LESSON14: 

Faith No More
Extreme
Patty Smyth
Meat Loaf
Aerosmith
The Rembrandts
The Smashing Pumpkins
Savage Garden
Barenaked Ladies
Destiny's Child


You want it all but you can't have it
It's in your face but you can't grab it


- Faith No More Epic



1990


"Epic" -Faith No More (#9)

結成は意外と古く1980年。ただしメインストリームで売れ出したのはこの曲「Epic」から、というサンフランシスコのバンド。「Epic」はオープニングからテンション超あがりまくりな、現在のラップメタルの祖先とでも言うべきサウンド。なんといってもこの曲が強烈過ぎたためか、全米ではその後が続かなかった。UKでは結構ヒットを出していて、中でもキャムロンが「Hey Ma」でサンプリングしたコモドアーズの名曲「I'm Easy」のカバーが最大のヒットとなっている(UK3位)。フェイス・ノー・モアといえば、個人的には93年の『Judgement Night』サントラでのブー・ヤー・トライブとの共演曲が忘れられません。覚えてますか、このサントラ?全編HR/メタル系バンドとヒップホップ系アーティストが共演する好盤です(パール・ジャムとサイプレス・ヒルとか)。


1991


"More Than Words" -Extreme (#1)

伝説のギタリスト(だから勝手に伝説にするなって)ヌーノ・ベッテンコートが在籍していたエクストリームの最大のヒットであり、90年代が誇るモンスター・バラード。終始ボーカルのゲイリー・シェローンの美声と、息を合わせるかのようにぴったりなヌーノのアコギ&コーラスがすさまじく美しい。当時ギター少年だったやつのうち10人に9人はこの曲を練習したと言われるほど人気が高かった。今でも日本のカラオケでこの曲が歌われる頻度は高く、この曲に対する思い入れ具合で歳がバレるといったこともあるくらい(笑)。ヌーノは後にソロになり、ゲイリーはヴァン・ヘイレンのリードシンガーになったりした。


1992


"Sometimes Love Just Ain't Enough" -Patty Smyth  (#2)

峰竜太と竜雷太くらい間違えやすいが、パティ・スミス(Patti Smith)とパティ・スマイス(Patty Smyth)は別人です。"I"のほう(前者)がパンクの女王、"Y"のほう(後者-今回の人)がまあ普通のロックボーカリスト。80年代はスキャンダルというバンドのボーカルを勤めていたパティが、イーグルスのボーカル ドン・ヘンリーをゲストに迎えてレコーディングしたカントリーっぽいアダルト・コンポラリー・バラード。1番が彼女、2番でドン・ヘンリーが入ってきて、最後は二人で目を見つめあって歌う、みたいなロマンティックな構成はまあ90年代版「Picture」(シェリル・クロウ&キッド・ロック)ですな。


1993


"I'd Do Anything For Love (But I Won't Do That)" -Meat Loaf (#1)

「だからどっちやねん!」、と当時誰もがタイトルに突っ込みを入れたこの曲で見事大復活したミートローフ。”肉の塊”という芸名は嘘でもなんでもなく、実際相撲取り並みに太ってます。で、曲のほうはミートローフとは腐れ縁ジム・スタインマン(「Total Eclipse Of The Heart」、「It's All Coming Back To Me Now」ほか)が関わっているということもあり、かなりクドくて、じれったいつくり(まさにじれったい愛)。さすがにシングルではカットにカットされ5分程度に収まっているがアルバム版では、イントロのピアノソロだけで約2分という長尺仕様。長いのは曲だけでなく、曲名も同様。このあと「Rock And Roll Dreams Come Through」(94/#13)(←タイトルが絶妙。座布団2枚)と「Objects In The Rear View Mirror May Appear Closer Than They Are」(94/#38)(←交通事故防止啓発ソング?)がヒット。


1994


"Amazing" -Aerosmith (#24)

このバンドはGEFFENに移籍してから再び黄金期が訪れるのだが、その移籍後3作目『Get A Grip』(問題になった"牛の乳首にピアス"ジャケ)からの「Livin' On The Edge」(93/#18)、「Cryin'」(93/#12)に続くサードシングルがこれ。90年代エアロの真骨頂であるアリーナクラスの壮大なバラード。3分35秒以降奮発される「ロガァ、ガァ、ガーゥ、ロガガガガガォーゥ!!」の痛喉(実際真似るとかなりノド痛めます・・)のシャウトを聴けば、Bで始まる日本の某HRユニットのボーカルがスティーヴン・タイラーを神とまであがめている理由がわかるというもの。仮想現実をテーマにした莫大な費用がかかったPVも一見の価値アリ。



