序章

第1章 歴史

第2章 作品紹介(1)

    作品紹介(2)

    作品紹介(3)

第3章 サントラ紹介(1)

    サントラ紹介(2)

    サントラ紹介(3)

    サントラ紹介(4)

    サントラ紹介(5)

    サントラ紹介(6)

    サントラ紹介(7)

written by
Kazuyuki Shinkai,
Oct.1995

第2章 作品紹介(その3)

時期が多少前後してしまうが、ここでブラックムービーブームはまず第一の頂点に達する。これまでで最も商業的に成功し、話題になったブラック・ムービー作品といえば1992年の「Malcolm X」をおいて他にない。Spike Lee監督が全精力を傾けたこの大作は、マーケティング(映画公開前の盛り上げ方)が実にうまかった。公開初日、劇場の前に黒人たちがズラッと列をつくっている様子は、日本の一般のニュース番組でも紹介された程だ。米本国はいうに及ばず、日本でも「X」のキャップやTシャツが流行し、関係書籍もぼこぼこと出版された(これだけは有難かった)。しかしマルコムの真の姿を伝えるべきこの作品の紹介においてさえも、日本のニュース番組を通せばマルコムは「キング牧師と対局にある暴力肯定派」になってしまうのである。
映画は、70年代にセンセーショナルな話題となったテレビシリーズ「ルーツ」の原作者でもあるアレックス・ヘイリーと、マルコム本人の共著である「マルコムX自伝」がベースになっている。 黒人の意識改革を強烈に促した牧師であった父親を白人人種差別主義者に殺され、母親が発狂し、マルコムは貧しい少年時代を過ごす。ニューヨークに出てきてからはハスラーとして名をあげるが、投獄されることで彼の人生は変わる。ネイション・オブ・イスラムおよびその指導者イライジャ・ムハマドとの出会い。出所後の彼はネイション・オブ・イスラムの一員としてばりばり働き、教団内で実質上イライジャに次ぐNo.2となった。マルコムはマスコミの意図的な操作に長けていたためテレビや新聞に出ずっぱりですっかり有名人になり、それが他の教団幹部やイライジャをも妬ませ、「奴は教団を乗っ取ろうとしている」とでっち上げてマルコム排斥へと動いた。マルコム自身は、メッカ巡礼を経て真のイスラム教に触れ、世界観が開ける。教団を脱退した彼は独自の活動を始めるが、演説中に暗殺される。犯人はネイション・オブ・イスラムとされ、3人が逮捕されるが、これは単なる実行犯に過ぎず、真相は未だ究明されていない。

というストーリーである。ひとりの人間の一生を描こうというのだから、どだい2時間や3時間では無理な話なのだが、3時間を超えるこの大作を見終わっても、やっぱり「不十分」なのである。まず本で「自伝」を読んで、この映画を観て、その後マルコムに関する本を何冊か読めば、「あれはこういうことだったのか」とかいろいろ理解は深まると思うのだが、しょせん映画なんて一過性の娯楽だ、というぐらいの認識しかなければ、あまり面白い映画ではないと思う。 しかしこの映画の凄かったところは、「宗教家」とか「社会活動家」というべき人物を、トレンドにしてしまったことである。ベースボールキャップやTシャツに名前や顔がプリントされてしまい、流行に敏感な若者たちがこぞってそれを求めるなんて、エンターテイメント以外の分野で、過去にそんな人がいただろうか。

制作途中で既に資金が底をつき、Michael Jordan、Magic Johnson、Prince、Janet Jacksonなんていう錚々たるメンバーが寄付を寄せているとか、イスラムの聖地メッカのお祈りのシーンは、歴史上初めて撮影が許されたとか、「お前なんかにMalcolmの映画は作らせねぇ」とか「お前なんかにネイション・オブ・イスラムを描かれてたまるか」と脅しを受けたとか、Spike自身がその制作過程を克明に記録した「The Making Of Malcolm X」(出版物)もなかなか楽しめる(なんと原作の「Malcolm X自伝」よりブ厚い)。

