1994-1995
94〜95年の様々なアーティストとの共演で、ベイビーフェイスは業界内での「大物」の地位を固めた。何しろこの間に曲提供/プロデュースしたのが、アレサ・フランクリン、マライア・キャリー、マドンナ、グラディス・ナイトだ。更に、既に共演歴のあるボーイズIIメンやトニ・ブラクストンも含めて、彼が90年代最強のプロデューサーの地位を不動のものにしたと言えよう。
しかし、93年に飛躍的な成長を遂げたかに見えた彼の作風は、94年にはまたその成長を止めた。以前の彼とは違うが、この時期の作品は、これはこれでどれも似たような曲ばかりなのだ。ミディアムかスローで、いかにも中庸という感じのメロディ。決して悪い曲ではないんだが、何かがもうひとつ足りないような、煮え切らない作品が多いのだ。
要は以前とは路線が変わっただけで、結局は似たような曲の大量生産しかできないのか、と再び彼を見限ろうとした私は、再び甘かった。
95年の彼は93年と並ぶぐらいの充実振りを見せた。まず、マドンナとの共演。ホイットニーにしても、マライアにしても、アレサでさえも、ベイビーフェイスは彼女たちに一方的に曲を提供し、ベイビーフェイスのスタイルでそれを歌うことを求めた。しかしマドンナは違った。彼女はベイビーフェイスと同じぐらい、アーティストとしてのエゴが強く、ベイビーフェイス・スタイルを一方的に押し付けられることを断固として拒んだ。その結果、両者の持ち味が絶妙にブレンドされた作品が出来上がった。ベイビーフェイスもマドンナもそれぞれに優れたソングライターだが、どちらか一人だけではこの曲は書けなかった。「Take A Bow」(ポップ1位、R&B40位)。ベイビーフェイスの「いい曲」を書くセンスと、マドンナの女性的な柔らかさ。マドンナは変にどぎついエロ路線に突っ走って、一時期はどうなっちゃうんだろうと心配させたが、この曲をきっかけに「こっち側の世界」に戻ってきた。
そしてTLCのセカンドアルバム。ぐっと女っぽくなったメンバーに見合うべく、非常に色っぽくも切ない曲を提供したのがベイビーフェイスだった。「Red Light Special」(ポップ2位、R&B3位)は一聴すると「なんでこれが第2弾シングル?」という感じの地味な曲なのだが、非常に味わい深い佳作だ。そして、これまた従来のベイビーフェイス作品にはなかったタイプの、ポップで可愛らしい「Diggin' On You」(ポップ5位、R&B7位)。
更に、この時期の彼の充実ぶりを示すトドメとなるのが、95年夏の大ヒットとなった、ボーイズIIメンの「Water Runs Dry」だ。アコースティック・ギターを全編に使った音作りは既に彼自身の94年のヒット「When Will I See You」で披露しているので、もう驚きはない。しかし曲の完成度で「When Will〜」を遥かに超える。
ボーイズIIメンはちょっと超王道路線の曲ばかりをやらされすぎた。彼らのハーモニーの魅力は、熱唱タイプの曲よりもむしろ繊細な曲で活きるのだ。それがこの曲で立証された。ベイビーフェイスには決して真似のできない、非常にきめ細かく繊細なボーカルが、この曲に命を吹き込んだ。ただ、一般的には「王道路線」のほうがずっとウケたのは事実で、No.1ヒットになった上にグラミー賞のベストR&Bソング部門を受賞したのはベタベタの王道バラード「I'll Make Love To You」だった。 TLCの2曲も、「Water Runs Dry」も、L.A.リードもダラス・オースティンも関与していない、ベイビーフェイスの単独作品である。これまでの作品はほとんどが誰かしらとの共作/共同プロデュースだったのだが、94年半ばに、遂にL.A.リードとのコンビを解消して以来、彼の単独作品が多くなったのだ。
ザ・ディールの同僚として活動を共にし始めてから12年。L.A.リードとの長いコンビはついに解消された。しかしそれは当然であり、遅すぎたとも言える。レノン/マッカートニーとか、キング/ゴフィンとか、ずっと後にはモリッシー/マーとか、ジャム&ルイスなどなど、世の中には優れたソングライター・コンビがたくさんいる。彼らはお互いに補完しあう関係にある。作詞/作曲の分業だったり、お互いタイプの違う曲を得意としていたり。しかしL.A.&ベイビーフェイスは、明らかにそれとは違った。ベイビーフェイスに比べて、L.A.リードの貢献度があまりにも低すぎるのだ。確かに彼は過去に何曲か「かっこいいリズムトラック」を提供したことがある。しかし、後はそれをひたすら使いまわすことしかできなかった。しまいにはそのあまりのワンパターンさに嫌気がさしたリスナーから悪口を言われるようになり、結果的にベイビーフェイスにワンパターン野郎の汚名を着せることになった。リズム・トラックの持ち駒が非常に限られることで、ベイビーフェイスの作曲の自由度も制限された。L.A.リードはむしろ足を引っ張っていたと言って良かろう。
ここにダリル・シモンズが加わることによってかなり作風は改善されたが、アーティストとしてすっかり自信をつけたベイビーフェイスは、一人立ちすることを望んだ。
94年末には、遂に、ソロアーティストとしてコンサート・ツアーに出た。自分がビッグに育て上げたボーイズIIメンの前座となることを、自ら選んで。この頃彼はヴォーカリストとしてはボーイズIIメンの足下にも及ばないことを認める殊勝な発言をしている。しかし同時に、こんな発言もしている。「僕はかつては、まず作曲家であり、次にプロデューサーであり、最後にアーティストだった。今の僕は違う見方をしている。僕は、いつでもそれらの全てだ。マドンナと共作してる時も、自分の作品を作っているときも、僕は他でもないベイビーフェイスとしての仕事をしてるんだ」。