1995


"I'll Be There For You" -The Rembrandts (#17)

ニューヨークに住む20代の男女6人の友情を描いた人気テレビドラマ『フレンズ』の主題歌として大ヒットし、エアプレイチャートでも8週1位を独走した。しかし、エアプレイが下火になった頃”シングル”という形でようやくリリースされ、Billboardにチャートインを許可され17位に初登場した。まあごちゃごちゃ言うのをやめれば間違いなくこの年の5本の指に入る特大ヒットということだ。青春系ドラマの主題歌っぽい、一種独特な爽やかさと疾走感が曲全体をつつむ。
ドラマからのヒットといえば『Party Of Five』の主題歌であるボディーンズの「Closer To Free」(96/#16)や一連のビバリーヒルズ高校白書モノ(ジョレミー・ジョーダン、シャニースetc)も忘れてはいけない。


1996


"1979" -The Smashing Pumpkins (#12)

あの1993年『Siamese Dream』から2年後に発売された2枚組『Mellon Collie And The Infinite Sadness(邦題: メロンコリーそして終わりのない悲しみ)』。アルバムについては詳しい人が色んなとこで評してるのでいいとして、本題の「1979」だが、電子音主体のリフに装飾のSEが乗っかりあたかも空中飛行してるような不思議な音に仕上がっている(モービーによるリミックスはさらに飛行感が増しているのでこちらも要チェック)。この頃たいていのロックバンドがシングルを切らなかったのに対し、スマパンは律儀にシングルカットしていた。そしてそこにはアルバムから漏れた多くの未発表曲が収録されており、コレクター的にもかなりおいしかった。時々全米盤と全英盤で収録されている未発表曲が違ってたりするので要注意。


1997


"Truly Madly Deeply"
-Savage Garden (#1)

オーストラリア出身の男二人のポップユニット。80'sポップ路線の「I Want You」(97/#4)、時代錯誤アレンジが確信犯的な「To The Moon & Back」(97/#37、後に再発されて98/#24を記録)に続くサードは彼らのポップセンスが光るハートウォーミーなピースフル・ミディアム。98年1月17日付けチャートでエルトンの「Candle In The Wind 1997/他」の14週連続1位を止めた大金星は未だ多くの人の記憶に残っていることだろう。そんなサベガだが、「やることはすべてやりつくしたから・・」とアルバム2枚を製作して解散してしまったのは、あまりにも茶目っ気たっぷりというか、潔いというべきか。



1998


"One Week" -Barenaked Ladies (#1)

もうここでいくつのカナディアン・アーティストを紹介したか分からないが、これもカナダのバンド。持ち歌には「Brian Wilson」とか「Be My Yoko Ono」とか変なタイトルの曲が多いが、音だけ聴くと意外とまともだったりする。00年代に入って「Pinch Me」のヒットがあるものの、この曲が最高位1位という落差から考えてもほぼ一発屋と言っていいだろう。Billboardにユーモアのセンスがあったかどうか知らないがタイトル通り1週間で1位から落ちた(プリンスの「7」を最高位7位にした人たちなので十分ありえる)。ところでこの頃Aメロがラップっぽいポップロックが非常に多く、上のサヴェガの「I Want You」、サード・アイ・ブラインド「Semi-Charmed Life」(97/#4)と同様この曲も同じ路線。ただ、サビがいまいち歌いにくいという難点あり。


1999


"Bills, Bills, Bills" -Destiny's Child (#1)

00年代では時代の華となるデスチャ。そんな彼女たちの初のNo.1ソングがこの曲。思えば97年のデビュー曲「No, No, No part2」(97/#3)ではフージーズのワイクリフ作曲の超難しい早口メロを歌わされていただけという印象が強かった彼女たちだが、この年発表のセカンドアルバム以降で化けた。というよりもこの頃になってビヨンセのキャラが前面に出だし、ビヨンセによる独裁体制の基盤ができあがった、というべきだろう。そんなビヨンセの機嫌次第で
入れ替え可能なその他メンバーたちともぎ取った初のNo.1ソングは、当時流行の”だらしない男バッシングソング”。製作陣も「No Scrubs」と同じ、シェイクスピアと元エクスケイプのキャンディという万全の布陣。その後のデスチャは言わずもがなの大活躍。




 

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