「Do The Right Thing」で広く世にブラックムービーの存在を知らしめたSpike Leeは、実はその前から日常生活の中の人種問題を扱った作品を作っていた。デビュー作「She's Gotta Have It」は、黒人しか登場しないけど、まあどちらかといえば人種関係よりは男女関係がメインテーマだった。が、次の「School Daze」はぐっさりと黒人の民族意識にメスを入れている。すべての生徒が黒人の全寮制高校。当然生徒たちはそれぞれ仲のいいグループ同士に分かれる。中には民族意識を高めようと「黒人はアフリカに帰るべきだ」的な主張をする連中もいる。彼等は彼等で一生懸命真面目にやっているのだが、そこはやっぱり高校生で、ちょっと考え方が甘かったりする。彼等はちゃらちゃらしている遊び人グループと対立するが、遊び人のこんな一言で思わず我に帰る。「アフリカだと?そんな未開の地なんか関係ねえだろ。俺はアメリカで生まれたアメリカ人だ。てめえらだってアフリカのことなんか何も知らねえくせに。行きたきゃてめえらで勝手に行けよ。」
アメリカ黒人が「アフリカに帰るべきだ」という運動は1930年代のマーカス・ガーベイに始まり、いつの時代にも根強く残っている思想だ。しかしその問題点は、アフリカという土地を「母なる大地」とかそういう概念的な捕え方しかせず、現実のアフリカ諸国が抱えている貧困とか飢餓とか政情不安なんていう問題を直視していないことである。
アフリカはセネガルのスーパースター、Youssou N'dourは、Spike Leeと会ったときのことをこう語った。「彼はたしかに民族意識が高い奴かもしれない。初めてアフリカに来て大はしゃぎだったよ。でも、セネガルで『ピラミッドはどこだ』とさんざん騒がれたのには参ったね。そんなものはエジプトにしか無いってことは、彼みたいな奴でさえ分かってないんだ。」
これは「School Daze」が制作されたずっと後の話である。Spike Lee自身でさえ、アフリカをイメージでしか見ていないのである。
アフリカ的色彩を強く打ち出し、アフリカが黒人の心の故郷だ、みたいなことを言っているArrested DevelopmentのリーダーSpeechも、実は実際にアフリカに行ったことはない、とあっけらかんと認めている。
アフリカ崇拝といってもいいぐらいアフリカに神聖なイメージを抱いていたBob Marleyは、それでも政治的な視点を決して失わずに、現実レベルで民衆の運動を支援した。ジンバブエの独立運動に貢献したことから独立記念式典に招待された彼を、空港で民衆がBobの「Zimbabwe」を歌いながら出迎えたという美談がある。あるいは、Isaac Hayesなんかはアフリカに実際に移住したばかりか、なんと国王に迎えられてしまったのである。晩年のマルコムXは、黒人の闘争をアメリカ黒人だけのものとして捕えず、世界中の黒人に共通の問題であると認識し、アフリカ諸国を飛び回って各地の民族運動との連携を計り、国連への提訴を試みた。一般にいわゆる「偉人」とされる人は、伊達にそう呼ばれているわけではないのだ。残念ながら、(少なくともこの段階では)Spike Leeをその仲間に入れることはできない。アメリカでは、特に貧困層の黒人からは、Spike Leeに対する批判は絶えない。中には単に彼が金を稼いでゲットーを脱出したことを妬んだだけのものもあるのは事実だが、日本のメディアのような「Spike Leeは凄い、彼は常にシーンを牽引している」みたいな無条件の賞賛はなかなか見られない。先出のArrested Developmentにしても同じことが言える。後に映画「Malcolm X」の音楽でSpike LeeがArrested Developmentを採用したのも何やら象徴的だ。
もちろん、その後Spike LeeはMalcolm Xのロケでアフリカを訪れているし、きっとあの映画の制作を通して成長したところがあるんだと思う(その後の作品「Crooklyn」は未見なのでこういう言い方しかできないけど)。

