TRICKY

BLOWBACK (2001, Hollywood)
ここでこのアルバムが買えます  あまり人付き合いがなさそうな雰囲気とは裏腹に、案外フットワークの軽いトリッキー。ヴォーカル主体のこのアルバムでは、様々なゲストが参加している。シングル曲ではライヴのエドを迎え、スクイーズ「Tempted」をサンプリング。他にもアラニス・モリセットやシンディ・ローパーが歌ってる曲とかユーリズミックスのサンプリングとか、ジョン・フルシャンテとフリーを迎えてそのまんまレッチリみたいな曲とか盛りだくさん。だけどゲストの選び方に「この人じゃなきゃ」という必然性が感じられない。それにヴォーカリストに関しては、アルバムの半分くらいでリードをとるアンバーサンシャワーの表情豊かな声が魅力的なので、(それほど有名じゃないにしても)彼女を前面に出した方がアルバムの統一感が出たのに。それ以前にトリッキー自身が歌うニルヴァーナのカバー「Something In The Way」なんてかなり良い出来で、あえてゲストに頼ることもなかったのに。それともモービーの成功がうらやましかったのか?ちなみに最後の曲は全編日本語のMC。トラックもシンプルで、日本語の響きの美しさを改めて認識できる好トラックだけど、いかんせん日本人にとっては日常的すぎてテレビ番組のナレーションのよう。このトラックは評価から外させてということで。(松本)
ANGELS WITH DIRTY FACES (1998, Island)
ここでこのアルバムが買えます  深夜のファミレスでためらい傷を見せられながら生い立ち話を延々と聞かされるような、逃げようのない息苦しさ。トリッキーの音楽には、変名プロジェクトのニアリー・ゴッドも含めて、そうした出口のない息苦しさが常についてまわる。活動拠点をニューヨークに移してのこの3作目も、基本的には同じダークなトーンが基調となっている。が、ブリストル時代の2作(3作でもいいが)と大きく異なるのはバックである。トリッキー自身の作り込んだバックトラックが中心だった過去の作品に比べ、今作はマーク・リボーやカルヴィン・ウェストンなどニューヨークのフリー・ジャズのミュージシャンが生演奏を付けている(もっとも元アンスラックスのギタリストなども参加しているが)。そうしたフリーキーなサウンドに乗って、例えばPJ・ハーヴェイのヴォーカルが浮遊する先行シングル曲などは、このミュージシャンが確実に新しい次元に踏み込んだことを示している。もともとサウンド・プロダクションには鋭敏な感性の閃きが見えていただけに、アブストラクト・ヒップホップとしては孤高の地位を確立した感がある。(鎌田)
PRE-MILLENNIUM TENSION (1996, 4th & Broadway)
ここでこのアルバムが買えます  生臭さと金属の粉の匂いが同時にするというか。すごく時代の先端の音のはずなのに、ロンドンのクラブなんかよりもむしろインドとか北アフリカの町の雑踏の中で鳴っているのが似合う。基本的にはサンプリングと打ち込みを音源にしたスタジオ作業による産物なのだが、なぜか恐ろしく「生」な感じがする。それは単純に音がライヴで録られたとかそういうレベルではなく、人間の体臭とでもいうのか。従来の「リズムとメロディ」という音楽の基本を、作曲方法や考え方の上で打ち破ったのはヒップホップだった。ここでは更に、ヒップホップが持っていた「リズムの心地よさ」さえも捨てられた。踊れないテクノ。キャッチーという形容がこれほど似合わない奴もなかなかいない。Tricky本人のタンがからんだような独特のしゃがれ声と、けだるい女性ボーカルが半々ぐらい。歌ったり、しゃべったり、ラップしたり。従来の音楽の「形式」に囚われない、まったく新しい音楽だ。(真貝)


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