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そうか、『TNT』から3年か。いわゆる“ロック”からドラマツルギーを極端に排して、代わりにテクノと同種の、音色とシークエンスそのもののエクスタシーを追求したサウンド指向、つづめて“ポスト・ロック”と呼ばれるソレにも、相応の歴史がホコリのように積み重なってしまったのだなあ。ロックは、他のジャンルを参照することで発展していったのだが、事ここに至って、ついにロックは自己解体を始めてしまった。それは、プロトゥールズを使いこなそうとするための必然だったとも言えるが、ロックが“ロックである自分”に飽きてしまった結果とも言える。そうした刹那的な解体作業に歴史が入り込むのは、マグロの解体パフォーマンスにも似た退廃の様相を呈してくる。その危機感を最も感じていたのはトータス自身かもしれない。したがって、この新作に表わされる音は、いわば“ポスト・ポスト・ロック”というべき、解体されたシークエンスあるいはプロセスの検証と言うべき内容になってくる。つまり、目的化された“解体作業”そのものを解体するという、さらに微分化というか複雑化された状況での演奏という、一見分かりにくいモノになってしまっている。ここで聞ける音は、『TNT』より肉体的に聞こえるので、一見、ロックのダイナミズムを復活させただけなのかと思ってしまいそうだが、グルーヴが捻れまくっているので、ボートラのミニマルっぽい曲と聞き比べるとめっちゃ複雑なのがわかる。もはや“プロトゥールズを使う理由”さえ解体せざるをえない次元にまで進んでしまったロックの未来というのは、煮詰まっているのかむちゃくちゃスリリングなのか...。あー、ダメだ。屁理屈だけで字数がいっぱいになってしまった。このアルバムと、コーネリアスとバッファロー・ドーターとくるりとスーパーカーとの相違を指摘したかったのに。てなワケで、ソレを考えるのは皆さんに任せます。(Yaz)
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