白人の若者たちにとっては黒人は一種の憧れの対象となった。ラップのセールスを支える強力なマーケットの大半は白人のティーンエイジャーだと言われる。アメリカの総人口に占める黒人の割合は約12%だから、黒人は約3000万人。そのうちヒップホップのレコードを買うようなティーンエイジャーは、そのまた15%程度だろうから450万人。仮にそのうちの5人に1人が買うような爆発的ヒットだとしても、100万枚に届くか届かないかというところ。さらに言えば今のラップというのは非常に地域性が強く、たとえばWu-Tang Clanの各メンバーのソロなんて東でしか売れてないし、全米No.1になったBone Thugs-N-Harmonyなんかは西でしか売れていない。そう考えれば、ラップのレコードがぼこぼことプラチナディスクになっているのには、黒人以外の人間が少なからず貢献していることがわかるだろう。
ラップやヒップホップ文化が「かっこいい」と認識され、NBAが大流行し、マイケル・ジョーダンはアメリカのスポーツ界で一番人気のある、かつ一番稼ぐ男になった。黒人たちは、「自分たちらしさ」を発揮することで社会的に認知され、人気を得て、大金を稼ぐことができるようになった。バスケにしてもラップにしても、その本当の頂点にいるごくごく一部の者に限っての話だが。
Montell Jordanという男はデビュー曲「This Is How We Do It」をいきなり全米No.1ヒットにさせ、次のシングルも順調にヒットさせている。我々から見れば彼はもはやスターである。しかし実際のところ彼はライブではBoyz II Menの数組のオープニオング・アクトの中のトップバッターという非常に冷遇された地位にあり、Boyz II Men目当てのガキんちょや家族連れ相手にやってるらしい。日本のメディアがいつも持ち上げすぎる傾向にあるので仕方ないが、しかし我々のもつイメージとは程遠い実像である(ついでに言うと歌も下手らしい)。
「Waterfalls」の7週1位を始め、出す作品すべてが大ヒットのTLCなんか、きっと大金持ちなんだろうと我々は想像する。しかし実際は彼女たちは破産を宣告されている。メンバーのLeft Eyeがボーイフレンドの家に放火したことで保険会社から賠償を求められているという特殊な事情はあるが、それでも現在のシーンにおいては全米屈指の大スターなんだから、家一件分なんてひょいと払えそうなもんだと思ってしまうのが我々の感覚である。
Michael Jacksonの姉で、Top40ファンには「Centipede」のヒットで、一般人にはプレイボーイ誌に掲載されたヌードで知られるLaToya Jacksonもまた、破産宣告を受けたが、なんともまぁ惨めなことに彼女の総資産は400万円あまりだというではないか。MichaelやJanetなら毎晩そのぐらいは使っていそうなだけに惨めさが際立ってしまう。
また、先頃Naughty By Natureの中心メンバーであるTreachは、彼の住むニュージャージー州イースト・オレンジ市に対して200万ドルの補償請求を起こした。その理由は、これまで彼自身が幾度となく同市警察によってとくに理由もなく拘留され、投獄されてきたことによる精神的・肉体的苦痛の補償である。自分だけならまだしも、最近は同居している従兄弟や叔母にまで同じ行為が及んできたために今回の告訴に及んだという。Naughty By Natureの中心メンバーと言ったら、決してマイナーな存在ではない。しかし彼とても、人種差別主義者にしてみれば単なる一人のニガーでしかないということだろう。

