BECK

MUTATIONS (1998, DGC)



 前作『Odelay』で一気にメジャーブレイクしてしまったベックの新作は、前作のようにおもちゃ箱をひっくり返したように、カントリー、ヒップホップ、ジャズといった様々な音楽の要素がごった煮的に煮こごっている世界を予想して聴くと、見事に肩すかしを食らわされる。何だ、今回は結構フツー じゃん、と思って聴き進むとこれがどっこい、ラウンジ風の曲あり、ボサノバあり、アコースティック・ギターによるラグタイム風の小品あり、といった風で実は結構バラエティに富んでいたりする。あれだけ売れたアルバムの後で、いかにつなぎのプロジェクトとは言えこういったいろんな音楽性を閉じこめた作品をしれっと出してしまう辺りやはりベックただ者ではない。前作がサージェント・ペッパーとすると、本作はホワイト・アルバムのような、音楽性の多彩さと楽曲の緊張感と奇妙なカタルシスを聴く者に与えてくれる作品だ。いやしかしこのアルバムは聴くほどに気持ち良さを増して、結構癖になるぞ。(阿多)

 メジャーからはウケ易い再構築サウンド,マイナーからはシンプルな歌志向の作品,とルートを使い分けてきたBeckが遂にそのパターンを破る冒険に出た。本作はNigel Godrichのスペーシーな感覚溢れる透き通ったプロダクションが実に新鮮だが,それよりもBeck自身の変化をどう捉えるかが重要だ。「Odelay」との比較で言えば,コンソール卓で遊んでいるかのようなエレクトリックな要素がなくなり,シンプルなサウンドをバックに歌をじっくり聴かせているのが特徴。同様の趣向のものとしてはBong Loadから出た「One Foot 」がマニアの間で好まれているが、それもBeckなりの計算の上でマイナーからリリースされている。となると本作は実績が出来て余裕が出てきたところで自分のやりたいことをより多くのリスナーに届けたくなった結果生まれたもの,と考えるのが筋であろう。「Odelay」もゴチャゴチャした装飾の下に味わい深い歌が顔を覗かせていたのも事実である。だが,そのソングライター的資質をメジャー展開したという点で,彼の長くはないキャリアの中で本作がエポックメイキングなアルバムであることは間違いない(不思議なことにBong LoadからはLP版がリリースされている)。(信沢)  
ODELAY (1996, GEFFEN)



「meantime」の読者層ってのがいまひとつつかみきれていなくて。どんな人にどういった形でアルバムを紹介すればいいのか、ちょっと考えてたりする。貧困な想像力で仮想の一般的読者像を作り上げてみると、年齢:30歳前後、職業:サラリーマン、酒:少々、ギャンブル:結構競馬好き、レコード:最近のチャートには余り興味なし、昔聴いたもの中心にCDを買い直している、って感じの人たちなのかな、なんて考える。そういった人たち 〜80年代ロック好きでR&B嫌い〜 に新譜を紹介するとしたら、やはり馴染み易そうなもの 〜No DoubtとかGin Blossomsとか〜 がいいのかなと思って、で、実際このコーナーでも紹介しているんだけれども。
 でも、本当はこのアルバムを聴いて欲しいと思っている。新しいものが好きだろうが、古いものが好きだろうが、このアルバムは聴き手が持つ音楽的バックボーンによってそれぞれまったく違った解釈ができるはずだから。ここにはアメリカンロックもブリティッシュロックもグランジもラウンジもハードコアもヒップホップもなんでもある。どんな切り口からでも聴ける。で、本質的に優れた作品だから結局誰もが気に入る。聴いておいたほうがいい。「最近いいレコードありますか?」と会社の若い子に聞かれたら「う〜ん、Beckはよかったけどね〜」と答えると、何故か説得力があってなんとなく体裁が整う。うん、やっぱり聴いておいた方がいい。(八亀)

デビュー前の自らの生活や心境を全面に押し出した作品で売れてしまった場合、彼らは次なるアティテュードを模索せざるを得なくなるが、それが困難な作業であることは容易に想像がつく。良い例がガンズで、彼等がセカンド以降ぱっとしないのも、「成功後のガンズ」を的確に表現できなかったからだと私は考えている。ベックもまた、同じ困難に直面した。「俺は負け犬、俺なんか殺しちまえよ」と歌ったデビューシングル「ルーザー」が世界的にヒットし、彼は成功者となったからだ。もっとも実際彼はもともと敗者ではなかったし、彼にとって「ルーザー」はジョークだったのだが。どっちにせよ、彼が自分に求められていることと、犯してはいけない間違いを自覚しつつ答えを模索したことが、このセカンドからははっきりわかる。自身がデビュー当時から持っていた「音楽好きの、ちょっと風変わりな青年」というイメージを維持したまま、B級っぽさを払拭している。彼もまたガンズ同様、ブレイク後の自らをエンターティナーと位置付けたが、結局はB級出身、という程度の作り込みに押さえたのは、つまり己を知っていたということだろう。さらに、あれほど世間をにぎわせた「ロー・ファイ」なるコンセプトに確執しなかったのも正解だった。「ベックのセカンド」として、このアルバムは大成功だと思う。もはや一発屋の懸念も失せた。それにしても、ロー・ファイ産出しかり、この見事な脱皮ぶりしかり、ベックはかなりの知能犯である。(nori)

 最初にベックを知ったのは「BEAT UK」で流れた『ルーザー』のクリップで、その週にはCDシングルを手にして、以降、12インチシングル、LP、Kレーベルのアルバムの順に押えていったのだが、この流れは正解だったらしい。『ルーザー』のCDシングルは、ラウンジやらフォークやら、アルバム以上にさまざまな傾向の曲が収められているし、クレジットのくすぐりにも非凡な感覚があり、いま聞いてもベックの全体像がわかりやすい。だから、そのごく一部を拡大したような『メロウ・ゴールド』は、個人的には不満だった。『オディレイ』には、『ルーザー』のCDシングルで拡散しまくった音楽的傾向を再構築したようなところがある。製作に時間をかけた分、従来のぶっ壊れた感覚は薄れたが、その代わりに濃密な狂気が漂っている。ここではヒップホップもブルーズも、荒野に取り残されて気がふれたような、そんな心象風景を描写するための道具でしかない。(鎌田)


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