PORTISHEAD

ROSELAND NYC LIVE (1998, Go! Beat)



 80年前後、クラフトワークやYMOなどのいわゆるテクノに注目が集まったとき、音楽評論家はおろか当のミュージシャンの間でも「ロックとコンピューターは同居できるか」といった類の議論が持ち上がった。ほどなくアフリカ・バンバータやスクリッティ・ポリッティなどがいわゆるエレクトロの範疇を超えたデジタル・ミュージックの地平を拓いて議論は収まったのだが、ここに来て、今度は「ロックとサンプリングは並立するか」式の議論が高まってきた。確かに、リンプ・ビズキットやシュガー・レイなどDJのいるバンドも増えてきたが、その役割はサウンド・エフェクト止まりである。ところが、そうした議論を無力化しかねない存在がこのポーティスヘッドである。サンプリングとスクラッチを完全に表現ツールの一部として使いこなし、非ヒップホップ的な独自の世界を築いてきた。そのポーティスヘッドのライヴ盤はオーケストラとの共演。ここには借り物の音楽やトレンドは存在しない。ストリングスも管楽器もシンセもサンプラーもターンテーブルも、緊張感に満ちたダークな世界を再現するための道具に過ぎない。濃密で美しい音楽だ。ビデオも出ているのでチェックしてほしい。(鎌田)
PORTISHEAD (1997, Go! Beat/London)



 なーんにも事情がわかってない幼い子供が、今にも割れそうな薄〜い氷の張った湖の上を歩かされている。あー!危ない!パリン!きゃー!うわー!! ...失礼。片時たりとも目を離さずに固唾を飲んで見つめるか、思わず目を背けてしまうか。間違っても、お菓子をぽりぽりと食いながらぼけーっと眺めることはできない。そういう音楽だ。どちらかというと、目を背けてしまう人のほうが多いだろう。誰だって、必要もないのに不安な気分にはなりたくないだろうから。しかし、下手をするとこの上なく下品なワイドショーネタに成り下ってしまうこういうシーンは、時に、奇跡的に、芸術的に美しくも成り得る。常識では美しいはずのないものに「美」を感じてしまったときの、戸惑いと、密かな優越感。いやな言い方だけどホワイトカラーのインテリ向けの音楽。こんなのがイギリスばかりかアメリカでもヒット(21位)。たぶん、田舎ではだーれも知らないけどNYとかでは大ヒットしたんだと思う。好き嫌いははっきりと分れるだろうが、挑戦する価値は充分にある。これは、凄い。(しんかい)

 80年代初期のニュー・ウエーヴのレコード群と似たような感触が残るアルバムである。ひとことで言えば、ひんやりした感触、というところだろうか。内に熱いものを秘めていながら、決してその熱気は表に出ないというところもよく似ている。ビートは重いが音は薄く、ヴォーカルは静謐。そのエッセンスは15年以上の時間を隔てて、共通している部分はあまりにも多い。それが凡百のアブストラクト・ヒップホップとポーティスヘッドとを分かつ決定的な要素なのではないか。暗い、といわれるサウンドだが、その暗さはトリッキーなどの自滅的な暗さとは一線を画す。何か懐かしさすら覚えるほの暗さ、と言えばいいだろうか。そして何よりもポーティスヘッドのサウンドには歌ごころがある。“ポップ”ではないが“ポップス”として流通する力を十分に持っている。だから前作『ダミー』の曲がリーバイスのCMに採用されているのだろう。決して万人受けするサウンドではないが、聞き手の中に澱のようなものを確実に残していく。そういう意味では、これは新しい形のポップスであると言っても過言ではないだろう。言い忘れたがジャケットデザインも素晴らしい。(鎌田)


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