この辺までは、音楽が映画の中で非常に重要な地位を与えられていることはあっても、その主従関係はあくまでも映画中心で、それに音楽が付随しているだけだった。映画はまぁいいとして、サントラが作りたかった。そう感じさせるのがDr.Dre率いるDeath Rowレーベルのアーティスト総結集の「Above The Rim」である。映画自体も2Pacなどのスターを配してヒットしたことはしたのだが、やっぱりこの作品のメインはサントラの方である。そうは言っても、たとえば「Saturday Night Fever」とか「Footloose」みたいに、或いはプロモーションビデオのように音楽と映画の内容が有機的にリンクしているというわけではない。単にDr.Dreが「オムニバスが作りてえぞ」と作ってしまい、「なんか『Above The Rim』って映画のサントラの話があるんだけど、このオムニバスをそのままサントラにしちゃわねぇか?」と安易に決めてしまった、そんな感じだ(あくまでも印象であってそれ以上の根拠は何にもないです)。それだけサントラの内容が充実している、ということもあるが、「映画では使っていない曲まで何故かサントラに入ってる」というナメた真似はやはりこいつがやったことで一般に広く認知されてしまったのではなかろうか。
Dr.Dreが初めて手がけたサントラは91年の「Deep Cover」である。「School Daze」では学生に扮し、「Jungle Fever」ではちょっと適齢期を過ぎた独身中堅社員を演じ、「Boyz N The Hood」ではティーンエイジャーの父親を演じるという、役どころの幅広さでは誰もかなわないLarry Fishburneが、この作品では刑事役で主演。この作品もブラックムービーの範疇に入れられることがあるが、内容としてはとくに「ブラック」であることを感じさせるわけでもない、身の危険を冒して敵の組織に潜入し、内側から壊滅させるという純粋な刑事モノである。サントラは、流石に「超豪華面子」が普通になってしまった今でこそ多少見劣りするが、何といってもSnoop Doggy Doggの初お目見え作品が収録されていることで印象深い。Dreの大ヒット作「The Chronic」の原点はここにあるのだ。
これ以降、Death Row周辺の新人はサントラを足掛りにシーンに登場することが多くなった。いちばん顕著な例は「Above The Rim」のサントラから「Regulate」をヒットさせたWarren Gである。他にもDreのプロデュースでデビューアルバムを発表すべく、十分なサントラ・プロモーションを終えて控えているのが本格派(を予感させる)ソウルシンガーJewellと、女性ラッパーのThe Lady Of Rageで、後者は昨年アルバムデビューの噂が流れて初登場No.1と目されていたのだが、結局発売されずに今に至っており、すっかり時期を逸してしまった感じもする。

Dreの「サントラ作りてぇ」願望は、94年の究極のサントラ「Murder Was The Case」で成就する。なんたって、映画自体がSnoopの同名曲の映像化(+α)だし、わずか30分弱という本編に対し、サントラは60分超なんだから。Death Row(Dreの所有するレーベル)、ついに映画界にも進出!とか言われたけど、こりゃあ完全に主従逆転、サントラアルバムがまずあって、それのプロモーション用に映像も作ったっていう、まさに「Dreのやりたかったこと」でしょ。そのうち10ccみたいに実在しない映画のサントラを想定した「架空のサントラ」とか作り出すんじゃないの(「The Original Soundtrack」10cc ,1975)。

この春から夏に公開され、まだ日本では見ることができない(おそらく、多くは劇場公開されずにビデオ発売だけになるんだろう)作品としては、重厚な「Malcolm X」から一転してノスタルジックなホームドラマとなったSpike Lee最新作「Crooklyn」、ベトナム戦争の黒人兵士を描いた「The Walking Dead」、Ice Cube制作のコメディ「Friday」、同じくコメディの「Bad Boys」、ホラー作品のオムニバス「Tales From The Hood」、「Boyz N The Hood」のJon Singletonの最新作「Higher Learning」、ブラック・パンサーを描いた「Panther」、投獄中のラッパーSlick Rickに捧げられた本格的ヒップホップドキュメンタリー「The Show」と、95年はいつになくブラックムービーの作品数が多い。(上記のうち「Higher Learning」のサントラだけはロック系の人も参加している)。その中でもとくに注目されるのは「Panther」だろう。