「Waiting To Exhale」サントラ。ホイットニー・ヒューストンら主演。原作の小説も大ヒットしているが、「男性差別的だ」との声も上がっている問題作でもある。ほぼ全曲の作曲/プロデュース/演奏をベイビーフェイスが手掛ける渾身の力作。 おお、ベイビーフェイスが初めて年令相応の顔を見せた!しかし今まであんなにツルツルだったのに、こんなに突然シワが出てくるもんか?これはこれで老け顔のメイクをしてたりして。息子を授かった喜びと誇りに満ちた作品。甘ったれたジャケにはしたくない気持ちはわかる。



まず彼は、若手をアーティストとして育てることを始めた。トニ・ブラクストンのように、単に若いシンガーを拾ってきて、どんどん曲を書いて与えてやるのではなく、自分で曲も書けてプロデュースもできる若い才能の発掘だ。
ベイビーフェイス夫人、トレイシー・エドモンズが社長となってYab Yumレーベルを設立した。その契約アーティスト第1号となったのが、ジョンBだ。
デビューシングル「Someone To Love」はベイビーフェイスとのデュエットだが、2人ともおんなじ声でおんなじ歌い方なのには呆れて言葉もなかった。まるっきりのクローンなのだ。しかもジョンBは曲もばっちり書けるという触れ込みで登場した割には、この曲は作曲もプロデュースもベイビーフェイスだし。もはやこれは笑いのタネぐらいにしかならんと思って完全に黙殺していたのだが、97年のセカンドアルバムでベイビーフェイスとは違った独自の音をやっと聞かせてくれた。
なお、Yab Yumという謎のレーベル名だが、トレイシーによれば「日本の愛の神様の名前なの。エキゾチックでしょ」だそうだが、「ヤブ・ヤム」なる愛の神を知ってる人、いますかー?これだからガイジンってやつはなぁ。
92年以降、ベイビーフェイスが作品を提供するのは圧倒的に女性が多かった。彼の甘い、悪く言えば軟弱な作品群は、やはり男性よりは女性シンガー向きのものが多い。おそらくは本人もそれを意識しており、95年の末、その集大成を作った。
「Waiting To Exhale」のサントラ。これまで共演歴のあるホイットニー・ヒューストン、アレサ・フランクリン、トニ・ブラクストン、TLCをはじめ、ブランディ、SWV、意外なところでメアリーJブライジ、フェイス・エヴァンスなんていう、この時点で考えられる限りの最も豪華なメンバーとなった。更に、彼女たちすべてにとって憧れの存在であろうチャカ・カーンまで参加させた(ただ、アルバム中唯一ベイビーフェイス作品ではないカバーを歌っているのが寂しい)。
このアルバムでは、ほとんどの曲をベイビーフェイスが単独で作曲/プロデュースし、演奏も大部分を一人で手掛けている。注目されるのは、単独作曲ではない曲を、誰と共作しているかという点だ。それは、すべて、歌っている人との共作クレジットなのだ(例えばwith Whitney Houston)。かつては、相手が誰であろうと自分のスタイルを押し付け、型にはめるという手法を続けてきたベイビーフェイスは、ここにきて、アーティストのスタイルに合わせる、アーティストの意向を自分の作品の中に組み入れるという、当たり前とも思える行為を、やっと当たり前のように実践できるようになった。
他人の意見を聞いたり、相手に合わせて作風を変えたり、ということができるようになったのは、ベイビーフェイスがアーティストとして自信をつけたからに他ならない。94〜95年は「一人立ち」と「成長」の意義深い年だった。


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