| 1992-1993 | ||||||
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ホイットニーの一連のヒット以来、約1年間、せっかく自分のレーベルを設立したというのにポップチャートではヒットらしいヒットに恵まれなかったベイビーフェイス。しかし彼は92年の夏に、派手に帰ってきた。 L.A.リードの奥さんとなったペブルスが発掘してきた女の子3人組、TLC。その派手で明るいキャラクターは新鮮だった。彼女たちはLaFACEからデビューし、「Ain't 2 Proud 2 Beg」「Baby Baby Baby」「What About Your Friends」と、大ヒットを連発した(ポップチャートで順に6、2、7位、R&Bチャートで順に2、1、2位)。この中でベイビーフェイスが直接作曲/プロデュースを手掛けたのは「Baby Baby Baby」だけで、他の2曲はダラス・オースティンの手柄だが、ベイビーフェイスが「個性的な」アーティストを手掛けるのは珍しかった。まして、そのアーティストの個性を尊重するような作品を提供するとなると、過去にジョニー・ギルしか例はない。うーん、今度こそベイビーフェイスは改心したのだろうか。いや。「Baby Baby Baby」の共作者にもまたダリル・シモンズの名前が。やはり「他のベイビーフェイス作品とはひと味違う曲」には必ず彼が絡んでいる。 「Baby Baby Baby」がヒットしている頃、ベイビーフェイスは新たな試みに挑んだ。サントラ盤の製作。LaFACEから出た、エディ・マーフィ主演映画「Boomerang」のサントラだ。L.A.&ベイビーフェイスが直接手掛けるのは12曲中7曲で、まったく雰囲気の違うア・トライブ・コールド・クエストとかアーロン・ホールなんかが紛れ込んだ非常に中途半端な作りではある。しかし、これはベイビーフェイスにとって非常に重要な作品となった。 まず、ボーイズIIメンとの出合い。ボーイズIIメンは91年にデビューし、「Motownphilly」「It's So Hard To Say Goodbye To Yesterday」などのヒットで、既にこの時点でかなりの人気グループになっていた。なお、彼らをデビューに導いたのはニュー・エディション/ベル・ビヴ・デヴォーのマイケル・ビヴンス。 この頃のボーイズIIメンは、同期デビューのジョデシとやたらと比較された。まったくタイプが違う両グループがなぜ比較されたかというと、この頃、若手ヴォーカルグループなんて皆無だったからだ。せいぜいトゥループが頑張っているぐらいで、ハイ・ファイヴのようなアイドル系か、レヴァートのようなオヤジ系ぐらいしかいなかった。そこに、いきなり実力派若手ヴォーカルグループが2組登場して、大ヒットを連発しだしたら、やっぱり比較したくなってしまうのは仕方ない(ジョデシはポップチャートでは大ヒット連発というわけではなかったが、R&Bではデビューアルバムから3曲連続でNo.1になった)。 この比較の中で、実際以上に、ボーイズIIメンは伝統的な正当派の「良い子」で、ジョデシは新世代の「ワルっぽい」グループであるとされた。ベイビーフェイスは、このイメージを決定付けるような正統派の超王道バラードをボーイズIIメンに提供した。これほど明解で超王道を行く曲を書いたのは、これが初めてのことだ。その「End Of The Road」はポップチャートで13週1位という爆発的ヒットとなり、ボーイズIIメンにとってもベイビーフェイスにとっても(この時点で)最大の成功作となった。 「Boomerang」における第二の重要な出来事は、トニ・ブラクストンとの出合いである(実際には3年も前に契約して、ずっと温めてきてたんだけど)。サントラからの先行シングルはトニとベイビーフェイス自身のデュエットによる「Give U My Heart」。この明るい開放的なメロディは、2年前のベイビーフェイス自身のヒット「My Kinda Girl」を思い起こさせる。 ベイビーフェイスの作風は、明らかに変化し始めた。
