を発表し続けている。このCDにも93年に録音した「ライオンはねている」の何十回目かの新バージョンが収録されているが、はっきりいってこれは余計。逆にオマケで入っているCMジングル集の方は、彼ら自身既にスターであるにもかかわらず、裏方として物凄い勢いでスタジオのアルバイトをやっていた“ワーカホリック”ぶりが窺い知れて面白い。

収録曲等詳細(発売元のサイト)

(2004/4/4)

Paul Simon Songbook

The Paul Simon Songbook - Paul Simon
(Columbia/Legacy)



 60年代から40年近くが過ぎ、これくらい時間が経過すると大概のことはOKになったり、どうでもよくなったりするようで。「レット・イット・ビー・ネイキッド」なんてCDは出るし、ブライアン・ウィルソンは自分の人生をメチャクチャにしてしまった「スマイル」を再現するためのツアーなんてものを始めるし。ちょっと前では考えられないようなことが次々と起こる21世紀初頭の今日この頃。

 上記ほど大ごとではないかも知れないが、ポール・サイモンのファースト・ソロアルバム、これも彼の存命中のCD化はないのでは?などと一部で噂されていたもの。これも時間の経過でこだわりが消えてしまったのか、それとも現在も続いているはずだったサイモンとガーファンクル(以下S&G)再結成ツアーのテコ入れの意図があったのか、アナログ時代から考えても約20年ぶりのオフィシャル・リリースが実現した。

 アルバム制作の経緯を説明しておこう。なおS&Gの場合、邦題で表記した方がイメージが湧く方が多いような気がするので、以下日本語のタイトルが繰り返し登場することをあらかじめご了承いただきたい。で「ポール・サイモン・ソングブック」はS&Gの「水曜の朝、午前3時(64年)」と「サウンド・オブ・サイレンス(66年)」の間にイギリスで録音されたソロアルバム(65年)、という説明が為されているが、僕はちょっと違うのではないかと考えている。「水曜の朝〜」が市場で殆ど注目されることなく、フォーク・デュオとしての活動に行き止まり感を覚えたポールは、アートとの決別を胸に渡英し、ソロアーティストのキャリアを目指したのではないかと思う。勿論“友人”ア−トとの交流は続いていたので、旅のついでにロンドンに立ち寄った彼とステージに立つことも何度かあったそうだが、それはあくまでも余興的な“リユニオン(2人は50年代のトム&ジェリー以降何度もついたり離れたりを繰り返している)”であって、継続性のあるものではない。現にこの時期アートは大学院に進学さえしているのだから。

 そんな彼の活動に支援者が現れ、その売り込みによりBBCで演奏を披露したところリスナーから反響があり、ロンドンで録音が実現したのがこのアルバム。彼が当時書きためていた新曲10曲と、S&G時代の自信作2曲(「サウンド・オブ・サイレンス」とレコーディング契約のきっかけとなった「私の兄弟」)をギター一本で演奏したまさに彼の「ソングブック」は、色々な点で興味深い。

  • ここに収録されている“新曲”10曲のうち8曲までが後にS&Gのアルバムに収録されることになるのだが、当然ながらここではポール1人で歌われている。S&G版ではアートのソロのような形で歌われている「4月になれば彼女は」もポ−ル版で聴けるので、その違いが面白い。S&Gの作品が現在なお多くの人々に愛されているのは、勿論ポ−ルの才能もあるが、アートの“天使の歌声”が果たした功績も、言うまでもなく大きいのだ
  • ギター1本のシンプルな録音なので、地味ながら意外に高度なことをやっているポールのギタープレイが詳細に楽しめる。S&Gのライブは基本的にアコースティック・オンリーだったそうなので、2人のハーモニーに加えこの演奏力に裏打ちされての成功であった、ということなのだろう
  • 後にアルバム「パセリ・セージ・ローズマリー・アンド・タイム」に収録される「簡単で散漫な演説」ではポールによるディラン・スタイルの歌を聴くことができるが、再録音までの1年間の、彼のディランものまねの上達ぶり(ここではいま一つ)にも注目
  • 結局後のS&Gアルバムには収録されず、ここでしか聴くことの出来ない2曲(「A Church Is Burning」と「The Side Of A Hill」)のうち「The Side Of A Hill」の歌詞の一部は「スカボロー・フェア」に使用されることになる。「スカボロー〜」はポールがイギリス滞在中に覚えた古い伝承曲で、他にも当地のフォークシーンで知り合ったシーカーズのブルース・ウッドリーと共作した「Red Rubber Ball」や「I Wish You Could Be Here」が翌年サークルによりヒットしたりと、彼のイギリス体験は非常に有意義なものだったようだ
 ポール・サイモンがイギリスであれこれ試行錯誤を繰り返しているちょうどその頃、本国ではポップス史上もっとも有名な“ハプニング”の1つが起ころうとしていた。ボストンのとあるラジオ局で相変わらずエアプレイ好調だった「サウンド・オブ・サイレンス」に、プロデューサーのトム・ウィルソンはボブ・ディランのセッションに参加していたミュージシャンたちにバンド・サウンドのオーバーダビングを依頼。フォ−クロック調に生まれ変わったその曲はヒットチャートを上昇し始め、そのニュースをヨーロッパで知ったポールは急遽帰国してアートと再合流。別れたはずの“サイモンとガーファンクル”は活動を継続することとなった。

