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いわゆるロックなるものがこれだけ氾濫すると、それらと十把ひとからげに扱われることを潔しとしない気風もそれとなく生じてくる。「とにかくロックでなければよい」という単純なものから、「ロックの先にあるものを見据える」というものまで、その考えもさまざまではあるが、共通していることは「ロック」への疑問である。それは巷の音楽に対するうんざりした気分と表裏一体のものであると言える。“ポストロックの旗手”と称されるジム・オルークが参加するこのユニットも、トータスやハイ・ラマズと同様に、既成のロックへの疑問を発し続ける姿勢を貫いている。その姿勢は理解できる。が、困ったことに理解はできても肝心の音に共鳴することができないのである。もはやデイヴ・マシューズやマッチボックス20に思い入れできないほどスレた耳にも新鮮に響かないのだ。代わりに連想したことは、「ノイジーにすればスロッビング・グリッスル、スノビッシュにすればペンギン・カフェだな」などという、ポスト・パンクのバンドとの比較だったりする。頭で作った音楽という感じが否めないのだ。相性悪いのかな。本当はもっと誉めたかったのだが。(鎌田)
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