唄うエノケン大全集〜蘇る戦前録音集〜 - 榎本健一
(Universal)
「喜劇王」エノケンの歌は、懐メロファンでなくとも聴き覚えがあるはず。♪狭〜いな〜がら〜も楽しい我が家〜、の「私の青空」、♪ダ〜ンナ、奢ってちょーダーイナ!の「ダイナ」、♪俺は村中で一番“モボ”だと言われ〜た男、の「洒落男」・・。どれもTVCMなどを通じて耳に馴染みのあるものばかりだが、不思議なことに彼の全盛期、戦前のポリドール録音が単体のCDにまとめられることがこれまでなかった。この二枚組30曲は個人的にも十数年越しの“念願のCD化”である。
音楽には“しゃべるように歌う”という表現があるが、エノケンの場合はさしずめ“ボヤくように歌う”。メロディの抑揚を平板な感じにして、呟くように歌う。これがなんとも可笑しみ(日本語変?)を誘うのは、彼の舞台経験によるものなのだろう。
CDを聴いてみる。ディスク1前半は当時アメリカのヒットチャートを賑わせていた曲のカバーが次々と登場して非常に楽しい。まず冒頭曲「エノケンの浮かれ音楽(なんというネーミング・センス!)」は1931年の全米ナンバー1ヒット「Music Goes Round And Round」だし、その何曲か後に収録されている「南京豆売り」は1930年に1位を記録したルンバ・ビートの曲。ついでに書いておくと「私の青空」は1927年の、「ダイナ」は1932年の全米ナンバー1、「洒落男」は1929年に最高2位を記録した大ヒット曲。彼はごく初期の我が国“翻訳ポップス”シンガーの一人なのだ。ハンガリーでは曲を聴いて厭世的な気分になった若者の自殺が相次いだという「暗い日曜日」も、エノケンにかかれば単なる酒飲みソングに・・凄い。ディスク1後半及びディスク2になると彼の主演映画用のオリジナル・ソングが続き、若干かったるい感じになるが、戦後のクレージー・キャッツ一連の楽曲にも通じる作風なので、その手のものに興味のある方は色々な発見があると思う(こういう系統がお気に入りなら、戦後録音された「冗談音楽」三木鶏郎とのコラボ集「エノケンMEETSトリロー」もお薦め)。
・・と、聴いていくうちに気がつくことがある。あれ?「私の青空」は??「洒落男」は???実は当時あの曲をレコードに吹き込んでいたのは、エノケン一座で活動をともにした二村定一の方で、エノケンの録音は戦後にならないと存在しないらしい。へぇー。舞台では間違いなくレパートリーとしていたと思うのだが。これは“我が国最初のポップス・シンガー”二村定一のCDも入手しておいた方がよさそうだ。
ライナーノーツを読むと、エノケンのSP盤はなかなか現存しないとかで、これだけの音源を揃えるのは画期的なことなのだそうだ。ひとまずは全盛期の彼の録音が簡単に聞けるようになったことに感謝したいが、でも不満はある。まずは資料面の不備。CDに解説を寄せている諸氏は嬉々として彼のレコーディング・キャリアを昭和6年の二村定一との共演盤から紹介しているが、その“デビュー盤”がCDに収録されていないのは仕方がないとして、その後彼が各社に吹き込んだレコードのディスコグラフィがどのようなもので、そのうち何がこのCDに収録され、何が収録できなかったかの記述がまったくない。これはあまりにも不親切でしょう。
「そんな文章を載せられるスペース、ないんだよねー。」という言い訳がすぐさま聞こえてきそうなのだが、実はこのCDには分厚い“豪華ブックレット”が付いている。紙質上々。でもそのブックレットの大半を占めるのは、中途半端に大きいサイズで印刷された歌詞(解説文は物凄く細かい文字で印刷されている)。「ほら、このCDを買うのは大体年輩者だし・・」という声がまたまた聞こえてきそうだが、老眼の方はこのサイズの文字は読めません。この分厚いブックレットを入れるためなのか、凄く久しぶりに見た気がする二枚組用の(90年代前半かよっ!みたいな)分厚いCDケース・・とにかく制作担当者のセンスの古さが端々に窺える。一昨年ビクターから何種も発売された“戦前戦後の和製洋楽”シリーズの素晴らしさに打ちのめされた者としては、どうしても気になることが多すぎる。
あともう一点。このCD化に際してSP音源調達のコーディネーター(監修)を務めたのは、30歳くらいのコレクターなんだって!へぇーっ、もうそういう時代になってきているんですねー。過去の優れた、または優れていなくても愛すべき音楽や芸能を、ネット時代ならではの手段や方法論で友人たちと共有していこう、という一方的に“志を同じくする者”としては、負けずに気概は高く、社会貢献度は低く(申し訳ない・・)今後も頑張っていこうと思うばかりである。
収録曲等詳細(監修者のサイト)