 最終的にチャートのナンバー1にまで上り詰めた「〜サイレンス」によって突然スターとなってしまった彼らは、レコード会社から指示されたニューアルバムの制作を慌ただしく行うにあたり、その収録曲の多くを「〜ソングブック」から転用。結果それらが現在知られる“正規バージョン”となる。

 以降「〜ソングブック」は先に発売されていたにもかかわらず“お宝音源”的扱いを受けるようになり、またアルバム「〜サイレンス」に収録されなかった曲も続く「パセリ・セージ・ローズマリー・アンド・タイム」に殆ど収められたため同アルバムの存在価値はないとポールが判断したのか「〜ソングブック」はごく短期間で店頭から回収された(アメリカで出されたレコード・プライス・ガイドにはこのアルバムは掲載されていないので、本国ではこれまで発売すらされていなかったのかも知れない)。どういう訳か日本ではその後もカタログに残っていたようだが、CDの時代になるとそれも消えた。。

 と、そんな1枚が今回CD化されたという訳。S&G活動史中のアルバム「水曜の朝、午前3時」から「サウンド・オブ・サイレンス」リリースに至るストーリーの重要な伏線として、S&Gの録音との違いを楽しむもよし、ポールのギター名手ぶりを堪能するもよし。持っていて損はないアルバムである。

収録曲等詳細(発売元のサイト)

(2004/4/3)

Hits Of 1953

The Fabulous Fifties - Hits of '53
(ASV/Living Era)



 2月に紹介した「R&B Hits of 1953」に続きヨーロッパの“50年ルール”ものが到着。イギリスの「Living Era」というレーベル、実は先のR&Bヒッツを出したところのグループ会社なのだが、20世紀前半のポピュラー音楽を物凄い勢いで、しかもかなりの安価で出し続けてくれている。このレーベルの看板企画である「Hits of 〜」シリーズは1930年から年毎に出ていて、これがシリーズ24枚目(実は最近1920年代編「The Raoring '20s」シリーズも始まっていて既に3枚出ているのだが、そちらの紹介は今度最新盤が出た時にでも)となる。今回は1953年、R&R時代直前までやってきた。

 当然のことながら収録された全28曲の殆どは大ヒットばかり。この年に生まれたナンバー1ヒットは10曲あるが、そのうち8曲をここで聴くことができる。先にここでは“聴けない”ナンバー1ヒットを紹介しておくと、まずパティ・ペイジの「The Doggie In The Window(ワン・ワン・ワルツ)」は、まぁ他のCDでいくらでも聴けるのでいいでしょう。もう1曲スタン・フリーバーグが放った「St.George and The Dragonet」は、当時流行していた刑事ドラマ「ドラグネット」風にヨーロッパの有名な物語「聖ジョージのドラゴン退治」を寸劇にしたパロディ・レコードで、これは興味のある方だけ探し出して聴いていただけばいい、という感じのもの。かわりにレイ・アンソニーのオリジナル「ドラグネットのテーマ」が入っているので、これで事足りるでしょう。

 “聴ける”ナンバー1ヒットの方には、お馴染みのポピュラ−ヒットがずらり。ペリー・コモの「星を見つめないで」「ノー・アザー・ラヴ」、テレサ・ブリュワーの「思い出のワルツ」、パーシー・フェイスの「赤い風車のテーマ」、エディ・フィッシャーの「私はうしろを歩いている」、レス・ポールとメリー・フォードの「ヴァイア・コン・ディオス」、エームス・ブラザーズの「ユー・ユー・ユー」などなど、タイトルを書くだけでワクワクしてくるこれらは当時日本でもヒットを記録したものばかり。他にナンバー1は逃したものの、日本で大変親しまれた曲としてはナット・キング・コールの「プリテンド」、フランク・チャックスフィールドによる映画「ライムライト」のテーマ、ディーン・マーチンの「ザッツ・アモーレ」も収録。なんだか日本人のためにあつらえられたCDみたい。

 1953年ともなるとこれまでに音源のCD化が結構進んでしまっているため、ここで初めて聴けるような曲はあまりない。その分R&R時代以前のポピュラー音楽をまとめて聴いてみたい、という方には格好の入門用CDになっているのではないかと思う。あと付け加えると初CD化ではないと思うが、これまでなかなか見つからなかったシルヴァーナ・マンガーノの「アンナ」、この収録は嬉しい。当時日本でもかなりのヒットを記録したらしいこの曲は、それから数年後でいえばソフィア・ローレンの「マンボ・バカン」的な、ラテン・ビートが楽しいナンバー。

Hits Of 1950 Hits Of 1951 Hits Of 1952 

 なおASV/Living Eraの年別ヒット曲集、1950年代編には別に「The Fabulous Fifties」のサブ・タイトルが付けられ、過去に既に出ていたものもジャケットを一新して(以前は非常に素っ気無いものだった)出し直されているようなので、この時代のポップスに興味のある方はこの機会に一括入手してみてよいのでは。手っ取り早くその年のヒット曲を聴くには最適のシリーズと思われるので。

収録曲等詳細(発売元のサイト)

(2004/4/3)