この年、ボビー・ブラウンのサード・アルバムも出た。セカンドに引き続きL.A.&ベイビーフェイスの作品とテディ・ライリーの作品が共存するアルバムとなった。ファーストシングルの「Humpin' Around」(R&B1位、ポップ3位)は従来の作品に近い作風ではあるが、そのリズムトラックは完全に2年前のものとは違っていた。チャカチャカした軽さがなくなり、ビシッと引き締まったビートは、アップテンポを得意とするテディ・ライリーの作品と初めてマトモに戦えるだけのクオリティになった。 セカンドシングルの「Good Enough」は、「My Kinda Girl」「Give U My Heart」タイプの開放的な明るいポップ・ナンバー。ボーイズIIメンの大ヒットも含めて、92年になってやっとベイビーフェイスは「R&B」という限られた分野から抜け出し、もっと広く漠然とした「ポップス」という括りのアーティストへと成長した。 この変化は何だろう。各曲の共作者のクレジットを見ると、その答えは明らかになる。以前から共作者としてクレジットされ続けてきたL.A.リードに加えて、ダリル・シモンズが多くの作品に関わり始める。ここに挙げた「Baby Baby Baby」「End Of The Road」「Give U My Heart」「Humpin' Around」「Good Enough」すべてに、ダリル・シモンズは共作者または共同プロデュースとして名を列ねる。この傾向は、翌93年により顕著になる。 なお、NAACP(全国黒人地位向上協会、アメリカで最初の公民権組織)は毎年、黒人のイメージ向上に貢献したミュージシャンや俳優を表彰しているが、92年の「Image Award : Lifetime Achievement」部門でベイビーフェイスを選出した(以後毎年のように受賞するようになる)。 93年の目玉は、トニ・ブラクストンのアルバムデビューと、ベイビーフェイスの3作目のソロアルバムの完成だ。 トニ・ブラクストンは、別に特別優れたシンガーではないし、特にこの頃はベイビーフェイスの指導そのまんまに歌ってるだけの、「世間ズレしてない素直なお嬢ちゃん」という感じだ。そんな、あまり個性的とは言えない彼女が大ヒットを連発して、グラミー賞を受賞するわ、アルバムをチャートのNo.1に送り込むわの大活躍だった。R&Bチャートではデビューから5曲連続でトップ5ヒットとなり、デビューアルバムから全部で8曲がヒットした(「Seven Whole Days」はシングルカットされていないにも関わらずラジオで大人気で、R&Bエアプレイチャートの1位になってしまった。今と違って当時としては異例の事態だった)。 続いて93年の夏にはベイビーフェイスの3作目のソロ「For The Cool In You」がリリースされた。先行シングルは不思議なほどヒットしなかったが、結局3曲をR&Bチャートのトップ10に送り込んでいる。ここで注目されるのが、第4弾シングルとなった「When Can I See You」だ。 既に書いた通り、ベイビーフェイスは若い頃はギタリストやキーボードとしてローカルバンドを転々とした。また、R&Bやソウルだけでなく、いわゆるシンガーソングライター物からも影響を受けていると発言していた。とくにロギンス&メッシーナや、CSN&Yといったフォーク系の人が好きらしい。 彼は「When Can I See You」で、有名になってからは初めて、ギターを抱えて人前に現れた。そして、切々とした弾き語りのようなアコースティック・ナンバーを聴かせた。彼のキャリアを考えれば不思議なことではないが、それまでの作風とのあまりの違いにインパクトは大きかった。何しろこいつはついこの前まで「金太郎飴ソング量産マシーン」だったのだ。それが93年頃から急に芸風を広げ始め、ついにギターを手にした。「今までとは違う独創的なこと」とは一番無縁に見えた彼が、変化を求めて遂に動きだしたのだ。 93年には他にベル・ビヴ・デヴォーやテヴィン・キャンベルに作品を提供し、どれもしっかりヒットしている。この年は全くハズレなし、絶好調だった。 この好調ぶりで、彼は初めてのグラミー賞を手にする。L.A.&ベイビーフェイスがベスト・プロデューサーに選出され、「End Of The Road」がベストR&Bソングを受賞した。まさに、この頃から王道を歩み始めたわけだ。 |