 常にキング牧師の対極にある「暴力肯定主義者」として単純に認識されることの多かったマルコムXへの理解を深めた「Malcolm X」、歴史上は抹殺されているが、実はたくさん存在した黒人のカウボーイを描いた「Posse」、あるいは大衆的な巨匠であるスピルバーグがホロコーストを描いたことで、その存在と実体を広く世に知らしめた「シンドラーのリスト」。これらの作品は、歴史の中では比較的最近の出来事ながら、誤解されていたり、世間の認識が十分でなかったりする、いわば「裏」とか「陰」の部分を描いている。そこを敢えて描くのは、特定の人々の利害に深く関わる部分もあることから非常に難しく、かつ危険である。「Malcolm X」はそもそも白人監督ノーマン・ジェーイスンが制作する予定だった。しかし、彼は「白人にMalcolmが描けるはずがない」という世間の圧力に屈してしまった。結果、Spike Leeが監督することになったが、黒人である彼にさえ、脅迫や圧力は絶えなかった。ブラックパンサーを描くこの「Panther」も、制作は困難だったに違いない。おまけにこれが史実に忠実なノンフィクションではなく、実在の人物に混じって架空の人物が主人公として重要な役を果たしたり、実際には明らかになっていないのにFBIがブラックパンサーを陥れる陰謀の首謀者として描かれていたりと、嫌が応にも各方面に波紋を呼びそうな作り方なのだ。しかし、そういう脚色はあるにせよ、おそらくMalcolm X以上に誤解されやすいブラックパンサーたちの真の姿を現代の若者たちに伝えるという重大な役割を全うしている点で、本作は高く評価されるえきだろう。監督は「New Jack City」「Posse」のMario Van Peebles。
ブラックパンサーは、1965年、マルコムXが暗殺され、ロサンゼルス市ワッツ地区で全米最大規模の暴動が起きた同じ年に、Huey P. NewtonとBobby Sealeによって結成された。正式にはBlack Panther Party(黒豹党/ブラックパンサー党)、すなわち政治結社である。と言っても彼らが目指したのは議会への進出ではなく、ゲットーの自衛だった。黒豹党といえば、よくショットガンを抱えてゲットーを巡回する党員の姿が紹介されるが、彼らの目的は威圧でも挑発でもなく、自衛なのである。それは「豹は自分からは攻撃をしかけないが、攻撃された時には猛烈な反撃に出る」ことを名前の由来とする黒豹党の基本姿勢だ。彼らは、ゲットーにおいて警官の役割を果たした。もちろん、本物の警官はアテにできなかったからだ。事実、黒豹党員にとっての最大の敵は警察だった。Huey P. Newtonはほんの些細ないざこざで警官に発砲されて重体になり、病院に運ばれるが、そこにまで警官が押し掛けてベッドに手錠で縛り付け、わざと傷口が開くような姿勢をとらせりした(この様子が写真に撮られて新聞にスッパ抜かれ、大騒ぎになった)。Newtonはそのまま逮捕され、4年もの間拘束された。もちろんそれは、警察による黒豹党の勢力拡大阻止策だった。党は「Free Huey」というスローガンを掲げてより強く結束するが、代理のリーダーを選出するたびに警察はその新しい指導者を逮捕して拘束し、ときには適当な理由をつけて殺害した。Newtonはとりあえず釈放され、組織の再建にとりかかるが、内部から外部から、あらゆる問題がふりかかり、また彼自身も再び、三度び投獄され、結局74年にはキューバに亡命する。その後アメリカに戻って政治絡みの活動を続けるが、89年、全身に銃弾を浴びて路上で死んでいるのが発見された。ドラッグ取引におけるトラブルが原因だとされた。
映画ではここまでは描かれず、おもに60年代の結党当初を描いているらしい。 いまブラックパンサーの活動が再評価されているのは、彼らが思想や理論に走ることなく、常に現実を直視して自衛活動を実行してきたからだ。自分の身を自分で守る行為の重要性が、当時のレベルに近くなってきている。白人警官は黒人に対する恐怖感を権力と武力で克服しようとしている。当時ほど露骨ではないにせよ、黒人にとって白人警官は相変わらず脅威の対象なのである。それはロドニー・キング事件(〜ロス暴動)やO.J.シンプソン事件が、遠い海を越えた我々にも雄弁に伝えていた。

いわゆる「Hoodモノ」を中心とした最近のブラックムービーは、いわば映画の世界における「ギャングスタ・ラップ」である。実状を知らない者が見れば、粗野で乱暴で胸の悪くなるような作品だ。しかしある世界ではこれが「趣味の悪い作り話」にしか思えなくても、ある世界ではこれが現実なのである。重要なのは、これが「現実」だと理解することだ。たとえばボスニアにしても、チェチェンにしても、我々の想像を絶するような蛮行は、現実に地球のどこかで行われているのだ。彼らはもちろんそういう状況を変えたいと思っているだろうが、その前に、とりあえすこの現実を世界のみんなに知って欲しいと思っている。戦地などの現状を伝える報道カメラマンが、現地住民からは疎んじられることなくむしろ歓迎されるのは、そういうことだ。こういったブラック・ムービーやギャングスタ・ラップは、「いたずらに暴力を煽る、青少年に有害な作品」などでは決してないのだ(中には本当に有害なものもあることは事実として認めねばならないが)。

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